彼の手のひらの上で、雪が降る。
 真っ白な雪が小さなクリスマスツリーの上に、既に深く雪が積もる屋根の上に、赤い帽子をかぶった雪だるまの上に、燦々と降り注いだ。
 やがて雪は全て振り積もり、止んでしまう。すると彼は手のひらの上の雪景色をひっくり返して、ガラス玉の上に雪が溜まるまでじっと待ち続けた。ぼくはそんな彼の向かいに座っているので、小さなガラス玉越しに、赤い瞳を輝かせてガラス玉の中の雪景色を眺める彼がよく見える。
 ガラス玉の上にひとしきり雪が溜まると、再び彼はガラス玉をひっくり返し、燦々とガラス玉の中で降り注ぐ作りものの雪をじっと眺める。
「本当に気に入ったんだね」
「ああ」
「今度マスターハンドにお礼言いに行こうか」
「ああ」
「……ぼくの話聞いてる?」
「ああ」
 一応相槌だけはなんとか打ってくれているのだが、首を横にも縦にも振ってくれないし、その間視線はガラス玉の雪景色から全く動いていない。
 クリスマスが近いこともあってか、クリスマスのグッズをよく見るようになった。
 なんでもマスターハンドがパーティのために倉庫にツリーやら靴下やら、沢山のクリスマスグッズをしまっていたらしく、それを知ったメンバーが勝手に倉庫に入っては、それぞれが気に入ったクリスマスグッズを勝手に引っ張りだしてきている。
 ぼくも数日前ダークやマルス、ロイ達と一緒に倉庫に入って、何か気に入るクリスマスグッズがないか探した。スイッチを入れると明かりが灯る小さなクリスマスツリーから、ピカチュウやカービィなら中に入れそうなくらい大きな赤い靴下。――本当に倉庫には色々なものがあって、ここにいるだけで一日が潰せそうなくらいだった。
 とりあえず小さなツリーくらいは部屋に飾っておこうと、ツリーの入った箱を持っていこうとした時に、ダークがこれを見つけてきたのだ。
 スノードームと言うらしい、手のひらに乗るサイズのガラス玉の置物。ガラス玉の中に水と、雪に見立てた白いちりが入っていて、中で雪が降っているように見える置物。
「……お昼ご飯、ダークの分はいらないよね」
「ああ」
 やはりぼくの言葉には適当に相槌を打っているだけだったようだ。
 どうしてこんなものをダークが気に入ったのかはよくわからない。でも、滅多に人やものに興味を示さないダークがこうしてずっとこのスノードームを眺めているのだから、これが余程気に入ったのなら、何よりだと思っている。……話を聞いてくれないのは少々困りものだけど。
 ぼくが大きくため息をつけば、もう一度ガラス玉の上に雪を溜めようと、またガラス玉を逆さにして、上に雪をためているダークが、やっと気付いてくれた。
「どうかしたのか」
「いや、その……よっぽどそれが気に入ったんだなぁって」
 苦笑混じりにそう言えば、ダークがかくんと首を傾げる。本当に、さっきぼくが何を言っていたのか覚えていないようだ。
「おれはまだ信じてるからな」
「え?」
「お前とずっと居れば雪が見れるって、そう言っていたのを、信じている」
「……そんなこと言ってたっけ?」
「以前お雪がどんなものか教えてくれたとき、お前がそう言っていた。……本物の雪は、こんな感じなんだろう?」
 そう言われて記憶の底を漁ってみる。
 確かこの世界に来る前、暇つぶしのためにダークに初めて本を渡した時だっただろうか。本の中に雪という単語があったのだが、ダークは雪を見たことがないのでどんなものか想像出来ず、困ってぼくに雪とは何だ、と聞いてきた。ということがあった。
 その時は説明しきれないこともあったけれど、適当に説明をしてなんとかごまかし、ぼくと一緒に居ればいつか見ることが出来るから、一緒に居ようとダークと約束をしたのだった。
 それなら、ダークが倉庫からこのスノードームを持ち出して、ずっとこれを眺めていたのも頷けた。
「あー、確かに言ってたなぁそんなの。忘れてた」
「……人間は忘れっぽいから困る」
 見ればダークの眉間に皺が寄っていた。
 別にぼくは忘れっぽいわけじゃない。ぼくが忘れっぽいというよりは、ダークの物覚えが良すぎるだけなのに。ぼくは手をひらひらと振って、
「ごめんってば。……まぁ、そうだね。本物の雪は大体こんな感じかな」
「雪は綺麗なんだな。早く見たい」
「大丈夫だって、いつか見れるから」
「約束だ」
 ダークが左手の小指を差し出す。あの時は確か、ぼくが左手の小指を差し出したんだったか。
「指切りなら前にしただろ?」
「お前が忘れていたから」
「……わかったよ。悪かったってば」

