「ダーク」
 周りには誰も居ないことを何度も確認して、湖の前に立って、彼の名を……いや、正確に言うと自分が彼につけた名前なのだが、彼を呼ぶ。
 水面が大きく揺らいで、湖の水が人の形を作り出す。やがて人の形をした水は真黒の色を帯びて、銀色の髪に黒の服、自分と瓜二つの青年の姿を生み出した。
 自分と瓜二つの青年、ダークは、明らかにわざとらしく嫌そうな表情を浮かべて、
「また何もないのにおれを呼んだんだろう。……顔を見れば分かる」
「……それでもダークは来てくれることを、ぼくは知ってるよ」
 そう、分かっている。ダークはいくらきつい言葉をリンクに言ってきようとも、リンクを見捨てることは決してないのだ。だから、リンクはダークを信じられる。
 初めて会ったときは勿論驚かなかったわけがない。自分と瓜二つの人間が居たのだから。しかし、それでもどこか、この人は自分の敵ではないと、心の何処かで何故か強くそう信じられた。
 ミドナはダークを魔物だと言って警戒した。それでも自分は剣を抜くことは無かった。ダークも剣を差していたけれど、「その剣が自分に向くことは無い」と、強く信じることが出来た。
 不思議だった。未だに自分自身でもよく分からない。どこか、リンクの心の底の底にある何かが、「ダークを信じろ」と強く訴えているような気がして。
「傷……増えてるな」
 リンクを軽く一瞥して、頬に一つ傷が増えていることに気づいたダークが言う。確かに湖を覗いて、水鏡に映った自分の顔を見てみると、ダークの言うとおり、頬に傷が出来ていた。
 きっと、時の神殿で作ってしまったのだろう。しかし掠り傷だし、それほど気になるようなものではない。放っておけば勝手に直るだろう。
「……陰りの鏡はあったのか?」
「うん。……あとひとつだね」
 やっと今日の夜に預けていた大砲が直った。これでもう天空都市はすぐにでも行けるのだが、既に夜遅いのなら、明日行ったほうがいいだろう。と、ミドナと相談して決めたのだ。
 そのミドナは今ここには居ない。少し一人にしてもらった。ダークに会う為に。
「怪我、するなよ」
 それに対して、リンクはくすくすと笑って、
「しないよ。そんなこと」
「そういう事を言う奴がいつも怪我をするんだ。わかるか?」
 ダークの言葉にリンクは優しそうに、そして嬉しそうに微笑んで、
「心配してくれてるんだね。君は……その……魔物なのに」
 魔物なのに自我がある。それだけでも十分珍しいことなのに、ダークはリンクの事を心配してくれる。珍しい。という気持ちもあるが、嬉しい。という気持ちの方が多い気がする。……これまた不思議だ。
「勇者様に怪我でもされちゃ、困るからな」
 どこか嫌味ったらしい口調で、ダークが言う。しかしリンクには気にならない。ダークは魔物なのに、トライフォースの力を持つ自分の安否を願うはずが無い。――本当に、ダークは変わった魔物だ。
 勇気のトライフォース、それが自分に与えられた力の名前らしい。皆が時々口にしてはいたが、どんなものかは分からずじまいだった。それをダークが教えてくれたのだ。
 それだけではない。数百年前に自分と同じ名前で、同じ力に選ばれた「リンク」がガノンドロフを封印したということも、昔話程度のものとしてしか知らなかった自分に事細かに詳しく教えてくれた。
 何故、ここまで詳しく知っているのだろうか。トライフォースの力はまだしも、数百年前の戦いのことまで、どうして……
「どうして、そんなに知っているの?」
 いつのまにか、思ったことがぽつりと口から零れていた。ダークはくす、と意地悪そうに笑って、
「……そこにいたから。見ていたからだよ」
「見ていた……?」
 ダークは黙ったまま頷いて、
「正確に言うとおれはお前の影ではなく、勇気のトライフォースの力を宿した「リンクの影」だ。だからおれは不老。何年、何百年と生き永らえることが出来る。……だからこそ、あの時代も生きていた。この目でお前の先祖も見たさ」
「見た……の……? ねぇ、その人はどんな人だった?」
 目をきらきらと輝かせて、リンクが言う。ダークは少し呆れたような苦笑いを浮かべて、
「……見た目はお前とそっくりだよ。武器は同じものを使っているから当然だが、顔もそっくりだったな。性格はお前よりも大人しかったよ」
「そうなんだ。……君とはどんな関係だったの?」
 その言葉を聞いて、ダークは一瞬言葉を詰まらせる。もしかしたら、今自分は聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれない。
 リンクが謝罪の言葉を述べるよりも早く、ダークははっ、と自嘲的な笑みを浮かべて、
「敵同士だった。戦った。そして、おれは……」
