どうして、彼を好きになったのだろうか。
……思い出せなかった。その事は自分的にも時間的にも、既に遥か遠い出来事となっていたからだろう。
けれど、彼を好きになるということはつまり、鏡に映った自分を好きになるというのと同じことなのだ。それなのに、どうして好きになったのだろう。
多分、彼を「鏡に映った自分」ではなく、「一人の他人」として見ていたのだろう。そうでなければ、こんな想いを今尚引き摺ったりしない。
容姿こそそっくりなのだ。髪や瞳の色こそ違うが、瓜二つの顔や体。
確かに自分はそうなるべくして創られたのだから、当然といえば当然なのだが。
だが性格は違った。あまりにも卑屈すぎる自分と、どこまでも前向きな彼。瓜二つの外見とは裏腹に、中身は正反対だった。
そこに惹かれたのだろうか。自分には無いものを持つ彼に。自分だって、彼には無いものを持っているはずなのに。
――今となってはもう、真偽のほどはわからないけれど。
抜け落ちた記憶を集めようとは思わなかった。
あと少しの命なら、記憶を必死に拾い集めても意味がないと感じたから。
「……そろそろ、ばれていることに気付いたらどうだ?」
そう、岩場の影に隠れているリンクに話しかけると、リンクはばつが悪そうな顔をして岩陰から姿を現した。
その表情が、もううろ覚えでしかないけれど、どこかあの時の彼に似ていて、胸を締め付けられているような気分になる。勿論、リンクはそんな事は全く知らずに、
「いつから……気付いてた?」
「最初からバレバレだ。馬鹿」
「そっか。それと……」
そこまで言ったところで、リンクは何か口篭る。大方、命を救ってもらったのに何も言わずに暫くダークに顔を見せなかったことと、自分の命を救ってもらったことに対する感謝の言葉を言おうとして、申し訳無さから口篭ってしまったのだろう。
「言いたいことはわかる。……お前は別に何も言わなくてもいい」
リンクが切り出すよりも先に、ダークがそう言うと、リンクは唖然とした表情でこう言った。
「いいの?」
「いい。別に大した事じゃないし、おれは怒ってもいない」
「……分かった。ダークがそう言うのなら、ぼくは言わない。でも……ありがとう」
僅かな間だけダークから目を逸らし、考え込んだ後、リンクがそう言って、微笑んだ。
そうだ、あの時の彼だって、そんな風に笑っていた。……どうしてこんなに、皮肉とまで思えるほど、あの時の彼とリンクは似ているのか。
自分自身に突きつけられた呪いのような運命を再確認して、ダークは緩みそうになった涙腺を必死に抑えて、ぶっきらぼうに、
「どういたしまして。二度とあんな怪我はするなよ」
「うん、もうしないよ。ダークの不思議な力でぼくは命を助けられたんだよね。本当にありがとう」
そうやってリンクが微笑む度に、もうだいぶ霧がかかって思い出せなくなってしまったあの時の彼とリンクの微笑が重なって、胸が一層強く締め付けられるのと同時に、自分の表情が凍りつくのが分かる。
「ぼくね、明日ハイラル城に行くんだ。そこでガノンドロフを倒して、もう二度と、こんなことが起こらないようにする。……だからダークに会いに来た。もしかしたら、二度と……」
「それ以上は言うな」
何かリンクが言いかけたのを、ダークは遮った。そんな言葉、たとえ憶測でも聞きたくなかった。
「『もしかしたら』でも、そんな言葉はお前のような奴が言うことじゃない」
「……そうだね。ごめん。変な事言って」
そう言って、リンクはそっと目を伏せて、黙りこくってしまった。
リンクが言いかけたのを遮ったのは自分だが、あの時の彼も、同じようなことを思っていたのだろうか。
その時、自分は死んでいたので分からないが、容姿も仕草もここまで同じなら、もしかしたら全く同じようなことを考えていたのではないのだろうか。
彼は一人で城に乗り込んで、戦って、ガノンドロフを倒したのだ。改めて、彼の成し遂げたことが如何に凄いか思い知らされる。
「ダーク」
「……なんだよ」
「指切り、しようよ」
表情が凍りついて、呼吸が一瞬途絶えた。風が一瞬だけ強く吹いて、まるで自分の心模様を表しているかのように水面が大きく波を立てる。
「……指切り?」
素直に嫌だと言うはずだったのに、口から出てきた言葉は全く違うものだった。リンクは黙って頷いて、
「うん。ぼくは絶対帰るって。帰って、君に会うんだって」
ダークが泣きそうになっているのを、リンクは知っていて言っているのだろうか。だとしたら、なんて酷くて、やさしい言葉なのだろう。
「ね? ……指切り、しようよ」
リンクがそう言って、小指を差し出す。ダークも震えながら小指をそっと差し出す。
リンクはダークの小指をそっと掴んで、指切りをする。する前から守れないと分かっている、指切りを。
