どこからか、甘い匂いがする。
 ふわふわと屋敷の中をただよう甘い匂いに、ロイは軽く鼻をならす。上品な匂いだ。もちろんこの匂いの元がなんなのか、ロイにわからないわけがない。
 甘くもどこかほろ苦い、チョコレートという茶色いお菓子。板状のものをそのまま食べてもいいし、ケーキやクッキーの生地に混ぜて焼き上げたものはとても美味しいし、それに紅茶のお供としても合う。
 ロイやマルスが元居た世界にはなかった食べ物なので、この世界に来てから初めて口にしたものだったが、チョコレートはマルスもロイも気に入っているお菓子の一つだ。
 そしてこのチョコレートというお菓子には、ちょっと不思議な風習があるらしい。マスターハンドが言うにはなんでもちょうど今の季節に、好きな人に自分の気持ちを伝える為にチョコレートを送るというバレンタインデーという風習があるようだ。
 勿論季節行事をやらないと拗ねて大暴れするクレイジーハンドが、バレンタインデーのことを知っていないわけがない。現にこうして屋敷の中を甘い匂いがただよっているというわけだ。
 好きな人にチョコレートを送る風習といっても、この行事にはその他にも自分が世話になった人や友人に感謝の気持ちを伝えるためにチョコレートを送るという風習もあるようなので、この世界では専らそちらのほうがメインとなっているのだが。
 とにかく、今日はチョコレートが貰える日なのだ。既にゼルダ姫やピーチ姫からチョコレートを貰っている。男性が男性にチョコレートを送る、という風習はバレンタインデーにはないのだろうか。もしあるとするなら……
「ロイ、ちょっと渡したいものが……」
「は、はいっ!?」
 噂をすればなんとやらとはよく言ったもので、いつの間にかマルスが自分の後ろに立っていた。その手には小さな紙袋が提げられている。
 マルスからチョコレートがもらえないかと期待していたなど言えるわけがないので、不思議そうに首をかしげるマルスに、顔の前で手を振り、
「な、何でもないです。どうしたんですか?」
「チョコレートケーキを作ったから、ロイにも渡そうと思って。もう知ってると思うけど、今日はバレンタインデーだから」
 マルスが紙袋の中に手をいれ、カラフルな袋に入れられた、大きめに分けられているチョコレートケーキを取り出す。知っての通りマルスは全く料理が出来ないが、これは見た目だけならそれほど悪くはない。
 これは好きな人に渡すチョコレートか、知人に感謝の気持ちを表す為に渡すチョコレートか、マルスにとってこれは後者の意味でのチョコレートということはわかっているが、この際もらえるならどちらでも構わない。
「今回もリンクに見てもらったから、大丈夫だと思うんだ。ハロウィンの時は平気だっただろう?」
 確かに数ヶ月前ハロウィンの時に、マルスから作ったので食べてくれとパンプキンケーキを貰ったことがあった。その時は料理の出来るリンクが常に横に立ってみていたらしく、味もさほど悪くはなかった。
「じゃあ……頂きます」
「うん、どうぞ」
 今回もリンクが横で見ていたなら、きっと大丈夫だろう。その場で包みを解き、チョコレートケーキを口に運ぶ。甘くもほろ苦いチョコレートケーキをゆっくりと租借し、飲み込んだ。
「……おいしい」
「本当かい? そう言ってもらえると嬉しいな」
 嬉しそうに微笑むマルスを見て、照れ隠しのつもりでロイはもう一口ケーキを口にした。
 ……がり。
「?」
 明らかにケーキではない食感と音がした。ころころとその何かを舌の上で転がすと、先が尖っているものなのか、舌の上がちくちくと痛んだ。
「どうしたの?」
「ケーキに何かが混じってたみたいで……」
「混じってた? 何が?」
 もう一度その何かを舌の上を転がしてみる。
 硬く尖っていて、ケーキに混じっていてもおかしくないものというと……
「……卵の殻?」
 うっかりしていて混じっていた卵の殻に気付かず、そのままケーキ生地を焼き上げてしまったのだろうか。確かに料理が出来ないマルスなら、それくらいはやりかねない。
 たとえ横にリンクが立っていたとしても。
「ご……ごめんねロイ! そういうつもりじゃなくて、ええと、作る時に気をつけていたつもりだったんだけど……」
「あ、僕のほうこそ気にしなくていいです! それに、ちゃんと美味しかったですし」
「でも卵の殻が入っていたなんて……もう料理は二度としないようにするから……本当にごめん!」
「あっ……待ってくださいマルス!」
 真っ赤な顔のマルスが、ロイの持っていたチョコレートケーキを引ったくり、そのままわき目も振らずに去っていく。
 腕を掴んで引きとめようとはしたが、掴んだ腕も振り払われてしまった。
「……悪いことしちゃったかな」
 一人残されたロイは、その場でぽつりとそう零す。
 何かこちら側に非があったというわけではないのだが、それでも心が痛むのは事実だった。





 ゆっくりと租借して、アイクはマルスから貰ったチョコレートケーキを飲み込んだ。
 少し甘すぎるような気もするが、味自体は悪くない。
 もう一口、とケーキを食べようとしたところで、自作のケーキを食べてもらっているわりには、マルスがやけに心配そうな顔をしていることに気付いた。
「……なんなんだ?」
「あぁ……ちょっと気になることがあって。ねぇ、アイク」

「何か変なものが入っていたりとかは、ないよね?」
「……は?」
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