 そこまで言ったところで、ダークは意味ありげな笑みを浮かべて、俯く。その先は言われなくてもわかる。数百年前の戦いで、かつての勇者リンクが勝ったのならば、今リンクの目の前にいる人物は勿論……
「負け……たの……?」
「おれが勝っていればあいつはあの戦いで勝利していない。当たり前だろうが」
「ごめん……変なことを聞いたよね」
「気にしなくてもいい。……それにおれはその時に一度死んだせいで、今こうして自我も得て、不老不死の時を生きていられる。それを考えれば、大したことじゃないさ。むしろ、感謝するべきか? あの時おれの胸を剣で貫いてくれた勇者さんにな」
 今ここにはいないけれど、同じ力を継ぐ奴なら居るしな。とダークは言って、振り返って、リンクに背を向ける。その背中が、どこか寂しそうに見えた。
 それもそうだろう。不老不死というのは一見とても便利なものに見えるかもしれないが、現実はそうともいかない。人がどんどん老いて死んでいく中で、自分だけは老いることも無く、永遠にその姿のまま生きていかなければならないのだ。
 多分、きっとそれはとても寂しいことだろう。ダークはそんな素振りはリンクに見せないが、そんな気がする。
「……なぁ」
「ん?」
「トライフォースの力を持つ事を、苦痛と思ったことは無いのか?」
「……どうして?」
 ダークは相変わらずリンクに背を向けたまま続けて、
「お前に勇気のトライフォースの力が無ければ、お前はこんな戦いに巻き込まれることも無く、お前の幼馴染達といつまでも平和に暮らしていられた。だから、お前が戦禍の中に巻き込まれて傷付くのは、その力のせいだと、その力は呪いとも取れるんだぞ?」
 ――そんなことを考えたことなんて、無かった。確かにそうかもしれない。この力が無ければ自分はずっとイリアたちと一緒に、平和なままで居られたかもしれない。
 傷付いた事だってあった。ボロボロになってまで敵と戦って、気を失いそうになったことも、命を落としそうになったことも決して少なくは無かった。
 けれど、この力のおかげでいろんな人に出会えた。村から出て、色んな世界を知ることが出来た。ミドナにも会えた。
 それを考えれば、苦痛などではない。むしろ、よかったと思えることのほうがはるかに多いくらいだ。
 ダークはリンクの表情を見て、自分が問いかけたことの答えがどんなものか分かったらしく、小さく笑って、
「苦痛とは思わないようだな。……お前の先祖にも同じ事を問いかけたら、同じ答えが返ってきたんだよ」
 どこか懐かしそうで、そして嬉しそうな表情を浮かべて、ダークは言う。
「辛くなんか無いよ。……ううん、嬉しかった」
「……確かに、勇気のトライフォースを持つ者がこんな考え、抱くわけないもんな」
「そうだよ。……この力は呪いなんかじゃない。神様がぼくにくれた、最高のプレゼント」
「まったくもってお前らしい考えだな」
 ダークの言葉に、リンクは小さく笑って、
「だって、本当に夢みたいだったんだ。こんなぼくが、世界を救うために旅をするだなんて」
「そりゃあ、さぞ夢のようだろうな。田舎者のお前が世界を救うために旅に出るとはな」
 皮肉交じりのダークの言葉も、リンクには全く気にならない。口ではどれだけ酷いことを言っても、リンクを見捨てることが無いのがわかるから。
「……そろそろ夜が明けるぞ。明日天空都市に向かうなら、おれになんて構わず体をちゃんと休めておけ」
 ――やっぱりそうだ。口ではどんなことを言っても、リンクを見捨てることは無い。魔物なのに、影なのに、リンクを心配してくれる。気遣ってくれる。それがどこか、嬉しくて。
 でも、先程ダークが言っていた、リンクの先祖にもあったことがある、というのが少し心に引っかかる。
 ダークは、リンクの姿を通して、その先祖の姿を見ているのだろうか。気にかけてくれるのも全てそのせいなのであって、リンクがもし勇者ではなかったのなら、トライフォースに選ばれていなかったのなら、ダークはリンクのことなど気にかけてくれなかったのだろうか。
「君は……ぼくのことを……」
 君はぼくのことをどう思っているの? そう言おうとして、踏みとどまった。聞いてはいけないような気がして。
「何だ?」
「……ううん。なんでもない。……じゃあ、そろそろ行くね」
 そう言って、小指を差し出し、ダークに指切りを求める。ダークはそれを受け入れて、リンクとしっかり指切りを交わす。
「……怪我するなよ」
「それ、さっきも聞いた。怪我なんてしないよ」
「それだけ大口を叩くんだ。もし傷一本でもつけて帰ってきたら、呼んでも二度と現れないからな」
「酷いなぁ。……じゃあね。ばいばい」
 ひらひらと手を振って、ダークに別れを告げる。ダークは小さく笑って、まるで溶けるように湖と同化して、姿を消してしまった。

