ベッドの上で、リンクは本を読んでいた。もう部屋の明かりは消したのにランプの明かりを手元に手繰り寄せ、その小さな明かりでおれが傍に立っていることにも気付かずに、一心不乱にページをめくって本を読んでいた。
 枕の上に大きな古い本を置いているから、白い枕が本の重さで皺がついている。呼んでいるものもそれなりに古い本なのでつんとした黴臭さが、後ろに立っているおれの鼻まで届いているのに、リンクは全く気にしてい様子だった。本の埃や臭いがシーツにつくかもしれないのに、それも全く気にならないようだ。そういえば夕食をとってからリンクはずっと本を読んでいた気がする。
「面白いのか?」
「うん。今凄くいいところだしさ」
 おれの問いかけにはそう答えてくれたが、リンクの視線は本のページから全く動いていない。よっぽど面白い本なんだろう。それだけ面白い本なのなら今度おれも読んでみるかとも思い、
「どんな本だ」
「小説だよ。だから君にはちょっときついかもな」
 それを聞いておれは顔をしかめる。おれは小説は好きではないのだ。
 なぜかというとその昔、こいつに連れ出されたばかりで魔物のおれがまだ自我がしっかり出来上がっていなかった頃、剣の鍛錬以外の暇つぶしとして、リンクにそんなに難しくない内容だという一冊の短い小説を渡されたことがあった。
 武器の使い方と自分の生い立ち以外は知らないことばかりだったけれど、幸いおれは作られた時にガノンドロフの魔法で言語を刷り込まれていたので言葉はちゃんと喋れるし、文字の読み書きだって出来た。それならばとリンクも本を渡してきたのだろう。
 だが文字を読むことが出来ても、肝心の内容はさっぱりわからなかったのだ。
 まず物語の世界の情景を描写されても、リンクに連れ出されるまでろくな風景を見てこなかったおれには全く情景が思い浮かべられない。広い広い海の水平線に沈む太陽とか、あたり一面真っ白な雪景色だとか、そんなことを書かれても、当時のおれには海も雪も見たことの無いものなのでそんなもの想像できるわけがないのだ。
 次に登場人物の心情や行動が全く理解できなかった。大切な友人を失い涙を流す男とか、命を犠牲にしてまで我が子を助ける親とか、元々無感動な上に魔物のおれにはさっぱり理解できない言動だった。
 胸が苦しくなるほどある女性に恋焦がれる主人公の心情を綴った文を読んだ時には、こいつは胸が苦しいといっているが実は病気なのか、そのうち死んでしまうのか。とリンクに聞いていた。勿論そんなわけがないので、リンクがぽかんとした顔でおれを見ていたのをよく覚えている。
 ただ、理解できないのは人間ではないおれだけであって、普通の人間が読めば勿論理解できる内容ではあった。筆者だって人間社会を知らない魔物が読むことを想定して本を書くわけがない。
 そういうわけで貧相なおれの想像力では小説を読んでも全く面白くないので、小説は嫌いだ。今ではそれなりに読めるになったけれど、それでも初めて本を手にした時のあの感じを思い出して嫌な気分になるので、小説にあまりいいイメージは持っていないし、読むことも少ない。
 ちなみにそのリンクから渡された本は、最終的には文字を辿ることだけに楽しさを見出して、その楽しさでなんとか読みきってリンクに一言「つまらない」と言って返した。だが最近、その本を読み返してみたらそれなりに面白かった。当時のおれには理解できなくて当然の内容ではあったが。
「どう、読んでみる?」
「読んでみようとは思う。おれにも理解できるならの話だが」
「そうだなぁ……これなら、ダークにもわかるかもな」
「図書棟から持ってきたのか」
「うん。面白そうだったから持ってきた」
 ベッドの淵に腰掛け、後ろから覗き込んでリンクが読んでいる本に目をやる。当たり前だが途中からなので話の内容は全くわからない。だが、主人公が戦っているシーンだということはわかった。
 リンクは振り返ってこっちを見て何故か笑って、本に栞を挟み、脇に本を置いた。
「いいシーンだったんじゃないのか」
「まあね。でもま、いいや」
 明日また読めばいいんだし。とリンクがまた笑う。
「もう寝ようかな。遅いしさ」
「そうしておけ。おれも寝るから」
 そう言って、立とうとする。しかし立ち上がろうとしたときに何かに軽く引っ張られていたことに気付き、何かと思って振り返ればリンクがおれの服を掴んでいた。
「……何してんだ」
