「ね、これおいしそうだと思うだろ?」
「どれ?」
「ほらほら、これ。マルスが好きそう」
 リンクが読んでいた分厚い本を持ち上げ、カップが二つ乗ったトレーを持ってテーブルの横に立つ僕に、あるページを鉛筆で軽くとんとんと叩き、それらしい写真を見せてくる。
 リンクの横に熱いココアが注がれたカップを置きながら、ペンの先の写真を見る。てっぺんに真っ赤な苺が乗っている、ホールのチョコレートケーキの写真だ。
 マルスが好きそう。――確かにそのケーキは、僕の好みそうなものではある。
「確かにおいしそうだけど……でも」
「甘さ控えめみたいだよ? 紅茶に合いそうだねぇ」
「いや、そういう問題じゃなくて」
「マルスの分もちゃんととっておくから大丈夫だって」
「いや、それも違う。僕が言いたいのはそういうことじゃなくて……それ、作れるの?」
 リンクは持っていた本を開いたままテーブルの上に置いて、僕が持ってきたココアを飲む。一口二口飲んだ後に、カップから口を離し、白い歯を見せにっこりと笑い、
「作れるよ。このくらい簡単」
 と、さも作れて当然であるかのように、頬杖をつきながらそう言った。
 今年のクリスマスが近くなって、色々なメンバーの口からクリスマスの話題が出るようになった。プレゼントはどうするか、ケーキは何にするか、パーティーの飾り付けはどうするか。そんな話題を僕もよく耳にしているし、その会話の中に入っていくこともある。
 そしてリンクはパーティのケーキ作りを任され、こうしてケーキのレシピを探している。というわけだ。
 早くに親を失い一人で生きてきたこともあってか、リンクはそれなりに手先が器用で、要領が良い。
 ロイに紅茶を入れる時以外キッチンに立つなときつく言い聞かされている僕とは違い、彼は料理なんてお手のものだ。この世界に来るまでケーキを作ったことはなかったとは聞いたのだが、それでもこうして難なく作れているのだから、本当に要領がいいのだろう。
 ちなみに僕はロイと一緒に飾り付けを任されている。つまり特にすることがないので、リンクと違い誰でも出来る仕事を任されたというわけだ。
「なんでも出来るよね、君は」
「なんでも出来るって言うよりは、そうしないといけなかった感じかな。別に一人でなにもかも出来てきたわけじゃないけど、出来ないといけないことは沢山あるからさ」
 手元の鉛筆を忙しそうに動かして、リンクはケーキのレシピを紙に写し取りながらそう言う。どうやらこのケーキを作ることは決まったらしい。勿論このケーキだけではなく、あと二、三個別のものを作るとは聞いているが。
「それでも要領がいいってことに変わりはないだろう?」
「こっちは王子様と違って、なんでも出来ないとだめなんでね」
「嫌味かい?」
「そう、嫌味」
 その嫌味に少しだけ眉を寄せれば、そんな顔しないでよ、とリンクが右手をひらひらと振って、僕を茶化す。
「それで、結局そのケーキにするの? あと、いくつ作るつもり?」
「三つ四つくらいかな。でもまだわかんないよ、試しに作って味見もしたいしね。マルスは何が食べたい? 好きな果物とかあったっけ」
「……僕だけに食べたいものを聞くのはどうかと思うな。ネス達に聞けば、いくらでも答えてくれるだろう?」
「マルスの特権だって思えばいいよ。ネス達なら別に聞いてないのにすれ違うだけで何が食べたいか言ってくれるから、もう知ってるしね」
 くすくすと思い出し笑いをしながら、リンクがテーブルの上にあったもう一冊のレシピ本を、僕の方へすっと差し出す。
「なら、ますます僕なんかに聞く必要はないじゃないか」
 ずっと持ちっぱなしのトレーをテーブルの上に置き、
差し出された本をリンクの方へ押し戻そうと手を伸ばす。
「……?」
 伸ばした手をいきなり掴まれて、驚いてリンクの方を見た。彼はにっこりと笑っていたが、こういう時は大体ろくでもないことをしてくる時だ。
 案の定、掴まれた腕をぐいとリンクの方へ引き寄せられる。僕の耳にリンクの吐息がかかり、頬に柔らかい何かが当たる感触がした。
「特別に聞いてあげるって言ってるんだ。そんなつれないこと言わないでほしいんだけど?」
「本当に、君って人は……」
「文句があるなら聞くけど」