「約束だよ」




 ガラス玉の中で、雪が降る。
 真っ白な雪が小さなクリスマスツリーの上に、既に深く雪が積もる屋根の上に、赤い帽子をかぶった雪だるまの上に、燦々と降り注いだ。――倉庫から持ち出したあの日からずっと眺めていたせいで、すっかり見慣れてしまった、あのガラス玉の風景。
 そして自分は、何故かそのガラス玉の中に居た。
 あのガラス玉の中で自分は、燦々と降り積もる雪を眺めていた。雪は自分の頭上にも、自分の肩にも燦々と降り積もる。
 手のひらを前に出せば、手のひらの上にも細かく千切った紙のような雪が降り積もっていった。雪は氷のようにひんやりと冷たく、自分の手の体温を奪ってゆく。
 ずっとそうしていると、だいぶ手が冷えてしまったので、前に出していた手のひらを斜めにして、手のひらに積もった雪を地面に振り落とす。細かく千切った紙のような雪は、ぱらぱらと地面に落ちていった。
「これが、雪」
 独り言のつもりだった。しかし、後ろから聞き覚えのある声がする。
「そうだよ、これが雪。……綺麗だろ?」
 魔物である自分に手を差し伸べ、そのままこの手を引いて沢山のものを自分に見せ、教えてくれた人の声。
 所詮はその人の鏡像でしかない自分に、惜しみない愛情を注いでくれる人の声。
 自分の視界にその人の姿は見えない。しかしその人は自分の後ろに、すぐ近くに居るのだと、強くそう思うことが出来た。
「リンク」
 自分の後ろに居るはずの人の名前を呼んで、ダークは振り返る。