「君はぼくを、どう思っているのかな……?」
 呟いた言葉は多分きっと、届かないだろう。






 最後に彼と会って、指切りを交わしてから3日経った。そろそろ、戻ってきてもいい頃だろうか。
 冷たくも無ければ暖かくも無い、いや、そもそも温度というものが存在しない自分の体を造る水に抱かれながら、ダークは思った。
「(怪我……してないだろうか)」
 こういう事をいつも考えてしまうのは、我ながら過保護だと思っている。しかし、そう思わずには居られない。
 ――前に彼に剣を向けてしまったことに対する自責の念と、そしてそれへの罪滅ぼしのつもりなのだろうか。
 いや、違うだろう。そもそも今の彼はあの時の彼ではないのだ。罪滅ぼしをしたところで単なる自己満足に過ぎない。彼にしてみれば何でもないことだろう。
 だったら何故、ここまで彼を気にかけるのか。今の彼とあの時の彼は全くの別人だというのに。 本当は分かっている。でも分かりたくないのだ。認めたくないのだ。もしも分かったところで自分は否定し続けるだろう。その理由を。
 そして何より、あの時の彼のこともある。最期の最期まで自分を殺めてしまった事に自責の念を感じていた彼。それが、今でも心に引っかかる。
 まさに板挟みな状態だ。今の彼への想いと、あの時の彼への想いに挟まれ苦しんでいる。
 あの時の彼も、今の彼も、三つのトライフォースの力が引き起こす運命は呪いなどではないときっぱり言い切った。

