彼が矢を番え、矢を放った。弓の弦を弾く音が響く。
 放った矢は自分たちの馬を狙う魔物に見事に命中し、矢継ぎ早にその目は次の獲物を狙っているようだった。
 また矢を放ち、馬を狙う魔物を一体一体倒していく。馬の手綱を持ちながら、魔物を一掃して弓をしまおうとしている彼に声をかけた。
「弓も使えたんだね」
「お前が使えるものは、ひととおり使える」
 そりゃすごい。と返すと、彼は褒められたのに喜びも照れもせず、何も言わずに辺りの景色をじっと見つめているようだ。
 きっと彼の中では、褒められたことに対する喜びよりも、周りの景色を見ることによる驚きのほうが大きいのだろう。
 彼を、人ではない魔物を、元居た場所から連れ出すというのは、ぼくが勝手に決めたことだ。
 元々ぼくに剣を向けてきた魔物だったので、外に連れ出すということに躊躇わなかったわけがない。
 でも、それ以上に自分と同じ顔というのに惹かれ、彼が世界のことを、空がなぜ明るくなったり暗くなったりするのかさえ知らないというのを聞いて、ぼくは迷わずこの魔物を外に連れ出したのだ。
 彼もそれには一切抵抗してこなかった。
 抵抗しないといってもあの様子では、嫌なときにはどうすればいいのかというよりも、外に連れ出されることが自分にとっていいのか嫌なのかさえもわかっていないようだったが。
 魔物であるせいか、ろくな環境で生きてこなかったせいか、人並みの感情すら持たない彼は見るもの触れるものにそれなりに興味を示した。その姿は端から見ると、まるで幼子のようにも見えなくもない。
 幼子のようだとはいっても、姿は自分と同じ顔の青年なのだ。そんな青年が、花にとまっていた蝶が飛び立つだけで驚いているその姿は、本人には失礼ではあるが少し滑稽だ。
「もう少ししたら休もう。疲れているだろうけど、我慢して」
 彼は何も答えず、じっと西の夕焼けを見つめているようだった。夕焼けを見るのも恐らく初めてなのだろう。ぼくは小さく笑って、
「夕焼けがきれいだ。明日も晴れるよ」
「どうして夕焼けがきれいだと晴れるんだ?」
「それは……その、なんだろう。わからないや」
 そう言われて考え込んでみたものの、答えは出てこない。
 小さいころから夕焼けがあれば明日は晴れるとは言われてきたものの、どうして晴れるのかは教えてもらっていなかったし、それが当たり前と思っていたから疑問に思わなかったので、そんなこと聞いたこともないのだ。
 当たり前のことを聞かれて、それがあまりにも当たり前すぎて逆に返答に困るこの様は、本当に幼い子を相手にしているようだ。
「お前にもわからないことはあるのか? おれよりも知っていることは多いだろう」
「ぼくだって知らないことは沢山あるさ。この世界のことを全て知っているのは、賢者様ぐらいだなぁ」
「けんじゃ……さま?」
「……そうだ。きみはそこからだったか」
 彼がわけがわからないという風に首をかしげているのが後ろからでもわかる。
 ぼくは困ったように笑って、

「きみには、色んなものを知って欲しい。色んなものを見て欲しい。だからぼくはきみを連れ出した」





 こうごうと燃える火のなかに木の枝を投げ入れ、やっと一息つく。
 荷物の中から干し肉を取り出し、枝に肉を刺して火の近くに並べる。そして、後ろを振り返って、
「別にそんなに恐がらなくてもいいんだけどなぁ……」
 と、自分の後ろですっかり火に怯えている彼に声をかける。
 いくら外見が自分と瓜二つとはいえ、なんだかんだで魔物なのだ。本能的に火が怖いのだろう。ぼくが火を起こした瞬間に小さい悲鳴を上げて、あわてて火から離れていったのだ。
「ほら、大丈夫だって。あたたかいよ」
 ひらひらと手を振って彼をこっちに来るよう促すと、彼はしばらく躊躇った後ようやく、ぼくの横ではなく、大体斜め後ろ辺りに腰を落とした。