 手を離されたけれど、その代わりに無理矢理レシピの本を押しつけられる。呆れてため息をついた僕は、リンクの向かいの椅子に座り、本を開く。
「……僕が選ばないと駄目なんだね」
「そ、選ばないとだめ。マルスだけの特権なんだからさ」






 かしゃかしゃと音を立て、リンクがボウルの中身を黙々とかき混ぜる。
 ボウルの中には、数時間後には大きなホールのチョコレートケーキとなって、メンバーのみんなを笑顔にしてくれる、ケーキの生地が入っている。
 小麦粉やビターチョコレート、砂糖なんかをかき混ぜ、ケーキの生地を作っている。生憎僕はこの世界に来るまで厨房に立ったことが無く、包丁もろくに握ったことが無いという、実に情けない有様なので、料理のことはよくわからない。
 その上ここに来て間もない頃、厨房に立たされた時に、お皿は割るわ料理を焦がすわ調味料の分量は間違えるわで、酷いことになってしまったので、厨房には立つなと皆からきつく言い聞かされているのだ。
 今僕はこうしてリンクの隣で皿洗いをしているが、それすらも何でもいいからリンクの手伝いがしたいと、交渉の末リンクが妥協に妥協を重ねて、皿洗いならとなんとか厨房に立つのを許してもらったくらいだ。
 自分の紅茶を入れるために今は何度か自室のキッチンに立つことはあるのだが、紅茶を入れるとき以外自室のキッチンにも絶対に立つなときつくロイに言い聞かされているので、あれから料理は一切したことがない。それでも油断してしまうと、火にかけられたやかんを放置してしまったりするので、僕に料理のセンスは欠片もない、というより最早センス以前の問題なのだろう。一応自覚はあるつもりだ。
「……ねぇ、リンク」
「ん、なぁに?」
「皿洗いが終わりそうなんだけど、他に手伝えることは無いかな」
 出来ることは本当に限られているが、それでも何かがしたいので、お皿を丁寧に拭きながらそう聞けば、リンクは手をせわしく動かしボウルの中身をかき混ぜながら、
「大丈夫。マルスは休んでていいよ」
「僕はまだまだ手伝いたいんだけど、駄目かい?」
「マルスに出来そうなことは、今のところないよ。ほらほら、お皿割らないように気をつけてね」
「そ、そんなことするわけ……あっ」
 小さい子の相手でもしているかのようにリンクが言うものだから、少しむきになってしまったのがまずかったのだろう。油断して手をつるりと見事なまでに滑らせてしまい、お皿が床に落ち、大きな音を立てて粉々に割れてしまう。
「あーあ。ほらみろ、言わんこっちゃない」
 リンクの呆れた声が聞こえ、慌ててお皿の欠片を拾い集めるべくしゃがもうと、一歩後ろに下がろうとしたとき、足元には何もなかったはずなのにこれまたつるりと綺麗に足を滑らせてしまう。
 視界がぐらりと傾く、何かに捕まろうと必死に手を伸ばしたけれど、その手もただむなしく空気を掴むだけだった。
 咄嗟過ぎて受身も取れずにそのまま僕は床に倒れ、体をぶつけてしまうことを覚悟し、これから来る痛みに耐えるべく歯を食いしばろうとした瞬間、傾き続ける視界が急に止まる。
 そして自分の体が今リンクの腕の中に居るということがすぐにわかる。呆れ顔のリンクが目に入って、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「……っと、そそっかしい王子だなぁ。ほんと」
「ごめん……えっと、その」
「ロイがマルスにきつーく言ってた理由が、今ならわかるよ」
「ごめんってば。だから、……リンク」
 恥ずかしいから、離れてほしい。
 その言葉がどうも言い辛くて、口をもごもごさせていると、僕が何を言いたいのかリンクが読んでしまったのか、いたずらっぽく笑ってさらにずいと顔を近づけてくる。
「ん、このまま何かしてくると思った?」
「あ、ええと……」
「顔にそう書いてある」
「えっ?」
「嘘。……っていうのが嘘だけど。顔赤いよ」
 傾いていた体を抱き起こされ、急いでリンクの腕の中から離れる。
 そう言われてしまったのがなんだか悔しいけれど、確かに全身になんだか熱が篭っているような感じがするので、確かめようはないが、リンクの言うとおり本当に顔が赤くなっているのだろう。