――嫌だといえばよかったのだ。後で後悔したくないから守れない約束などしたくないと言えばよかったのだ。
ただそれだけの事が、どうして出来なかったのだろうか。
「ありがとう。……ぼく、絶対に負けないから」
「……負けるはずがない。勇者リンクは絶対に負けない」
リンクは負けるはずがない。間違いなくガノンドロフを殺すだろう。そして、ダークは死ぬのだ。
確証なんて勿論有りはしない。けれど、絶対にそうなるだろうと、その予想が的中すればダークは死ぬというのに自信を持って言うことができた。
これは運命なのだろうか。ガノンドロフが勇者リンクによって倒される。トライフォースにはそんな運命が刻まれているのだろうか。ダークを縛り付ける運命と同じように。
何百年も前の戦いがまた繰り返されて、その輪の中に自分は、いる。そうして繰り返されたことによって、そう遠くない内に自分はその輪の中から外れる。――彼らを残し、自分だけが。
「じゃあ、ぼく……そろそろ行かなくちゃ。明日はとても、とても大事な日だから、そんなに長くは居られないんだ。……ごめん」
「別にいい。おれよりも、優先すべきことはもっとあるだろ? ならそれが当たり前のことだ」
そう、笑って答える。つくづく自分は嘘吐きで、そのくせ嘘が下手だと思う。
本当は泣きたくてしょうがない、自分の運命を嘆きたくてしょうがないのだ。けれど、出来ない。リンクの目の前だから、リンクに弱いところなど見せたくないから、そうやって強がって、見え見えの仮面を被る。
自分がどれだけ愚かだなんて、誰に言われなくても分かっている。
「それじゃあ……またね。ダーク」
リンクがひらひらと手を振って、踵を返そうとする。
その姿が見れるのもこれで最後だと思うと、急に居ても立ってもいられない気持ちになり、気が付いたときダークは腕を伸ばして、リンクを後ろから抱きしめていた。
「……ダーク?」
「すまない。あと、少しだけ……」
このままでいさせてくれ。そう耳元で呟く。リンクは小さく首を縦に振って、ダークの腕にそっと自分の手を重ねてきた。
魔物のダークには存在し得ない温もりがそこにあって、それだけで涙腺が更に緩みそうになるが、泣きそうになるのを必死に堪える。
「あはは……ちょっと、苦しいよ。ダーク」
「……すまない」
そう呟いて、腕に込める力を少し緩める。するとリンクがそっと、ありがとう。と呟いてくれた。
しばらく、いや、ずっとこのままで居たかった。けれどこうしている間に時間は刻一刻と過ぎていって、やがてリンクはダークの元を去って、ガノンドロフを倒して、ダークは死ぬ。
だから、あと少しだけでいいから、この温もりを覚えていたい。最期の最期まで、ずっと。
「ぼく、もう行かなくちゃ。……時間がない」
時間がないのは、自分だって同じだ。そう言おうとして、ダークは踏みとどまって、そっとリンクを自分の腕の中から開放してやる。リンクは、後ろを向かずに、
「ありがとう。……また、絶対会おうね。指切り、したんだしさ」
その声と肩が、少しだけ震えていたのを、ダークは見逃さなかった。
「ああ。絶対、会おう。……約束だ」
また嘘を吐いた。嘘を吐いたところで、守れない約束をしたところで、後悔するだけなのに。
リンクは後ろを振り向かずにそのまま、駆け出して行った。
ダークは何も言わずに、リンクの姿を見えなくなるまで見送る。
「わかってる。……いや、わかってた」
けれど何も言わなかった。言えなかった。というのが正しいのかもしれないけれど、リンクが何も言ってこなかったように、ダークも何も言わなかった。
――また、嘘をひとつ重ねてしまった。
かつて、ガノンドロフを倒した勇者様は同じ金色の髪に碧眼を持ち、同じ緑色の服を着て、今自分が握っている剣と同じ剣を持ってガノンドロフを倒したという。
勇者様は、勇気のトライフォースに選ばれた人間だった。そして、自分もまたそうだ。勇気のトライフォースに選ばれて、世界を救う為に戦う。かつての勇者様と同じように。
勇者様はガノンドロフを倒し、六賢者と共に影の世界に追いやった。けれど勇者様の偉業も虚しく、ガノンドロフは再び復活を果たし、今自分とこうして剣を交えているのだ。
なら、ダークがあの時言っていた、トライフォースの力が引き起こす運命は呪いとも受け取れる。というのも頷けるような気がした。
ガノンドロフが復活すれば、金髪に碧眼、緑の服を身に纏った、勇気のトライフォースに選ばれた勇者がガノンドロフを討つ。何百年も前もそうだったし、今もまさにそうなろうとしている。
だとしたら、これからもこの運命は繰り返されてしまうのだろうか? 今も横糸のようにこの世界とは平行な立場にある世界では同じような運命が繰り返されているのか?
