1

「急に呼び出してごめんね、ルキナ」
 君だって忙しいはずなのに。ルフレさんはそう言って、椅子に腰かけた私にお茶を差し出す。
 世界と私たちの未来を賭けたあの戦いが終わってから、ルフレさんはお父様の計らいにより、軍師として仕えていた今まで以上に高い地位に就くことが出来た。それこそ本人さえ望めば、お父様は広大な土地も城も喜んで与えてくれるに違いない。だがルフレさんはそれを拒み、城内に自分の部屋を与え、そこで今まで通り自分を聖王クロムの懐刀として傍に置いてくれるなら、それ以外は何も要らないと言い切ったのだ。
 それどころか今の地位に居ても、給仕の者も必要最低限の数しか要らないと言った。何か要り様のものがあれば給仕の者には頼まず、わざわざ自分で城下町に足を運んで買ってくる上に、今だって望めば給仕の者がいつでもやってくれるはずなのに、お茶も自分で淹れている。その謙虚さは彼の給仕を担当しているものが、本人が自分で何でもやろうとするせいで自分の仕事がないと嘆いているのが、私の耳にも届いたほどだ。
 ルフレさんはこちらの方が性に合っているからそうしているだけだと口にしているが、このような立場にあっても謙虚な心を忘れないことが、お父様だけではなく、様々な人を惹き付けてやまない理由の一つなのだろう。
「この時期に僕が君を呼んだ理由は、勿論わかっているだろう?」
 自分の分のお茶をカップに注いだルフレさんが、私の向かいの椅子に腰かける。
「ええ、わかっています。……この手紙のことですね」
 懐から、奇妙な形の封蝋で閉じられた封筒を取り出し、テーブルに置く。ルフレさんも、全く同じ形の封筒を懐から取り出し、それと並べて置いた。
「異界の魔符といいこの手紙といい、本当に奇妙なこともあったものだ」
「そうですね。お父様も一緒に……とならなかったのは残念でなりませんが、どうやらお父様は私達とはまた異なる形であの世界にいらっしゃるようで安心しました」
「あの世界でもクロムと共に戦うことが出来て、僕も嬉しいよ。それにしても……あの本に書かれていたことはどうやら本当のことだったようだね」
 数日前、離宮の隠し書庫が発見され、そこから一冊の古い本が見つかった。
 離宮に隠された書庫があったというだけでも、私達としては十分大きなことになるが、その本の中には、奇妙なことが書かれていたのだ。
「内容からしてとても信憑性があるとは思えないから、ただの偽物だと思っていたけれど……僕達のもとにこの手紙が来た以上、あれを信じざるをえなくなったな」
 その本の中で英雄王は、過去に単身で異世界へ行ったことがあったらしい。
 そこで英雄王はこの世界では絶対に見ることが出来ないような不思議なものに触れ、不思議な人々と言葉を交わしたという。さらにその異世界で、ここからはるか遠くにあるテリウス大陸に伝わる蒼炎の勇者アイク、エレブ大陸に伝わる若き獅子ロイとも親しくしていたという記述もあった。
 それが発見された頃は、とてもではないが信じられる内容ではなかった。
 異世界に行っていたという記述も勿論のこと、今の時代でさえテリウスとエレブ、この二つの大陸へ行くのには何ヵ月もの時間がかかってしまうのに、英雄王の時代にそれが出来るはずなどない。それゆえ英雄王が二人のことを知っていたなど、そんな話はありえないのだ。
 英雄王の伝説は二千年経った今でも語り継がれるだけあって、その伝説に変に尾ひれがついてしまっていたり、他の歴史書と比較すれば明らかに嘘だと分かるようなことが堂々と書かれている本なども、悲しいことにいくつか存在する。英雄王の血を引く王家の身として、そういった誤解を失くすことも私の使命と思っている以上、あの本に書かれていることもどうせ虚偽の話なのだと、さして気にしてはいなかった。
「まさかその異世界が本当に存在していて、しかもこの時代に生きる私達が、そこで魔符ではない本物の英雄王に会えるなんて……」
「正直に言うと、こんなものは誰かの悪戯だと思いたいんだけれどね」
 私も出来ることならこれは、随分と手の込んだ悪戯だと思いたい。だが目の前に並んだ二つの封筒が、それが嘘ではないことを証明していた。
 これは異世界の闘技場への招待状。
 受け取った私達もいまだに半信半疑なのだが、この手紙が送られた者は異世界へと向かい、そこで様々な世界からやってきた者たちと戦わなくてはいけないらしい。どういった場所で、
何をする場所なのかさえ上手く想像できないが、私達が魔符を手に入れた異界の門をさらに大規模にしたようなものなのだろうか。