 そこで、夢は終わってしまった。



 起き掛けの頭では、「あれ」が夢だったと気付くまでに数分ほどかかった。
どうやら自分は、椅子に座ったままテーブルに突っ伏し転寝をしてしまっていたようだ。すぐ近くには、あのガラス玉が置いてある。自分はついさっきまで、そのガラス玉の中に居る夢を見ていたのだ。
 そんなはずなどないのに、夢の中で雪に触れた際のあの冷たさが、まだこの手に残っているような気がした。
 あの夢の中で自分の言葉に答えてくれたリンクは、部屋にいない。
 手で寝癖を直しながら、部屋の壁に掛かった時計を見る。時計の針はクリスマスパーティーが始まるから談話室に来いとリンクに言われた時間から、三十分ほど前を指していた。
 今日はクリスマスパーティーというものがあるらしく、そのせいでリンクは昨日から料理の仕込みに追われている。自分は豪華な料理にもプレゼントにも、何の興味もないので、行きたくないというのが正直なところだ。
 それをリンクの前で口にしたことはないが、恐らくリンクもそれを分かっているだろう。
 パーティーには行かずにずっと部屋に居ようと思ったが、自分がパーティーに行く気がないことを知っているリンクは、時間になっても談話室に自分が居ないことに気付けば屋敷中を探し回るだろう。勿論、自室であるこの部屋にもやってくるはずだ。
 とりあえずはこの部屋か談話室以外のどこかに行けばいい。そう思って椅子から立ち上がり部屋を出て、特に行くあてもなく屋敷の中を彷徨う。
 暫く屋敷の中を歩き回り、がたがたと中庭に出る扉に強い風が吹きつける音を耳がとらえ、やっとダークは、自分の足が外に向かっていることに気がついた。確かに今日は寒いので、外まではリンクも探しに来ないだろう。
 扉を開けて中庭に出、ざくざくと音を立て霜柱を踏み潰し、中庭のベンチに腰掛ける。冷たい北風が頬をさすが、人間より体温が低いダークにとっては、なんてことはない寒さだった。
 冷たい北風に乗って、屋敷から誰かの笑い声が聞こえた気がした。自分のような魔物には、縁のないものだ。
 今頃リンクはどうしているだろうか。自分が談話室に来ると信じて待っているのだろうか。
 そう考えると、少し申し訳ないことをしてしまったと思った。だが自分は豪華な料理にも、サンタという白ひげを生やした人間が運んでくるプレゼントにも興味はない。雪が見れれば、それでよかった。
 雪は、雨のように濃い雲がある時に降ってくるものらしい。以前リンクにそう教えてもらったのを思い出し、天を仰ぐ。夜空は星ひとつ見えないほど雲で覆われている。雪が降る可能性もゼロではないのだと、信じたい。
「(たとえば)」
 たとえば今ここで、雪が降ってくれたなら。
 たとえば今ここで、雪が降りあの夢と同じ言葉を呟いたら。
「(それに答えてくれる人は、誰も居ない)」
 そう思うと、急に胸が苦しくなる。
 何故かはわからない。ただ胸にぽっかりと穴が開いたような苦しさが、虚しさが体を支配していた。人間ならこの気持ちをなんと言うのか、きっと知っているはずだろう。後でリンクに聞けば、教えてもらえるだろうか。
「……ひとりは」
 無意識のうちに、零れ落ちる言葉。ベンチに座ったままダークは小さく蹲る。
「ひとりは、嫌だ」

 雪を見るなら、あいつと一緒に見たい。
 この時初めて、雪が降らないで欲しいと、心の底からそう思えた。




 紙で出来た、雪が降る。
 雪といっても、紙を切って作った雪の結晶のことだ。
 クリスマスの飾りとして壁に貼られていた雪の結晶が、はがれて床に落ちてしまっただけ。ただ、その紙でできた雪の結晶がひらひら地面に落ちていく様を見てぼくは、雪が降っている、と思ってしまった。
 ひらひらと天霧る、雪。
 ぼくの同居人が、ずっと前から見たがっているもの。
 彼にはなるべく色んなものを見せてあげたいと、前々からずっと思っているのだけれど。雪なんて見たいと言われてすぐに見せられるものじゃない。
 この世界に居る間に、雪が降ってくれたらいいなとは思っているけれど、マスターハンドに聞けばここは一年に一、二回雪が降れば良い方という気候らしいので、運が悪ければ見れないかもしれないと言っていた。
「(まして、ホワイトクリスマスなんて)」
 ――ホワイトクリスマス。クリスマスの日に運よく雪が降ってくれれば、その日はホワイトクリスマスと呼ばれるらしい。
 どうせなら雪を見せてあげるなら、ホワイトクリスマスの方がずっといい。
 でも神様はそんなに優しくなんかないから、ぼくたちの願いは聞き入れてはもらえないだろう。実際、今日の夜空は星が一つも見えないほど雲に覆われているけれど、それほど寒くはないし、とても雪が降りそうな天気には見えない。
「リンク、どうしたんだい?」
 声をかけられ振り返るとそこには、怪訝そうな表情をしたマルスが立っていた。
「あ、なんでもないよ」
「……そう。ところで、ダークはどこに?」
「ダーク? ……あ! あいつ!」
 部屋の中を見回す、ダークの姿が何処にも見えない。次に、壁にかけられた時計を見る。この時間になったらここに来るように、としつこくダークに言っていた時間は、とっくに過ぎていた。
「ちょっと探してくる! あ、あとこれ元の場所に貼っといて!」
 マルスに持っていた紙の雪の結晶を押し付け、急いで談話室を出た。