自分は認めたくない。――いや、絶対に認めるものか。
この運命が繰り返されるということも、トライフォースの力が引き起こす運命が呪いだということも、絶対に。
咳き込んだら、血を少し吐いてしまった。
全身が痛くて、傷口がどこにあるのかさえ分からない。剣もやけに重く感じる。今すぐにでも倒れてしまいそうだ。
けれど倒れたりなどするものか。この世界の為に、そして、ダークと交わした約束の為に。
吐血だって旅を始めてから今まで何度もした。別に珍しいことじゃない。これよりも酷い傷だって負ったこともある。そう考えればこんな傷、どうということはないのだ。
それに、自分が疲れきっているなら、相手だって同じだ。ガノンドロフもそこかしこから血を流し、今にも倒れそうだ。
後はもう気力勝負だ。だが、負けるものか。
こんな戦いは早く終わらせてダークと会うのだ。勝ったと満面の笑みを浮かべて言って、今までいえなかった言葉を全てダークに伝えるのだ。
だからこそ、早く、早く……
長い鍔迫り合いの末、ガノンドロフが地面に倒れこんだ。勿論リンクがその隙を逃すはずが無い。
リンクは駆け出して高く跳躍し、剣を真直ぐ構える。
剣の先にあるのは、ガノンドロフの左胸。
「(ぼくは……ダークに……!)」
「……!」
両腕が透けた。ダークは恐る恐る、半透明の腕で湖の中の小石を掴もうとすると、手が石をすり抜けて小石を掴むことが出来ず、まるで空気を掴もうとしているような状態になった。
それに水の冷たさも全く感じない。透けていたのは最初は手の平だけだったが、やがて前腕、そしてどんどん二の腕のほうまで透けていく。
足も透けてきた。最初は足首までだったのがこれもまたどんどん上のほうへと侵食してくる。
「(ああ……やっと……)」
最後の時が、来た。これでやっと呪いのような、運命から……
「……なんでだよ……なんでなんだよっ!」
やっと呪いのような運命から解放されるのに、どうして涙が出るのか。
確かに、確かに自分にとって三つのトライフォースが引き起こす運命は苦痛そのものだった。
このせいで自分は戦いに巻き込まれて、愛した人に胸を貫かれて、蘇ったのはいいもののその人に強い自責の念を残してしまい、自分だけが長く長く生き永らえ、愛した人の顔すらもうまともに思い出せなくなってしまったのに。
それでもどうしてだか、涙が止まらない。
「あいつのせいだって、いうのかよ……」
彼のせいで、こんなに世界に未練なんて残してしまったのか。だったら出会わなければ、潔く死ねたのだろうか。
「でも……おれは……」
幸せだった。自分の生きた時間からすれば極々短い時間でも、幸せだったと言えた。一人寂しく最期の時を待つよりもずっと、よかった。
ダークは天を仰いで、月と星に、そして神に向けて吼える。
「……ざまあみろ、おれにこんな運命を与えてもおれは幸せだった! 人を愛したし愛された! 魔物のおれには最高の人生だったね! さぁ、おれを地獄にでもどこにでも連れて行け!」
最期の足掻きと言われたって構わない。自分が幸せだったのは確かだったのだ。
もう体の殆どが透けてしまった。残された時間など殆ど無い。
そっと、彼の体温を思い出す。彼を抱いた時の暖かさ、彼と指切りを交わした時の暖かさを。
「(ああ……でも、やっぱり……)」
幸せだった。涙は止まらないけれど、もう死ぬことは怖くなんて無い。
――けれど、心残りが唯一つ。
「……守れない約束なんて、するんじゃなかったな」
そう呟いた直後、ダークの体は光の塵となって、跡形無く消えた。
「……大好きだったよ」
あの時の彼が笑っていた。とても、とても嬉しそうに、あの時の彼を見ている自分まで幸せな気持ちになってくるほど嬉しそうに。