「……あたたかいな」
「もう少し焚き火に近付けば、もっとあたたかいよ」
「それは、嫌だ」
 よく見れば彼の腕が若干震えている。なら、こうして座ってくれただけでも十分譲歩してくれているのだろう。
「世界は、思ってる以上に広いんだな」
 体が暖まっているのに腕は震えているという妙な状況の彼が、焚き火を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「本当に、君が思っている以上に世界は広いよ」
「おれ達は今どの辺りにいるんだ?」
「そうだなぁ……待ってて、地図で見てみようか」
 荷物の中から辺り一帯の地図を取り出して、地面に広げる。彼も興味津々な顔で地図を覗き込む。ぼくは指で今まで彼がいた場所を示し、
「ここがきみがいた場所。それで今は……この辺りかな」
 そして今居るであろう場所を指で示す。
 彼は自分が居た場所を人差し指で指し、同時にぼくが指した場所を親指で指した。そして、その親指と人差し指の間をしげしげと眺めながら、
「この距離を馬で走ったのか?」
「そうだね。長かっただろ?」
「でも地図だと、この位しかない」
「そう。でも、この地図は世界の一部しか書いてないんだ。だから世界地図だと、ぼくたちが走った距離なんて豆粒みたいになるよ」
「本当か?」
「本当だよ。きみが思っているより、世界はずっとずっと広い」
 その言葉を聞いて、彼はじっと何かを考え込んでいるようだった。
 きっと、地図を眺めて、自分がこれから目にするであろうものを想像しているのだろう。
 ぼくもそんな彼を見て、どこへ連れていこうか、なにを見せようかと考えながら、今まで自分が旅の中で見た景色に思いを馳せる。
 そんなことを考えている中で、彼が横からぽんぽん、とぼくの頭を撫でてきた。
 いきなりだったので、どうして頭を撫でてきたのかよくわからず、ぼくが首を傾げると、真似をしたのかそうでないかはわからないが彼も首を傾げて、向かい合って首を傾げるという妙な状況になってしまった。
「どうして、ぼくの頭を撫でるの?」
「お前がいいことをしたから」
「いいこと?」
「昔ガノンドロフはおれがいいことをすると、こうやって頭を撫でてくれた。お前もいいことをしてくれた。だから頭を撫でた」
「あのガノンドロフが? 本当に?」
 ぽかんとした顔で彼の瞳を見つめると、彼は彼でどうして不思議がるのかわからないと行った様子で、こくりと頷いた。
「まさか……」
 この手で倒した人に、そんな一面があったとは。
 自分の言葉がどれだけぼくを驚かせるのか知らない彼は、相変わらず自分の頭を撫でてくる。
 多分、頭を撫でることが彼なりの感謝の仕方なのだろう。
 「ありがとう」という言葉ですら知っているかどうか怪しい彼が、感謝の気持ちを表す方法を考えたら、これしかなかったというだけの話で。
 頭を撫でられるのは少し恥ずかしい気持ちもあるが、これが彼なりの感謝の仕方だと思えば、満更でもない。
 一通りぼくの頭を撫でて、感謝の気持ちを伝えた彼は、ちょっと満足げな顔をしてまたぼくの斜め後ろに座る。
 今度はそんな彼の頭を、ぼくが撫でてあげた。
「どうしてお前が頭を撫でるんだ?」
「きみはぼくを嬉しい気持ちにしてくれた。これはいいことだから、ぼくもきみの頭を撫でるだけ」
 別に悪いことじゃないだろ。と言うと、彼も少し考え込んだ後、頷いてそれに同意してくれた。
 彼がそうしたように精一杯の感謝の気持ちを込めて、頭を撫でる。
「ダーク」
「?」
「明日は何が見たい?」
「……なにがあるんだ?」
「そうか。やっぱりきみは、そこからだったね」
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