 談話室を出て、自室に向かうために廊下を歩く。少し苛々しているせいだろうか、少しぼくは早足になってしまっていた。
 そんな苛々しているぼくの耳が、強い風がドアに吹きつけるがたがたという音をとらえる。音がしているのは、中庭に出る扉だ。
「(もしかすると)」
 そう思い、ドアのノブに手をかける。
 これはただの勘だ。もしかすると中庭に彼が居るかもしれないという、ただの勘。
 ぼくはその「もしかしたら」だけで扉を開けて、中庭に出てみたのだけれど、やっぱり誰の姿も見えない。その上今は冬の夜だけあってとても寒く、中庭なんかに出るんじゃなかったと、ぼくが後悔したのは言うまでもない。
「どこに行ったんだよ、もう……」
 ダークを見つけてパーティーに連れて行きたいのは山々だが、この寒い中屋敷を探し回るのは億劫だ。ダークが行きたくないと思っているなら、このまま放っておいてぼくだけ戻るのもありかな、とも思う。
 ぼくが諦めかけたその時。中庭の向こうに、黒が見えた。
 薄闇の中に、深い黒。そして、仄かな月の光を反射して輝く銀。
「……あ」
 ダークだ。何故か中庭のベンチに座ったまま、微動だにしていないが、中庭の向こうにダークが居る。
「ダーク! 何しているんだよ……もう!」
 ざくざくと音を立て霜を踏み、早足でダークに駆け寄る。やっとダークもぼくの声に気付いてくれて、顔を上げてくれた。
「そんなところに居たら寒いに決まってるだろ! ……っ?」
 体に、頬に、冷たいものが触れる。
 すぐにそれがダークがぼくに抱きついてきているせいだと理解できたけど、どうしてこういう状況になっているのかが理解できず、頭が混乱している。
 ダークに体を離させ、何かあったのか聞こうとするが、ダークは俯いたまま顔を上げてくれないので、無理矢理顔を上げさせようと、頬に手を置こうとしたが、
「うわっ……冷た」
 想像以上にダークの肌は冷たく、かなり長い間外に居たことがわかった。頬は氷のように冷たく、いつのまにかぼくがダークの頬に手を置いた目的が、顔を上げさせるためではなく、頬をあたためるために変わっていた。
「……あたたかい」
「ダークが冷たすぎるんだよ。一体どうしたのさ。らしくない」
「わからない」
「わからないって、自分のことだろ?」
 すっかりダークの頬に手の体温を奪われてしまったので、今度はこっちのほうから抱きしめてやる。
 するとダークは頬をすり寄せ、子どもみたいに甘えてきた。……本当にらしくない。
「わからないんだ。多分、お前なら知っている」
 この感情を、なんて言うのか。耳元でダークの囁き声が聞こえる。
 そんなことを言われても、話の全様が全く見えてこないので、何が何だかさっぱりわからない。確かにダークは自分の感情に限らず、まだまだ物を知らない面が多いから、そういうことを言っているんだと思うのだけれど、話を聞かないことにはわからない。
 でも何かわからないことがあるのなら、それを教えてあげるのが自分の役目だと思っている。抱きしめながらその銀髪を撫でてやると、くすぐったそうにダークが腕の中でわずかに身を捩った。
「……よくわかんないんだけど、さ」
「ん」
「話してみてよ。多分、教えられると思うから」




 夢の中で、雪が降る。
 ひらひらと舞い踊る白い雪は、小さなクリスマスツリーの上に、既に深く雪が積もる屋根の上に、赤い帽子をかぶった雪だるまの上に、燦々と降り注いだ。――この風景には、どこかで見覚えがあった。自分の記憶を漁り、目的の記憶にたどり着くまでに、そう時間は掛からなかった。
「(これは……ダークの)」
 懐かしい。その昔、雪を見たことがなくて、雪にとても興味を示していたダークがよく眺めていた、あのガラス玉。
 そして自分は今、あのガラス玉の中に居る夢を見ているのだ。
 あのガラス玉の中で自分は、燦々と降り積もる雪を眺めていた。雪は自分の頭上にも、自分の肩にも燦々と降り積もる。ゆっくりと自分の体温で溶けていく雪が、とても冷たい。
 そっと手を前に出せば、白い花びらのような大きめの雪が、手に落ちては溶けてを繰り返す。そうしている間に、すっかり手の体温を雪に奪われてしまったので、冷たくなった手を引っ込めた。
「これが、雪」
 この空間には自分ひとりだと思っていたのに、後ろから聞き覚えのある声がする。
「そうだよ、これが雪。……綺麗だろ?」
 知らず知らずのうちに自分は、その聞き覚えのある声にそう答えていた。
 自分の独断で勝手に連れ出し、自分が手を引いて沢山のものを見せ、教えてあげた彼の声。
 所詮は魔物と人間という相容れない関係なのに、自分に絶対の愛情と信頼を寄せてくれる彼の声。
 自分の視界に彼の姿は見えない。しかし彼は自分の後ろに、すぐ近くに居るのだと、強くそう思うことが出来た。
「ダーク」
 自分の後ろに居るはずの彼の名前を呼んで、リンクは振り返る。