 しかしそれでも、今こうして苦しめられている自分には、三つのトライフォースの力が引き起こす運命は、呪いとしか思えなくて。





 それから更に2日経った。もう戻ってきてもいい頃なのに、戻ってこない。
 流石に怪しくもなってくる。何かあったのだろうか。
「……」
 温度というものが存在しない水に抱かれながら、ダークは意識を集中させる。
 水と同化できる体になってから、湖や川なら即座に現れることが可能になった。言うなれば大地を流れる水は全てダークの意識そのもの。各地の湖に流れる水にダークの意識を預けて、リンクの姿を探す。
「(いない……)」
 ある程度の湖や川を探してみたが、リンクの姿は見当たらない。更にくまなく各地の湖と川を探してみる。
「(……!)」
 居た。フィローネの森の奥にある湖の畔に、リンクは倒れていた。いたる所から血を流して、気を失っている。その傍にミドナが心配そうな顔つきで立っている。
 その湖に現れようと、個々に散らばっていた意識を集めて一点に集中させる。
 直ぐにダークの赤い瞳に森の風景が映し出されて、目の前を一匹の蝶が通り過ぎる。
「お前……!」
 湖からダークが現れたことに気づいて、警戒したミドナがリンクの目の前に仁王立ちする。
 ダークは淡々とした口調で、
「あんたが思うようなことは何もしない。おれはこいつを助けに来ただけだ」
「嘘だ。リンクに近づいたのも何もかも、初めからリンクを殺すつもりだったんだろう!」
 ミドナの叫びにも全く気にも留めず、ダークは自嘲的な笑みを浮かべて、
「リンクの影がリンクを殺すことなんて、出来やしない」
 ダークはリンクの元へ歩み寄って、リンクの額にそっと手を翳し、意識を手に集中させ、リンクの体に自分の魔力を送る。
 リンクの傷がどんどん塞がっていくのと同時に、ダークの体のあちらこちらから血が噴出して、言いようのない痛みが全身を駆け巡り、思わず気を失いかける。
「おい……、一体何を……!」
 ミドナの叫びも気にせずにダークはリンクに魔力を送り続け、どんどんとリンクの傷を自分の体に移していく。
 これは、リンクの影である自分にしか出来ない。自分はリンクの影だから、リンクの傷も痛みもこの体に移すことが出来る。
 ――救えなかったから。あの時のリンクと今のリンクは違うだなんて、そんなこと誰に言われなくても分かっている。
 それでも、やはり自分で自分を許したい、許されたい。罪を無くしてしまいたい。
 だからきっとこれは、自分への罪滅ぼし。もう自己満足でもいい。少しでも自分を締め付ける枷が緩くなるのならば、この身なんて投げ出しても構わない。
 完全にリンクの傷を自分の体に移したことを確認すると、歯を食いしばって痛みに耐えつつ、湖に腰に浸かる程度まで入る。
 意識を湖の水に預けると、水がうねり、傷付いたダークの体を飲み込んでいく。
 うねり続ける水がやっと収まった時には、リンクから移した傷が跡形もなく全て消えた姿で、ダークは水面の上に立っていた。
「アンタは……どうしてそんなことが……?」
 ダークは小さく笑って、

「出来るんだよ。だっておれは、「リンクの影」だから」





「怪我なんてしないって、あの時言ってたじゃないか」
 ――リンクの意識が戻ったら直ぐに呼ぶことを条件に、少しの間二人きりにさせて貰った。
 ダークはリンクの髪をそっと撫でながら、小さく呟く。
「……指切りだって、しただろう」
 そっと、数日前にした指切りでの、リンクの指の感触と温かさを思い出す。魔物の自分には存在し得ない感触が、温かさが、やけに指に染みついて離れない。
「……あの時お前は、おれが消えた後にこう言ったな。「君はぼくを、どう思っているのか」って。……聞こえてたんだよ。おれには」
 気を失ったままのリンクは答えない。それでもダークは続けて、
「お前は多分、おれがここまでお前のことを気にするのは、お前の瞳を通してかつての勇者リンクを見ているから。とでも思っているんだろ?」
 言われなくても分かる。思えばあの時のリンクも、考えていることが直ぐ顔に出てしまうから、考えが非常に分かりやすい性格だった。
「確かにそういう思いだってある。否定はしないさ。……救えなかったどころか、剣を向けてしまったから。でも……そういう想いよりも強い思いだってある」

「……好きなんだよ。お前が」
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