「ロイが居なくなった」
 いつも皆の前では気丈に振る舞っているはずのマルスの姿が、途端に弱弱しく、今にも風に連れ去られてしまいそうなほどに儚い姿になった。
 それでも、リンクはその姿をきみらしくないと叱咤することはない。これが彼の本当の姿なのだから。
 ロイが居なくなったのは、リンクも知っていた。そろそろ新しいメンバーを入れる、その際、何人かがこの寮から居なくなると。そういったことを聞いたのは随分前でも、実際にその居なくなる人々に辛くもロイが選ばれたということを知ったのは、本当につい最近だった。
「……知ってる」
 そう呟いて、テーブルの上の黄色のティーカップに手を伸ばし、紅茶を飲む。いつもなら落ち着くはずだったアールグレイの匂いが今はどこか、うっとうしかった。
「いつもみたいに笑顔でさよならって、手を振って……いなくなった」
「……うん」
 覚束無い足取りでマルスがこちらにふらふらと歩いてきて、力なくへたり込み、椅子に座っているリンクのひざの上に頭をうずめた。リンクはマルスの頭の上にぽん、と軽く手を置く。
「僕はまだ、ここに残らなきゃいけない。ロイとは居られない。……でも、ロイと一緒に居なくなっても、君とは居られない」
 どうしたらいいんだ。と、マルスが小さく漏らした。
「君は……居なくならない?」
「居なくなったりしないよ。……大丈夫」
「……僕はまだここから出られない。だからこそ、せめて君だけは一緒に居てほしい」
「わかってる。どこにも、行かない」
 マルスの姿がまた一段と儚く、そして弱弱しく見えてきて、体を屈めて相変わらず自分の膝の上に頭をうずめたままのマルスの肩を抱き締める。
 幼い子供をあやすようにマルスの頭をそっと撫でる。するとマルスは自分の腰に手を回し、背中に爪を強く立てて来た。マルスの長い爪が服の上から肌に食い込んで、痛い。
「行かないで……いい子にするから行かないで……」
 マルスの声が嗚咽交じりになり、腿の辺りに何か湿った感じがする。――ああ、この人は今、泣いているのだ。リンクはマルスの耳元でそっと囁いた。
「……うん、どこにも行かない。約束だから」





 彼は嘘を吐いた。あの時彼は今回の事を知らなかったにせよ、あの時の言葉が嘘になったことに変わりはない。とにかく彼は自分に嘘を吐いたのだ。どこにも行かないと、約束したはずだったのに。
 しかし今自分の目の前に居ない人に嘘吐きと罵ったところで、無駄なのだ。例えどんな意味であろうと、言葉はその肝心な伝えたい人に伝わらなければ意味がない。
 そして、自分の目の前に居る青年は一体誰なのだろう。彼と似たような風貌、所々違うが緑の服、若干長さや髪型が違うが同じ金色の髪をしている。
「こっちが新しく来たリンクだ。姿はそっくりだが、今まで居たリンクとは全くの別人だ、仲良くしてやってくれ」
 マスターハンドがそう言うと、その青年は自分達に向けて頭を下げた。
 確かに姿はそっくりだが、声は彼の声とは違っていた。それでも、仕草の一つ一つがマルスの癪に障る。この青年のせいでリンクは居なくなった。あの時の言葉は嘘に変わってしまった。この青年が居なければいつまでも自分達は一緒に居られた。
 そう思うと、この青年に対し止め処なく憎しみが溢れ出てくる。
 更にその青年の隣に立っている、マルスとさして年齢は変わらないように見えるのに、がっしりとした体格の青髪の青年が立っていた。――この青年もまた、ロイの代わりに来たメンバーらしい。
「リンクです。皆さんは少し混乱するかもしれませんが……よろしくお願いします」
「……アイクだ。よろしく頼む」
 二人がもう一度頭を下げた。
 認めたくなかった。この目の前に居る人もまた、リンクなのだと。認めてしまえば彼は一体、なんだったというのだ。
 ……憎くて憎くて仕方がない。この二人が居なければ自分たちはいつまでも一緒に居られた。三人で一緒に居られるだけで少なくとも自分は幸せだったのにこの二人は、自分の幸せを奪い、壊したのだ。
 特に目の前の青年が憎い。彼と似たような姿をしているのに彼じゃない。彼は自分のことをよく知っていたというのに、この青年は自分のことなど何一つ知らない。
 ならば目の前の青年はリンクではない。この青年がリンクだなんて、自分は絶対に認めない。気が付いたとき、自分の手は青年の緑の服を握っていた。