 そこで、夢は終わってしまった。



 夢の世界に居ても、これは夢だ。そう思うことの出来る夢は、何と言っただろうか。
 手櫛で寝癖を治しながら、ぼくは寝ぼけた頭でそんなことを考えていた。
「(めい……明……なんだったっけな)」
 確かに聞き覚えがあることはあったのだが、最後の一文字だけがどうしても思い出せず、ぐしゃぐしゃとせっかく手で整えたばかりの頭を掻き毟ってしまった。
 掻き毟ってしまったせいで乱れた髪をまた手で調えながら、壁にかけられた時計を見る。
 確か一時間ほどの休憩を貰って、すぐに部屋に戻って、そのままテーブルに突っ伏して寝てしまったのだろう。壁にかけられていた時計は寝る前、最後に見た時から分針が四十五分ほど動いていた。
 乱れた髪を整え終え、椅子から立とうとした時、こんこん、とノックの音がする。入っていいよとドアに向かって声をかければ、マルスが部屋の中に入ってきた。
「ああ、やっぱりここに居たんだね。休憩を貰ったって聞いたから」
「どうしたのさ?」
「そろそろ時間だから、君を呼んでくるよう頼まれたんだ。本当はアイクも一緒だったんだけど、ツリーの飾り付けがまだ終わっていないから、そっちに引っ張られていってね」
 ――今日はクリスマスイブの日だ。それも、何度目かの。一応、アイクたちがここに来てからは二回目のクリスマスということになるんだろう。
 今年もパーティーの料理の為に、料理が出来る人達は厨房にこもりきりになる。それは勿論ぼくだって例外じゃない。
 そんな中やっと一時間だけ休憩を貰えて、部屋に戻ってきたのに、疲れていたせいですぐに寝てしまった。ちょっと勿体無いことをしてしまったな、とも思う。
 そういえば、寝ている間に夢を見た。
 夢の中に居ても、これは夢だと思うことの出来る、夢。
 たしかそういう夢にはちゃんとした名前が付いていたはずなんだけど、さっきの通り、ぼくはそれをなんて言うのか思い出すことが出来なかったんだ。ぼくより頭が良くて物知りなマルスなら知っているだろうかと、問いかけてみる。
「……ねぇマルス。夢の中でもさ、『これは夢だ』って思える夢って、なんて言うんだっけ」
「え? それは多分……明晰夢じゃないかな。そんな夢を見たのかい?」
「あー、マルスが来る直前まで寝てたんだよ。なんていうか……変な夢だった」
「変な時間に寝ているから、変な夢を見てしまうんだ。ちゃんとした時間に寝ないと駄目だよ」
 口にしてみると、言うほど変な夢でもなかったかもしれない。
 あの夢の世界は、どちらかというと綺麗な場所だ。いつかダークが持っていた、あのスノードームというガラス玉の中で、燦々と降り注ぐ雪を眺める夢。
 そういえば、まだロイ達が居た頃のクリスマスで、雪を見たことがないダークがずっと眺めていたあのガラス玉は、今何処にあるんだろう。
 あの後クリスマスのグッズを倉庫に戻す際、そのガラス玉も一緒に戻してしまい、その後すぐに雪がこの世界で降ってくれたので、かねてから雪を見たがっていたダークの夢は、こうして叶った。
 その為、次のクリスマスでダークがあのガラス玉を倉庫から出してくることはなく、ぼくも今日あの夢を見るまで、あのガラス玉の存在はすっかり忘れていたくらいだ。
「何処にあるんだろうな……あれ」
「何の話?」
「あ、ごめん。ただの独り言」
 だから忘れてよ。そう言って、喉が渇いていたことに気付きテーブルの上にあったコップに手を伸ばす。しかし生憎コップの中身は空で、起き掛けの体では一々水をコップに注ぎにいくのも億劫で、諦めてぼくはコップを元に戻してしまった。
 それを見たマルスが、僕が入れてくるよとコップを取ろうと手を伸ばした。その際に、ぼくとマルスの手が一瞬触れる。すると、マルスがその手を引っ込めてしまった。
「ん?」
 ぼくの手に触ったマルスの様子が少しおかしいので、どうしたのだろう。と思っていると、マルスがぼくの手を取り、
「リンクの手は冷たいね」
「そう? 冷たいのかな」
「うん、冷たいよ」
 マルスがぼくの冷たい手をあたためようとしているのだろう。そのまま包み込むようにぎゅっと手を握ってくれる。確かに、マルスの手がとてもあたたかく感じられるので、元々ぼくの手は人よりも冷たい方なのかもしれない。
 でもこんな時に思い出すのはあの時、この手をあたたかいと言ってくれた、彼の姿。
「そっか、そうなのかも」