 ぱちんと自分の両頬を自分で軽くはたく。すぐに赤くなってしまう自分が実に情けない。
「大丈夫。これが終わったらキスくらいいくらでもするからさ」
「そ、そんなこと思っていない!」
 彼の背中にそう怒鳴っても、リンクはひらひらと手を振り、僕を茶化すだけだった。
「よく言うよ。マルスの顔ほんとに真っ赤。まぁ……待っててよ。終わったら、だからね?」







 今更過ぎるのかもしれないが、こうして後ろから見ることで、あらためてリンクの器用さを実感することが出来た。
 ひと波乱あったものの(といっても全て僕のせいなのだが)、すでにふんわりと焼きあがったスポンジにリンクは器用にチョコレートクリームを塗り、今は黙々とチョコレートケーキのデコレーションに取り組んでいる。
 均等にリンクはクリームをスポンジの上に絞り、その上に真っ赤な苺を載せていく。彼がそれなりに集中していることが、その背中を見ているとよくわかるので、僕も声をかけないように、黙ってリンクの背中を見つめ続ける。
 割ってしまった皿を片付けたあの後、僕は交渉の末、またもリンクに妥協に妥協を重ねてもらって、何とかリンクの傍にいることを許された。リンクの手伝いも皿洗いもせず椅子に座ってリンクの後姿を見たり、持ち込んだレシピ本を読んでいるだけ、ではあるが。
「……マルス、悪いんだけど」
「何?」
「そんなにこっちを見ないでほしいんだ。ちょっと気が散るから、さ」
「あ、ごめんリンク」
 慌てて視線をリンクの背中から膝の上のレシピ本に落とす。こうして色々なレシピをちゃんと読めば、僕のような人間にもそれなりにわかるよう、図解もあって実に丁寧に書いてある。
 これを読んでいれば僕にだって料理が出来るような気がしてくるのだが、恐らくそれは無理だろう。料理にはセンスというものが必要で、僕にその料理のセンスと言うものは欠片も存在しないのだ。
 よって、いくらレシピの内容を理解しようと、僕に料理は出来ない。
 そして、今僕の目の前で料理をしている彼は、そのセンスというものを持っている。そんなところだろうか。
 諦めてレシピ本を閉じて、顔を上げる。見ればリンクも、チョコレートケーキのデコレーションを半分ほど終えて、少し休憩をしているようだった。リンクが伸びをしようと、腕を天井に向けて上げようとする。
 しかしその際に腕をぶつけてしまったのだろう。からん、と音をたててスプーンが地面に落ちた。
「僕が拾うよ」
「いいけど、転ばないでよ?」
「……そのことを掘り返さないでくれないか」
 椅子から立ち上がりリンクの足元のスプーンを、体をかがめて手を伸ばし拾おうとしたその時、
「っ!?」
 ばちん、とそれなりに大きな音がして、視界が真っ暗になってしまった。
 これは今までにも何度か経験したことがある、電気を使いすぎてしまうと起こるという、停電というものだろうか。
 僕の世界には「電気」という、不思議でいてかつとても便利なものはないので、この世界に来てから初めて経験したものなのだが。
「あーあ、誰かがクリスマスの飾りで電気を使いすぎたんだろうな。スポンジが焼きあがった後でほんと、よかったよ」
「皆、大丈夫かな……」
「そのうち戻るんじゃないかな。……あ」
「どうかした?」
「マルスはその場から動かないでね。また転んじゃうだろ?」
 近くの暗闇から僕をからかうリンクの声が聞こえる。少しむかっとしてしまったので、リンクの声がする方へ歩み寄ろうとすると、
「わっ」
 何か硬いものを踏んでしまった。おそらくさっきリンクが落として、停電のせいでまだ拾っていなかったスプーンだろう。
 ただ踏んでしまっただけなら良かったが、暗がりの中、ということもあってかそのせいで僕は脚をひねり、体制をくずして地面に尻餅をついてしまった。近くからまた、リンクの笑い声が聞こえてきて、やっと暗闇に慣れつつある目が、尻餅をついたままの僕の目の前でしゃがむリンクの姿をとらえる。
「ごめん、暗いから抱きとめられなかった。……それにしたって、今日のマルスはよく転ぶねぇ。もしかして厄日なんじゃないの?」
 イブなのに。とくすくす笑いながら言うリンクの声が聞こえる。
「ほんと、そそっかしい王子様」
