中庭のベンチに腰掛けた僕は、晴れ渡った空に向かって左手をかざした。
 すると、先ほど貰ったばかりの腕時計が、燦々と屋敷の中庭に降り注ぐ日差しを受け、きらりと輝く。国の式典で礼服と共に身に着ける、宝石が嵌め込まれた豪奢な腕輪とはまた異なる、磨かれたばかりの金属の輝きがいっそう僕の心を湧き立たせた。
「(本当に、すごいものを貰ってしまった)」
 シュルクが僕のために腕時計を作ってあげると約束してから一週間後、シュルクはあの瓦礫の山から見つけたという壊れた腕時計を元にし、彼と同じく手先が器用なリンクに腕輪部分となる鞣革の加工を手伝ってもらいながら、本当に腕時計を作り上げてしまったのだ。
 腕の時計は今も忙しなく針を動かし、僕に時刻を教えてくれている。これを身に着けている限り、時間がわからなくて困ることなどもうないのだ。
 本当に素晴らしい発明だ。住む世界は違えども、僕と同じ人間がこんなものを生み出すことができるなんて、やはりにわかには信じがたい。
 元居た世界の文明を壊してはいけないというマスターハンドが定めたルール上、この世界に存在しているものは持って帰ることが出来ないのが本当に悔やまれる。これがあれば、アリティアの民達の生活はどれだけ変わることだろう。
 せめてこの時計の設計図を僕が記憶して、城の学者に教えることができれば。そう考えもしたが、仮にそれができたとしても、アカネイア大陸では材料が揃えられないだろう。実際にシュルクがこの時計を組み立てているところを僕も間近で見せてもらったが、どうやら豆粒ほどの鉄のパーツや歯車をいくつも合わせなくては作れないようなので、僕の世界……少なくとも僕が生きている時代での再現は無理だ。
「……もったいないな。こんなに素晴らしいものを、皆に見せてあげられないなんて」
 空にかざしたままの左手をゆっくりと降ろし、腕時計を手首から外す。
 家臣たちにこれを見せたら、きっと僕と同じようにとても驚くに違いない。そして、今までよりもずっと色々なことが便利になると、喜んでくれるはずだ。
 外した時計をじっと眺める。シンプルで無駄な装飾のない時計の文字盤は、心なしかアリティア城内にあった時計台の文字盤と似ている気がする。目を閉じて耳をすませば、聞きなれたあの鐘の音が聞こえるような気がしたが、生憎そのようなことはなかった。
「(便利だけど、決まった時間になっても音が鳴らないことだけが難点かな)」
 城の時計台は朝から日が沈むまでの間、一時間おきに鐘の音を鳴らす。民達はそれを頼りに生活をしているし、僕も幼い頃はそれを頼りに政治の勉強や剣の鍛錬を行ってきた。
 今の時間は午後二時よりも少し前。十二歳になるまで僕は二時から五時までの間、毎日家臣から政治の勉強を受けていたのを思い出した。
「(でも、こうすれば音はする)」
 心の中でそう呟いて、腕時計を耳に当て、目を閉じる。
 意識を集中させれば、かちこち、かちこちと、時計の針の音が体の中に響き渡った。
 僕はこの音が好きだ。
 腕時計の針の音はまるで心臓の鼓動のようで、こうして時計を耳に当て、針の音をじっと聞いていると、誰かにそっと抱きしめられ、その腕の中で心臓の鼓動を聞いているような、とても安心した気持ちになれる。もしかすると、この時計の中には誰かの命が宿っていて、今僕は時計の針の音ではなく、その命の鼓動を聞いているのかもしれない。
「……マルス?」
 幼い頃に読んだ童話を思い出した。
 作った人形に命を宿すことの出来る人形師の話だ。結末はおろか、話の展開もろくに覚えていないのだが、人形師が初めて作った人形が動き出すシーンを読んで、幼い僕がとてもわくわくしたのを覚えている。
 もしかすると、シュルクもその童話の人形師と同じように……
「ねぇ、マルスってば」
「え? ……あ」
 いつの間にか、目の前にはシュルクが立っていた。
 時計の音に意識を集中させていたせいで、気付かなかったのだろう。心配そうな顔で、シュルクが僕を見つめている。
「僕が送った時計が、どうかした?」
 そう言われて、ずっと僕は時計を耳にあてたままだったことに気付く。あわてて時計を耳から離して、再び腕に巻こうとしたが、シュルクが待って、と僕の手を掴む。
「もしかして壊れてない? 針の音がうるさかったりした?」
 どうやら、時計が壊れていないかどうかを気にしているようだ。確かに送ったばかりのものが壊れていては、シュルクとしても申し訳ないのだろう。
 僕は腕に巻こうとしていた時計を、シュルクの前に差し出して、
「ううん、そうじゃないよ。シュルクも、耳を澄ましてこの時計の音を聞いて欲しいんだ」
 どうしてそんなことを言い出されたのかわからない、と言った様子でシュルクが数回目を瞬きさせたのちに、僕の手から腕時計を取り、耳に当ててその音を聞く。
 故障がないか気にしているのか、最初は少し心配そうな表情で時計の音を聞いていたのだが、時計に異常がないことがわかると、今度は何故僕がそんなことを言ったのかわからない、といった感じで怪訝そうな顔をされてしまった。
「まるで、心臓の鼓動みたいだろう? だからこの時計が生きて、命を持っているみたいだって思っていたんだ」
「言われてみれば……確かに、心臓の鼓動みたいだ」
 声をかけられるまでの僕がそうしていたように、シュルクが目を閉じ、時計の音にそっと耳を澄ます。
「シュルクが、この時計に命を与えてくれたのかな?」
「そんな。これはただ秒針が動く音で、命だなんて」
「僕にとってシュルクの手は、不思議なものをたくさん生み出せる魔法の手だ。そんな魔法の手は、機械に命を宿すこともできる。……そう考えるのも決して悪くはないし、とても素敵なことだろう?」
 僕にとってシュルクの手は、あの童話の人形師と同じだ。
 魔法の手を持っていて、その手で作ったものには命が宿る。僕は、その魔法の手で命を宿した時計を、彼から貰ったのだ。
「……そうだね。もし本当にそうだったら僕も素敵だと思うし、もしそうじゃなかったとしても、マルスが僕の手を魔法の手だと言ってくれるのは嬉しいよ。やっぱり、これを作ってよかった」
 シュルクが耳にあてていた時計を、僕に差し出す。
「これ、返すよ。……大事にしてね」
「勿論だよ。だって、これには君が生み出した……」
 時計と共に差し出された手を、ぎゅっと握る。
 この手は、魔法の手だ。僕は魔法の手を持つ友人を、持つことが出来たのだ。
「魔法の鼓動が、宿っているからね」
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