「ダークはあたたかいって、言ってくれたんだけどね」







 目蓋の裏で、雪が降る。
 ひらひらと花びらのような雪がひとつ、ふたつと目蓋の裏で舞っていた。
 次第に目蓋の裏の雪は増えていって、沢山の雪がひらひら舞うようになる。
 それを見たおれが思い出したのは、いつかの、あのガラス玉だった。
 生まれて初めて見た雪でもなければ、子供組の奴らが作った雪だるまでも、ロイにぶつけられた雪玉でもない。中に水と、雪に見立てた小さな塵が入った、あのガラス玉の置物。
 あの頃のおれは、「雪」というものにとても興味を示していた。生まれて初めて読んだ本に天霧る雪がいかに綺麗であったかという描写があったからだ。
 その時おれは一度も雪というものを見たことがなく、さらにものを知らない面があったので、雪が一体どんなものか想像することすらできなかったが、雪はとても綺麗なもの、ということだけはわかった。
 そして、雪を見たいと言い出したおれに、あいつは一緒に居ればいつか雪が見れるはずだと言ってくれた。おれはそれを信じ、あいつと共に居た。勿論共に居続けた理由はそれだけではないけど、あの頃のおれは本気でそれを信じていたのは事実だ。
 クリスマスが終わり、あのガラス玉を倉庫にしまってから暫くして、この世界で初めて雪を見た。手のひらの雪が溶けていく様にとても驚いたのもよく覚えている。
 だが雪に纏わる思い出で一番記憶に残っているのは、実際に雪を見た日のことではなく、あのガラス玉のことだ。正確にはクリスマスの頃だろうか。
「(あれは、何処に行ったんだろうな)」
 今更埃まみれの倉庫を探しに行く気にもなれないが、おれはぼんやりとそんなことを考えていた。――そういえば、俺があのガラス玉の中に居て、降り積もる雪を眺める夢も見たことがあったか。
 壁にかけられた時計に視線を移す。もうすぐあいつが無理矢理パーティーの席におれを連れて行くために、部屋に戻ってくる頃だろう。その前に部屋から出て、パーティーの間どこかで時間を潰すつもりだ。
 初めてここにきた時から、おれはクリスマスパーティーに出たことはなかった。おれは賑やかな場所が嫌いで、プレゼントにも料理にもなんの興味もないからだ。おれ以外にもそういう奴がいることは知っているが、実際に出ないのはおれだけらしい。
 そういう理由でクリスマスイブの夜にパーティーの席に現れないおれと、そんなおれを探し回るあいつというのは、もう恒例になってしまっているようだ。おれにしてみればどうでもいいことなのだが。
 椅子から立って、どこで時間を潰すか考えながら部屋を出る。前は中庭に居たところをリンクに見つかってしまったので、別の場所に居たほうがいいだろう。
 とりあえず談話室とは正反対の方向へと脚を進めようとした時、後ろからおれの手を誰かが掴んだ。
 まるでお前の行く場所はそっちじゃないと、おれを引きとめるかのように。
「……リンク」
 振り返るとそこには、不機嫌そうにおれを睨むリンクの姿があった。