 頬にひんやりしたものが触れる、リンクの手だ。リンクが僕の頬に手を置いている。そのまま何故かふにふにと親指で唇を触られる。
 どうしてそんなことをしているのだろうか。
 僕がそう不思議に思い首を傾げてリンクに尋ねようと思ったその瞬間、唇に親指ではない何かをあてられる。感触はさっきの親指に近いが、さっきよりも僅かな湿り気を持っていた。
「(これ、は)」
 ――リンクの唇だ。リンクが、こんな状況なのに僕にキスをしている。
 暫くして、十分僕の唇の感触を楽しんだらしいリンクが、満足げにため息をついて唇を離してくれた。あわてて僕は服の袖で唇を拭い、
「な、何?」
「ん? だって、約束しただろ?」
 あとでキスしようって。耳元でリンクの囁き声が聞こえ、自分の頬が一気に高潮していくのが分かる。
 この時だけは、停電中でよかったと思えた。
「だ、だって今は」
「今だから。大丈夫、誰かが来たり明かりが戻ったらすぐやめる」
「君って人は本当に……!」
「返事は? ……ぼくって、マルスが思った以上に都合のいい頭してるから、自分のいい方に解釈しちゃうよ?」
「う、うるさい! もう……勝手にすればいい」
 やけくそでついつい口にしてしまった言葉。
 勿論、口にしたその僅か数秒後に後悔したのは、言うまでもない。
「はいはい。じゃ、こっちの都合のいい方に解釈させてもらうからね?」






 暗がりの中、情けなく尻餅をついたままの僕は、リンクに唇を塞がれた。
 そのままリンクは僕の後頭部に手を置き、ぐいと頭を引き寄せ、その隙に僕の口内に舌が入り込んでくる。
「ん……ぅ……」
 目を開けても閉じても、視界は真っ暗なことに変わりはないので、そのぶんそれ以外の感覚が鋭くなる。
 ぞくぞくと粟立つ肌はきっと、嫌悪感から来ているものなんだ。決してこんなことを望んでいたからじゃない。口蓋を舌でくすぐられて、びくんと体が震える。リンクはそんな僕の反応を楽しんでいるのだろう。何度も同じところを舌先で弄られ続ける。
 びくりと震え、熱を持つ体。
 どうして体がこんなに熱いのか、理由なんて考えたくもない。
 ばちん、と明かりが全て消えたときと同じ音がして、再び厨房の中に明かりが戻る。その眩しさに一瞬だけ目を細めた。
 明かりが戻ったらやめる。そんな約束であった以上、リンクもすぐに唇を離してくれるはずだと思いきや、唇を離すどころか舌をより深いところまで捻じ込まれていく。飲み干しきれなかった唾液が口を伝った。
「リンク……や、やめて……っ!」
 息が出来ないから離して欲しい、という意思を込めて、リンクの胸をありったけの力で叩く。ありったけの力と言ってもこんな状態じゃ上手く力を入れることが出来ないので、それほど強く叩いてはいないはずだ。
 僕に胸を叩かれたリンクは、最後に唇を残念そうに啄ばみ、やっと離してくれた。
「……馬鹿っ!」
 怒りに身を任せてリンクの頬を叩こうとしたが、頬から寸でのところでリンクが僕の手首を掴み、それを止めてしまった。
 手首を掴んだリンクがにんまりと意地悪そうに笑うものだから、それが余計に僕をいらつかせる。きつくリンクを睨むが、そんな僕の反応すらもリンクは面白がっているようだ。
「どうだった?」
「どうだったもないだろう! 明かりが戻ったらすぐにやめるって言ったじゃないか!」
「マルス、顔真っ赤」
「う」
 顔の赤さを指摘されて、僅かに顔を伏せた間に、リンクがこつんと額を合わせて、
「大丈夫、明かりが戻ったってすぐに誰かが来るわけじゃないんだから。……だから、もう一回。ね?」
「ね? って、そんなの……許すわけないだろ!」
「触れるだけのキスだよ。さっきみたいなのじゃないから」
 だからお願い。こんな至近距離でそんなことを言われて、僕が断れると思っているのだろうか。――いや、それはリンクのことだ。断れないと知っているからこそ、そう言ってくるのだろう。
 なんだか恥ずかしくていいよと答えるのも出来ず、黙って首を縦に振れば、リンクは嬉しそうにはにかんで、もう一度僕に顔を近づけてくる。
 諦めたように僕は目を閉じ、リンクの唇を待った。


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