 不快感をめいいっぱい顔に出して、リンクを睨むけれど、こいつはそんなのおかまいなしに何故かへらへら笑っている。こういう時は大体いつも、何かロクでもないことをおれにしてくるのだ。
「ダーク」
 リンクがおれの服から手を離して、ぽんぽん、とシーツを叩いた。
「おいで」
「一緒に寝てくれとでも言うつもりか?」
「そうそう、さすがぼくの影。よくわかってるね」
「馬鹿、誰がするかそんなもん」
 ガキじゃあるまいし。と悪態を吐いて、今度こそと立とうとする。だがまたリンクはおれの服を、さっきは片手だったのに今度は両手で掴んで、必死におれを逃がすまいとしている。こいつはそこまでしておれと一緒に寝たいのか。
「二人で寝るなんてどう考えても狭いだろ」
「別にぼくはそれでもいいんだけどね?」
「おれがよくないんだよ」
 思い切りため息を吐いて拒絶の意を示したのに、リンクはそれでもへらへら笑っていた。
「じゃあ眠くなるまででいいから、ここにいてよ」
「怖い夢でも見たのか?」
「そんなことないよ。ただ人肌が恋しくなっただけ……ダークに、触れたい」
 へらへら笑っていた顔が、一転して真剣な表情に変わる。真剣な目でじっとおれを見つめてくるから、これじゃあなんだか目が逸らせない。
「ね、いいだろ?」
 半身を起こして後ろからおれの体を抱きしめて、リンクはそのままもう一度おれを抱いたままベッドの上に寝転がる。おれもリンクに引っ張られてリンクの胸の上に寝転がる形になる。
 リンクは逃がすものかとばかりに両腕をおれの胴に回しているので、いいだろも何もこれではおれは逃げられない。だからだろうか、何だか色々とどうでもよくなってきた。逃げられないので抵抗をするのも面倒くさい。
「嫌がらないの?」
「もうどうでもいい。……そうしてほしいならするが」
「しなくていいよ。このままでいたいから」
 だろうな。と思って溜め息をひとつする。とりあえずベッドの外に出ていた両足をごろんとベッドの上に動かす。リンクの腕を、体勢を変えたいから腕をどかせという意味をこめて軽くとんとんと叩くと、一応意味は伝わったのか腕を離してくれた。が、
「……あのな」
「だって腕が駄目なら、こっちかなって思ってさ」
 そういうリンクは、何故かおれの頭に腕を回して今度は胴の代わりに頭を抱いていた。しかもリンクの腕が視界を塞いでいて、これじゃ何も見えない。
「離せ。すぐに」
「君が逃げるかもしれないじゃないか」
「逃げるわけないだろ。お前の好きにさせるから、とりあえずおれに体勢変えさせろ」
 それにリンクもしぶしぶ頭に回していた手を離してくれた。とりあえず体を起こして、リンクの隣に寝転がる。
 嬉しそうにはにかんだリンクが、そのまま毛布をかぶり、おれの頬に手を置いて額と額を合わせてくる。リンクの僅かに湿った金髪から石鹸のにおいがするけれど、同時に白いシーツから埃っぽいにおいもする。こいつはどれだけの時間本を読んでいたんだろう。
「で、おれは何をしてればいいんだ?」
「んーと。とりあえずこのままで」
 そう言ってリンクがおれの額と額を合わせたまま目を閉じた。
 片手をおれの背中に回しているので、なんだか身動きが取りにくい。このままこいつが寝てしまったらおれはどうすればいいんだろうか。勿論これじゃおれが寝返りを打てないとかこいつと寝るとベッドが狭いとかそういう意味でだ。
 寝るなよ。とおれが言うと、リンクに目を閉じたまま、まだ寝ないよ。と返された。
 そう返されようと相変わらずリンクは目を閉じたままなのでそんなこと信用できるわけがない。
「ダーク……ぼくのこと信用してないだろ」
 どうやらこんなに距離が近いぶん、おれの思っていたことがリンクにしっかり伝わったのか、目を開けたリンクが嫌そうにおれの目を見る。
「当たり前だ。わかってるなら寝る前にちゃんとおれを離せ」
「やだな。昔の君はさ、抱きしめられたり抱きしめるのが好きだって言ってたのに。ぼくのこと嫌いになった?」
「……わかりきったことを言わせるつもりかお前は」
 わかりきったこと。――こうしてこいつと今までもこれからもずっと一緒に居るのだから、そんなことおれが思うわけが無いということだ。
 昔のおれは思ったことをすぐに口にしていた。空気を読んだり、人の気持ちを汲み取った上でちゃんとした言葉を選んで発言をするということが出来なかったからだ。出来ないというよりはむしろ、やり方を知らないような感じではあったか。