 そしてあの本に書かれていた通り、二千年前にこの大陸に居た英雄王も、手紙を受け取っているのだ。
 この招待状が私達の元に送られてきたと同時に、城の地下にできた扉をくぐれば、私達はすぐにでも本物の英雄王と会うことができる。
「ルキナもわかっているだろうけど、僕達と英雄王を引き会わせたことで、未来を知ってしまった英雄王が歴史を変えてしまうかもしれない。その場合下手をすればこの時代が崩壊する。……だがそこは時空すら捻じ曲げてこんなものを送ってくる相手だ。その辺りは既に織り込み済みだろう。何らかの形で英雄王が未来を知り、歴史を改変することがないようにしているに違いない」
「それでは、私達は英雄王の前で普通に振舞ってもいいんでしょうか?」
「いや、それもどうだろう。英雄王による歴史の改変は向こうで防いでくれるはずだが、僕達もできる限りそういったことは教えないに越したことはない。それ以上に問題は……今のこの大陸のことだ」
 ルフレさんが椅子から立ち上がり、部屋の隅にうず高く積み上げられた兵法書や魔術書の中から、小さめの大陸地図を引っ張り出してくる。
「今この大陸に、英雄王が命を懸け守った国はない」
 そしてその地図をテーブルの上に広げて、そう言い放った。
 私が特に何をしたというわけでもないのに、その言葉で胸がちくりと痛んだのは、この体に流れる英雄王の血のせいだろうか。
「英雄王がこの大陸に平和をもたらしたというのは、僕達の時代からはるか二千年も前の話だ。僕達もあの戦争でよく理解したように、永遠の平和なんてものはない。それゆえ、英雄王が必死の思いで守った国も……」
「……とうの昔に、滅んでいる」
「そうだ。しかも滅ぶのは英雄王の治世からずっと後のこと。英雄王がたとえこれを知ったところでどうにかできる問題じゃない。そしてどうにかできる問題ではないということは、僕達がこの事実を教えても構わない。そういうことになる」
「ですが、こんな残酷な事実を教えるだなんて……そんなの、あんまりです!」
 思わず椅子から立ち上がり、そう叫ぶ。
 二つのカップに注がれた紅茶が、大きく揺れた。
「落ち着くんだ、ルキナ。僕は別に英雄王に進んでそれを教えようと言っているわけじゃない。歴史を改変しかねないような史実を英雄王に教えないこと以外に、僕達の間で英雄王を傷付けないように、彼に教えてはいけないことを定めたいんだ。……だが当然、僕達ではどうしようもないこともある。英雄王の国が既に存在していないこともそうだ」
「この国がイーリスという名前で、そこから来る私が、英雄王の血を引いているから……」
 この手紙で異世界に呼ばれている間、私たちはその異世界にある屋敷の中で過ごさなくてはならないようだ。そうなれば私とルフレさんの素性も、同じ世界に来ているという英雄王との関係も、その世界に居る間ずっと隠し通すというのは、あまりにも困難だ。
「その時点で気付かれるだろうし、気付かれないにしても、英雄王は何がしかの疑問を抱いて僕達に聞きに来るだろう。……魔符に宿った魂と会話してわかったが、英雄王はとても聡明な方だ。ちゃんと話せばきっとわかってもらえる。だが」
「……そうですね。ショックを受けることには変わりありません。民は皆英雄王を慕っています。私に至っては、彼の血を引いている。それなのに私達の存在そのものが、英雄王の御心を傷付けかねないだなんて……」
 再び椅子に座った私は、膝の上で自服の袖を強く握る。
 長かった動乱の時代が終わり、この大陸にようやく真の平和が訪れても、かつての英雄王と同じ衣を身に纏うことを、私はやめなかった。
 平和な時代になっても、迷う時はある。悲しむこともある。だがこの衣を身に纏っていれば、どんな時でも英雄王の魂から……そしてあの星から勇気を与えられ、私もお父様と共に英雄王のように民を導いていけるのだ。
 そんな気がしてならないからこそ、内心情けないと思いつつも、この衣を捨てられなかったのだ。
 私はいつもこの衣から勇気を貰っている。それなのに私はこのままでは、英雄王に何もしてあげられないどころか、その御心を傷付けようとしているのだ。
 私は自分の無力さが悔しく、ぎり、と歯を噛み締めた。
「ルキナ」
 そんな私の手を、ルフレさんがそっと包み込むように握る。
「心配しなくていい。きっと大丈夫だ」
 ルフレさんが視線を私から、窓の向こう――北の空へと移して、こう囁いた。
「僕にだって、考えはあるよ」
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。