「返せ……リンクを返せ! 君はリンクなんかじゃない! 僕の知っているリンクを返せ!」
 周りの人々が悲鳴を上げた。そう言われた青年は唖然とした顔で自分を見ている。
 なにもかもが彼にそっくりなその青年が気に入らない。そんな目で自分を見て欲しくない。彼はこんな目で自分を見たりなどしなかった。こんなのはリンクではない。絶対に。
「あの……ぼくは……」
「うるさいうるさいうるさい! リンクなんかじゃ……リンクなんかじゃない! 返せ!」
 青年がしどろもどろに何かを言うが、青年の緑の服を掴んで、体を強く揺さぶって、声を張り上げて叫び続けた。
 そこに居た全員がマルスの心情を察していたのか、誰もマルスを止めに入ってはこなかった。だからこそ、なのか、更にマルスは叫び続ける。
 こんなことをしたって三人で居た頃には戻れないことなど、頭の片隅で分かっていながら。
「約束したのに……なのに嘘を吐いた。返せ……返せぇっ!」



 視線の先には白い天井があった。体には暖かい毛布がかかっていた。部屋には甘い桃の匂いが漂っていた。
 痛む頭と喉に顔を顰めつつ、マルスは今自分がどうしてベッドの上に居るのか、相変わらず痛む頭で冷静に考えてみた。
 確か、彼とは全くの別人なのにリンクと名乗る青年と、アイクと名乗るロイの代わりの青年が寮に来て、特にそのリンクと名乗る青年が自分は憎くて、掴みかかって、リンクを返せと叫んだのだ。――そこからはもう、覚えていない。ベッドに寝ていたということは、気を失っていたのだろうか。
 なんて馬鹿なことをしたのだろうと、今更ながら後悔し、マルスは大きくため息を吐いた。そして痛む頭を抱えつつ、そっと半身を起こす。
「あら、起きたの。ピーチティーでも飲むかしら?」
 クッキーもあるわよ。と、白いテーブルの上でピカチュウに小さく割ったクッキーを与えながらピーチ姫が微笑んで、そう言った。
「どうして……僕はここに?」
「マスターハンドがあなたを気絶させたの。少し手荒かったかもしれないわね。……ごめんなさい」
 成程、だから青年に掴みかかり叫ぶまでの記憶しかなく、気が付いた時にはベッドに寝ていたというわけだ。マスターハンドにしてみれば人一人気絶させることなど、造作も無いことだろう。
 明るく、陽気なピーチのいつにもましてらしくない謝罪に、マルスはいいのです。と言って。
「今回は取り乱してしまった僕が悪いのです。ピーチ姫にも、皆にも、そして何より……彼にもお見苦しいところを見せてしまいました。……本当に、申し訳ありません」
「別にいいの。皆、辛かったもの……」
「いえ、だからこそ駄目なのです。皆が悲しんでいる中、僕だけ取り乱したなど……一国の主がすることではありません。……駄目ですね、僕は」
 自分の愚かさに、マルスはシーツを皺が残るほど強く握り締めた。
 ピーチはそんなマルスを見て、目をそっと伏せる。
「あなたはここに居る時点で王族じゃないわ。一人の人間。……お茶を入れてくるわ」
「すみません……」
 別にいいのよ。とピーチは笑うと、席を立って、キッチンの方へこつこつとヒールの音を立てて歩いていった。
 居なくなったピーチの代わりに自分が、と思ったのか、テーブルの上でクッキーを食べていたピカチュウがテーブルから飛び降りて、マルスのベッドの枕元に来てくれた。
「ピカチュウ……」
 そっとピカチュウの頭を撫でてやると、ピカチュウが笑ったが、その笑顔はどこか悲しそうだった。
「そっか、君も悲しいよね。ピチューが居なくなったから。それなのに、僕は……」
 悲しいのは自分ひとりじゃない。当たり前だ。居なくなったのは二人だけではないし、そうでなくても皆が皆を信頼していたのだ。悲しまない人なんて、居るはずがない。
 ピカチュウも、弟同然だったピチューが居なくなって悲しんでいるのだ。だというのに、自分だけが感情に流されて、青年に掴みかかった。
「ごめんね……」
「ぴー……」
「ごめんね、ごめんね……」
 真っ白なシーツに染みがひとつ、ふたつと出来てしまった。ピカチュウが心配そうな顔で見上げてくる。マルスは心配ないよ。と呟き、右手で目を擦る。
「本当にごめんね。……でも、もう少しこのままでいても、いいよね?」
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