 だから、リンクが言っていたことのように、今思うと恥ずかしくなるようなことも当時のおれはさらりと口にしていた。その時にリンクの顔が真っ赤になっていたのはよく覚えている。……今のおれじゃそんなこともう簡単に言えるわけが無いし、言わなくたってリンクは分かっている。だから言わないだけだ。こいつだってそのくらいのことは分かっているだろうに。
 正直に言えば、抱きしめられたり抱きしめたり、こいつに触れたりするのは、今でも嫌いじゃない。昔あいつに初めてキスをされた時、キスよりもそっちのほうが好きだと言ったが、それだって今でも変わっていない。こいつが好きだという気持ちだって、変わるわけがないのに。
「わかりきったこと? ぼくは知らないけどなぁ」
「とぼけるつもりか」
「とぼけてるよ。……ねえ、言ってみてよ。ダークの口から聞きたい」
 逆に開き直ったらしい。リンクは毛布の中でおれの手を探って、見つけたおれの左手をぎゅっと握る。
 ……ああ、そうだ。初めてリンクとキスをした時、おれはキスよりもこいつに触れているほうが好きだったから、キスの後にリンクの手と自分の手を合わせておれはそう言ったことを思い出した。そして、リンクは嬉しそうにはにかんで、合わせていたおれの手を握ったのだ。
 あの時のことはリンクも覚えているんだろうか。もしかしたら、この手を握ってくれたのもただの偶然だったのかもしれないけれど。おれもその手をぎゅっと、握り返した。
「ああ、お前が好きだよ。ついでにキスよりも抱きしめられたり抱きしめるほうが好きだ」
「その理由は?」
 そこまで言わせるつもりなのかと一瞬眉をひそめたが、すぐにひそめた眉を元に戻して、
「……お前に触れている面積がキスよりも、こっちの方が大きいから」
 そう、おれの思い出せる限りであの時と一字一句同じことを言うと、リンクはあの時のように顔を赤くさせる。そして、ありがとうと囁いた。
 あの時は、自分としては至極当然のことを言ったつもりだったから、どうしてリンクが顔を赤くするのかが良く分からなかった。――勿論今のおれならそのくらい分かる。一番大きな理由としてはまず、こいつがおれのことを、好きだからだ。
「……幸せな気持ちになったらさ、なんだか眠くなってきたな」
「じゃあ寝ろ。おれはおれのベッドに戻る」
 そうして体を起こそうとしたら、リンクが両腕でおれの起こしかけた体を抱きしめて、離そうとしない。
「離せ。おれだって眠いんだよ」
「君って奴はさあ、ああいうこと言っておいて、眠くなったらはいさよならってのはないんじゃないかな」
「それを言わせたのはお前だ。元々こういう約束だっただろ」
「別にいいだろ。ダークはキスよりもこっちの方が好きなんじゃなかった?」
 だったらいいじゃないか。とリンクはおれの体に回している両腕に、絶対に離すものかと言わんばかりに力をこめる。おれも必死にもがいているけれど、リンクはそれ以上の力でおれを離すまいと抱きしめているから上手く動けない。
 確かにこっちのほうが好きではあるけれど、どう考えたって限度というものがあるだろうに。こんな状態じゃ限度なんてとっくのとうに超えている。
「このまま寝たら狭いだろ。さっさと離せ」
「いやだ、離さない。ダークが逃げたら今度はぼくがダークのベッドに入る。だから諦めて」
 何が諦めてだ。初めからおれを抱く腕を緩めるつもりも、諦めさせるつもりも無いくせに。
「……今日だけだ」
「明日もよろしく」
「おれの眠りを妨害するのがそんなに好きか」
「そう。ダークと一緒に寝て、ダークの眠りを妨害するのが好き」
「馬鹿だろお前」
「馬鹿だよ。でも、ダークが好きだ」
 今回ばかりはもう何を言っても無駄のようだ。普段はおれが馬鹿って言ったら機嫌を悪くするくせに、今日はなんでそんなに素直に認めるんだ。
 完全に諦めたおれはわざとらしく大きくため息を吐く。勿論こんなことじゃ今のリンクは動じないけれど、おれが嫌がっているということを表したいのでそうした。起こしかけていた体をもう一度横にすると、リンクの腕が緩む。その隙に逃げ出そうかとも思ったけれど、そんなことしたっておれのベッドにこいつが入ってくるだけだから意味が無い。
「……本当に今日だけだからな」
「うん、嬉しい。どうしてだかわかる?」
「おれが好きだからだろ。知ってる」
「そうだよ。君が好きだから、嬉しい」
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