「お前は、誰にでもこういうことをするのか?」
 テーブルの向こう側でちびちびと熱い紅茶を飲んでいた彼に、そんなことを言われたので、読んでいた本から彼に視線を移す。彼は実に興味深そうにぼくの目を見つめている。
 こういうこと、というと多分、彼に今までぼくがしてきたことということかな。彼はぼくに拾われた魔物なので、多分他人から言わせるとぼくらは拾われた魔物と魔物を拾ってきた人、大体そんな感じの関係になると思う。彼は人と、ぼくと同じ容姿なので傍から見ればただの仲の良い双子の兄弟みたいだと思うから、そうすると拾ってきたという言い方はちょっと語弊があるかもしれないが。
 それで彼を拾ってきたぼくは、彼にめいいっぱいの愛情を注いでいるつもりだ。
 武器の扱い方以外は何も知らない彼の手を引いて、色んなものを見せてきたし、色んなことを教えてきたつもりだ。親が子を愛するように、抱きしめてやったりもしてる。好きだとも、言ってあげた。
 だから、誰にでもそうやって分け隔てなく愛情を注ぐと思われているのは正直心外だ。
 誰にでも分け隔てなく愛情を注ぐ、こんな言い方をすれば聞こえは良いが、悪い言い方をしてしまえばぼくの愛情は彼にちゃんと届いていないということになる。ぼくがここまで深い深い愛情を注いでいるのは彼だけだというのにそれに気付いていないなんて、少しだけむかっとはしたが、彼の生い立ちを思うとそれも仕方の無いことだとは思えた。
 彼は愛され方をよくわかっていない。愛されたことが無いから。だから、そんなことは無いと思うけれど、彼を拾ったぼくがもしも愛情の注ぎ方を良く分かっていない人だとして、彼に暴力なんかを振るってしまっていても、それでも彼は文句の一つも言わなかったと思う。
 ただ、もうちょっとそういうことは分かっていて欲しいものだ。別に全部理解しろとは言っていないけれど、少しくらいは分かっていてほしい。せめて彼がぼくにとって特別であることくらいは。
「そうだな。じゃあ、君にとってのぼくってどんな人?」
 だから、出来る限り彼にも分かるような言葉を選んで、説明してあげればいいのだ。
 当たり前のことを知らない人に当たり前のことを説明するというのは凄く難しいことだけれど、でもそうしないと彼はわかってくれないのだからしょうがない。椅子から立って、彼の隣に立つ。
「おれにとってのお前は……おれを拾って、おれと暮らしてくれて、色んなものを教えてくれた。あと、おれに好きだって、言ってくれた」
 彼もカップをテーブルの上に置いて、横に座りなおしてくれたので、彼と向かい合う形になった。
「そうそう、好きって言ってるだろ? ぼくは君が好きだよ。好きな人にしかこんなことしない」
「でもお前の好きなものや好きな人は、おれだけじゃないから、そうしてもらえるのはおれ以外にもきっといる」
 そう来るかと、心の中で呟いた。最早いつものことではあるんだけれど、彼は一筋縄ではいかない。多分この調子だと、恋愛感情を含んだ意味での「好き」と、恋愛感情を含まない意味での「好き」の違いをよくわかっていないんだろうな。
 勿論ぼくが言う「好き」とは前者のほうだ。このくらいの違いは流石に彼だって気付いているって思っていたんだけど、まさか気付いていなかったとは。
 じゃあ、どのようにその違いを伝えれば良いのか、問題はそこだ。ちょっとだけ考える時間をくれと彼に予め断って、考え込む。彼には色んなことを説明してきたけれど、説明するのは難しいことも沢山あったので、途中で考え込んでしまうこともよくあったので彼も慣れているのか何も言ってこない。
 彼に好きだと言って、ぼくのことが好きかと聞くと、彼はちゃんと頷いてくれる。多分その「好き」もぼくと同じように恋愛感情を含んだ意味での言葉だとは信じたいけれど、こんな状態だとそういう意味を含んでいることも自分じゃわかって居なさそうだ。
 そもそも人間関係が希薄な彼のことだから、恋愛感情を含んでいても含んでいなくても、「好き」だと思える人はぼく位しかいなさそうだ。ぼくと、恋愛感情を持たないけれど「好き」な人を彼に比べさせて、その違いを理解させようと思ったけれど、これじゃそれすら出来ないだろうな。
 どうしようかと思考を巡らせた末、ひとつのことを思いついた。これならきっと彼にもわかるから大丈夫だろう。
「前にさ、ダークにキスしただろ?」
「ああ、した。よく分からないが、キスをするとお前は喜ぶ」
「じゃあ君は、ぼく以外の好きな人が出来たとして、その人にキスはできる?」
 彼がそのまま黙りこくる。表情に大した変化は無いけれど眉がちょっとだけ下がっているので、困っているようだ。
「それは、できない。お前に申し訳ないから」
「どうして申し訳なく思うの?」
「お前が……特別だから。おれを拾ったのは、お前だ。おれに色んなことを教えてくれたのもお前だ。だから、感謝してる。そんなお前がおれにとって、特別じゃないわけが無い」
 そうやって、普通の人なら恥ずかしくなるような言葉を、真顔で口にしてくる。多分今ぼくの顔は少しだけ赤くなってると思う。好きな人に特別だなんて言われて、照れないわけが無いから。
「うん、そうだね。ぼくにとっての君も特別だ。……唇と唇のキスはね、一番好きな人としかしないものなんだよ」
「お前はおれが一番好きなのか?」
「好きだよ。……さっきも言ったろ? 君が一番好きじゃないと、こんなことしない。だから誰にでもこうするって君に思われてるのは、心外だな」