「まーた逃げ出そうとしてただろ! あれだけ言ったのに!」
 実に不機嫌で、そして実に不愉快そうに愚痴を零しながら、リンクがばたんと力任せに部屋の扉を閉める。
 部屋の扉の前でリンクに腕を掴まれたおれは、腕を掴まれたまま部屋に連れ戻され、今に至る。
 部屋に連れ戻れたのはいいが、散々談話室に行けと言っていたわりには、何故おれの腕を掴んだまま談話室に連れて行かなかったのだろうか。いつものリンクなら確実に、無理矢理おれの腕を掴んで談話室のほうへと連れて行くはずなのに。
「じゃあどうして部屋に連れ戻した」
「どうせ行く気なんかないんだろ? 行く気があるなら話は別だけどさ」
「わかってるじゃないか。さしずめ今回はお前が折れたってところか」
「悪いのはダークだからね!?」
 ばん、とテーブルと叩く。原因であるおれが言うのもなんだが、どうやら相当機嫌が悪いらしい。
 おれは機嫌を損ねているリンクの為に、紅茶でも入れてやろうとキッチンに立つ。勿論これで許してもらえるとも機嫌を直してもらえるとも思ってはいないが、何もしないよりはましだろう。それに、これでパーティーに出なくて済むのなら何よりだ。
 やかんに火をかけて、茶葉や砂糖、ティーセットの用意をする。甘いものも一緒に出せば少しくらい機嫌をよくするだろうと、茶菓子用のクッキーも数枚皿に並べる。リンクはその間、部屋の窓の前に立って外を眺めているようだった。
「お前は行かなくていいのか」
「どうして、そんなことを聞くのさ」
「一人で十分だからだ。別におれになんか構わなくていい」
「……なんだよ、一人は嫌だって言ったのはダークじゃないか」
 リンクが何かを呟いているのが聞こえたが、最後の方だけは声のトーンを落としてしまったので、上手く聞きとることができなかった。
 おれには聞いて欲しくはない言葉だろうというのは容易に想像できるので、あえて聞き返そうとはせず、そのまま黙ってポットの中に熱湯を注いだ。リンクもそんなおれには、何も言ってはこなかった。
「……あ」
「なんだ」
 ティーセットとクッキーがのった皿を置いたトレーをテーブルへと持っていく途中、リンクが一つ言葉を零して、沈黙を破る。
「見てダーク、雪だ」
「雪?」
 トレーをテーブルの上に置いて、リンクの隣に立ち、窓の向こうをじっと見つめる。
 すぐには見えなかったがよく目を凝らせば、窓の向こう、僅かな明かりしかない闇の中で、ちらちらと小さな雪が舞っているのが見える。いつかのおれが、見たがっていたものだ。
 既におれは雪を見ていたので、別に雪を見るのは今が初めてではない。
 だからさして感動はしなかったが、おれの隣に立つリンクはこの雪にとても感動しているようだった。横目に見て、その碧眼が輝いているのがわかる。
 確か、人間達――というよりマスターハンドの世界の住人達は、クリスマスに運よく雪が降ればその日は、ただのクリスマスではなく、ホワイトクリスマスと呼ぶらしい。こいつが感動しているのも恐らくそのせいだろう。確かにここはあまり寒い場所ではないから、雪もそんなに見れない。こうしてクリスマスの夜に降ってくれたのも、奇跡みたいなものなんだろう。
「でも……多分この雪は、一時間もすぐしないうちに止んじゃうね」
 天霧る雪を眺めながら、リンクは残念そうに笑った。
「そういうものなのか」
「そうだよ。でも、こうして見れただけでもよかった。……いつかの願いが、叶ったみたいだ」
「いつかの、願い」
 自分の記憶を確かめるようにそう呟く。
 いつかのクリスマスで、ずっと眺めていたスノードーム。
 いつかのイブの夜、二人でした願い事。
 ぼんやりと、人間に比べれば僅かしかない思い出を辿るおれの隣でリンクが、
「皆はさ、この雪のこと気付いてるかな」
「さぁな。よく目を凝らさないと見えないから、気付いていないんじゃないか?」
「そうだといいね。もし気付いていなかったらさ、秘密にしておこうか」
「……ああ、わかった」