 体を屈め、椅子に座っている彼の額と立っている自分の額をこつんと合わせて、君にしかこんなことしないのに。と囁いた。そして、ぼくにとっての彼が特別だって分からせるために、短いキスをする。
 唇を離すと、少しの間だけ彼はぽかんとしていたが、すぐにぼくに頭を下げて。
「お前にそう思わせていたなら、謝る。……おれには、お前しかいないのに」
「もう気にしてない。大丈夫だよ、ぼくが居るから……おいで」
 彼に手を差し伸べる。彼は微かに震える手でそっとぼくの手を取ってくれたから、包み込むようにその手をぎゅっと握る。
 人の体とは少しつくりが違うので、人の手よりもひんやりとした冷たい彼の手。ぼくはこの手が好きだ。その手の冷たさにぼくはそっと目を伏せるけれど、彼も目を伏せていたのを見逃さなかった。
「君の手は冷たいね」
 ぼくにそう言われた彼がそっと目を開けるが、眉が少しだけ下がっていた。
「どうかした?」
 彼の手を握っていないほうの手を、彼の青白い頬に伸ばして、親指で頬や唇をなぞる。彼は何か考え込んでいるのだろうか、しばらくの間を置いた後にゆっくりと口を開いて、
「……なんでもない」
 眉は相変わらず少し下がったままだし、様子はちょっとおかしい。声だって少し上擦っている。そんなことを言われてもなんでもないと思えるわけないのだけれど。もしかして彼もそれなりに気にしているのかな、自分が人と違うということを。
 気にしなくてもいいという気持ちをこめて、椅子に座ったままの彼の背中に腕を回して、いつも彼にそうしているように、ぎゅっと彼の体を抱きしめた。
 ただ、何故か反応が無い。いつもは何か言ってきたりぼくの背中に手を回してきたりするけれど、今回はぴくりとも動かないで何もしてこない。おかしいなと思って背中に回した腕に力をこめたり、首筋に自分の頬をすり寄せたりしてみたけれど、やっぱり何も反応が無い。
 どうしたのだろう。ひょっとして今日は嫌なのかな。彼は嫌なことを嫌と言えないというよりは、嫌なことなのかそうじゃないのか、自分でもよくわかっていないという人だけども。
 首筋にすり寄せていた頭を離して、彼の赤い目を見る。
「もしかして、嫌かな?」
「……どうしてだ」
「だって、反応がないじゃないか」
 嫌なら嫌と、続けて欲しいのなら続けて欲しいといってくれ、と目で訴えてはみるものの、何も返ってこなかった。
「やっぱり嫌かな。じゃあ、やめようか」
 そう言って、くっつけていた体を離そうとすると、彼が自分の頬に手を伸ばしてきた。彼がぼくの頬に手を伸ばす理由がいまいち伝わってこないので、ぼくは彼の手が触れてない方へかくん。と首をかしげて、わからないから何か言葉が欲しいな。という合図を送ってみる。
 彼は何かが言いたくても言えないのか、口を魚みたいにぱくぱくさせている。目は泳いでいるし、眉もどんどん下がっていっている。たまに僕の頬に伸ばした手でかり、と僕の頬に爪を立ててくる。別に痛くはない、凄く弱い力だし。
 こんなにも焦る彼を見るのは多分始めてだ。珍しい。凄く珍しい。
 そしてなんだか微笑ましい。思わずそれが顔に出てしまった。
「それとも、このままがいい?」
 優しくそう言ってあげると、彼は目をぱちくりさせた後に、必死にこくこく頷いてくる。
 ああ、やっぱり抱きしめるのを続けて欲しかったのに、それが上手く口に出せなかったみたいだ。
「もしかして、言い辛かったのかな。……ぼくも同じ状況なら、ちょっと言い辛いかもな。気付いてあげられなくてごめんね」
「気にしなくていい。……言えなかったおれが悪い」
 そう上擦った声でフォローされた。この調子じゃ今は喋るだけで必死なんだろう。
「お互いの気持ちがもっとわかるようになれたらいいのにね。自分が二人居るようなものなんだしさ」
 そう、困ったように笑って言ってみた。
 彼は本当に何も言ってこないし、喜怒哀楽を初めとした感情を顔に出すことだって殆ど無い。というより彼は魔物だからまず、喜怒哀楽という人として当たり前の感情自体がちゃんと出来上がっていないので、正直それ以前の問題ではあるのだけれど。
「けど上手くいかないから、おれが伝えたいことを伝えなきゃいけない」
「無理はしなくていいんだ」
「言わなきゃわからないことは沢山ある」
「……そうだね。でも、ぼくも君の気持ちに気付いてあげられるようにするから」
 君だけが無理をする必要は無いんだ。とそっと囁いてあげると、彼がこくりと頷いた。いい子だ。そう心の中で呟いて、親が子供にそうするみたいに、彼の頭を撫でてあげる。ぼくは親がいないから、これはあくまでも本で得た知識で、本当にそうするのかはわからないけど。
 そして、もう一度彼を抱きしめる。腕の中の彼が苦しくならない程度に力を込めて、また彼の首筋に頬を摺り寄せる。今度は彼もぼくの背中に腕を回して、ぎゅっと力をこめてくれた。
 なんだか嬉しくなって、無意識のうちにくすくすという笑い声が自分の口から漏れてしまった。この嬉しさをお裾分けしてあげようと、彼の耳元で好きだよ。と囁いてあげる。
 今、彼はどんな顔をしているだろう。今の状態じゃ彼の顔は見えないから、自分で想像するしかない。彼は感情をまず表に出さないから、いつもどおりの無表情かもしれない。というより、多分そうだと思う。
 でももしかしたら、もしかするときっと、少しだけ嬉しそうな顔をしてるかもしれない。
 そうだったらいいなという願いをこめて、もう一度腕に力を込めた。
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