「約束だ」






 ぼくがここに来るまで、彼が一体どんなことを感じていたか話している間、ぼくはずっとダークの体を抱きしめていた。
 自分の気持ちをどんな言葉で表現したらいいのかわからないらしく、話し方はどこかしどろもどろだ。それでも聞き返したりはせず。根気よくダークの言葉に耳を傾け続ける。
 ダークはあまり寒さを感じていないかもしれないが、正直こうやってずっと外に居ると、やはり寒い。でもこんな状況じゃ文句なんて口には出来ないから、それに関しては黙ったままでいた。
 一通り話し終えたらしいダークが、体を離す。
 ダークの言っていたことを頭の中で整理して、一体彼が感じた気持ちにはどんな名前があるのか、その答えを導き出す。
「……なーんだ、そんなことか」
「おかしいのか?」
「ううん、おかしくなんかない。極々普通の感情だよ」
 そう、おかしくなんてない。人間にとっては極々普通の感情だ。
 そんな極々普通の感情を魔物であるダークにも、ちゃんと感じ取ることが出来た。それがなんだか嬉しくて、思わず笑みがこぼれる。
「そっか、ダークもちゃんとそう感じることが、出来るんだね」



 部屋に戻ってまず目に付いたのは、テーブルの上の皿だ。
 皿の上には何故か同じくらいの大きさの雪玉が積み重ねられている。それだけならまだいいかもしれないけど、部屋の中がそこそこ暖かかったので、雪玉は溶けかけてしまっていた。どうしてこんなものがここにあるんだろう。
「どうしたのさ、これ」
 その皿の近くに置いた本を読んでいたダークにそう尋ねれば、顔を上げた彼に、
「中庭にあったものを真似た」
 とだけ返される。
 中庭にあったもの。ネスたちが作っていた雪だるまのことだろうか。
 確かに中庭の出入り口辺りに、これよりももっと大きな雪だるまが置いてあったはずだ。
 今日は朝から雪が降っていて、子供組の皆は外に出て雪だるまを作ったり、雪合戦をして遊んでいたのだ。ただ途中、雪玉を爆弾と勘違いしたダークが本物の爆弾を投げ込んだせいで、けが人は出なかったとはいえ、大変なことになってしまったけど。
 ダークはあの雪だるまを見て、自分でも真似して作ってみたのだろうか。
 ……それは別にいいんだけど、でも、
「ちょっと変じゃないかな?」
 ダークの作った雪だるまは、なぜか上の雪玉よりも下の雪玉のほうが小さいので、これじゃ雪だるまじゃなくて、ただ雪玉を重ねただけの状態になってしまっている。
「そうなのか」
「雪だるまは、下の雪玉が上より大きくなきゃいけないんだよ。……これは片付けて、明日また作り直そうか」
 半分以上溶けかかった雪だるまが乗っている皿を、流しの上に置く。
 ついでに何か紅茶でも入れようかと、思い。ダークに紅茶は居るかどうか尋ねるべく、後ろを振り返ると、ダークはどこか神妙な面持ちで、窓の外を見つめていた。
「……あれが、雪」
 彼にしてみれば、ただの独り言のつもりだったんだろう。ぼくはその独り言を聞いて、いつかのダークの望みを思い出した。
 雪が見たいと口にしたダークとした、約束。
 以前倉庫から引っ張り出してきた、あのガラス玉。
 イブの夜、中庭でダークが初めて得た、感情。

「そうだよ、あれが雪。……綺麗だろ?」
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