何度も何度も思い出そうとしても霧がかかったようになって、思い出せなかったのに、今ははっきりと、笑顔も泣き顔も怒った顔も全て、鮮明に思い出すことが出来た。
そっと自分の頬に触れると、自分は今、あの時の彼の鏡に戻っていた。
「ダーク」
あの時の彼が、自分に手を差し伸べる。その手をそっと取ると、あの時の彼はいきなり自分に抱きついてきた。
あの時の彼は本当に嬉しそうに微笑んで、耳元でこう囁いた。
「ずっと、待ってた」
……思い出せなかった。その事は自分的にも時間的にも、既に遥か遠い出来事となっていたからだろう。
けれど、彼を好きになるということはつまり、鏡に映った自分を好きになるというのと同じことなのだ。それなのに、どうして好きになったのだろう。
多分、彼を「鏡に映った自分」ではなく、「一人の他人」として見ていたのだろう。そうでなければ、こんな想いを今尚引き摺ったりしない。
容姿こそそっくりなのだ。髪や瞳の色こそ違うが、瓜二つの顔や体。
確かに自分はそうなるべくして創られたのだから、当然といえば当然なのだが。
だが性格は違った。あまりにも卑屈すぎる自分と、どこまでも前向きな彼。瓜二つの外見とは裏腹に、中身は正反対だった。
そこに惹かれたのだろうか。自分には無いものを持つ彼に。自分だって、彼には無いものを持っているはずなのに。
――今となってはもう、真偽のほどはわからないけれど。
抜け落ちた記憶を集めようとは思わなかった。
あと少しの命なら、記憶を必死に拾い集めても意味がないと感じたから。
「……そろそろ、ばれていることに気付いたらどうだ?」
そう、岩場の影に隠れているリンクに話しかけると、リンクはばつが悪そうな顔をして岩陰から姿を現した。
その表情が、もううろ覚えでしかないけれど、どこかあの時の彼に似ていて、胸を締め付けられているような気分になる。勿論、リンクはそんな事は全く知らずに、
「いつから……気付いてた?」
「最初からバレバレだ。馬鹿」
「そっか。それと……」
そこまで言ったところで、リンクは何か口篭る。大方、命を救ってもらったのに何も言わずに暫くダークに顔を見せなかったことと、自分の命を救ってもらったことに対する感謝の言葉を言おうとして、申し訳無さから口篭ってしまったのだろう。
「言いたいことはわかる。……お前は別に何も言わなくてもいい」
リンクが切り出すよりも先に、ダークがそう言うと、リンクは唖然とした表情でこう言った。
「いいの?」
「いい。別に大した事じゃないし、おれは怒ってもいない」
「……分かった。ダークがそう言うのなら、ぼくは言わない。でも……ありがとう」
僅かな間だけダークから目を逸らし、考え込んだ後、リンクがそう言って、微笑んだ。
そうだ、あの時の彼だって、そんな風に笑っていた。……どうしてこんなに、皮肉とまで思えるほど、あの時の彼とリンクは似ているのか。
自分自身に突きつけられた呪いのような運命を再確認して、ダークは緩みそうになった涙腺を必死に抑えて、ぶっきらぼうに、
「どういたしまして。二度とあんな怪我はするなよ」
「うん、もうしないよ。ダークの不思議な力でぼくは命を助けられたんだよね。本当にありがとう」
そうやってリンクが微笑む度に、もうだいぶ霧がかかって思い出せなくなってしまったあの時の彼とリンクの微笑が重なって、胸が一層強く締め付けられるのと同時に、自分の表情が凍りつくのが分かる。
「ぼくね、明日ハイラル城に行くんだ。そこでガノンドロフを倒して、もう二度と、こんなことが起こらないようにする。……だからダークに会いに来た。もしかしたら、二度と……」
「それ以上は言うな」
何かリンクが言いかけたのを、ダークは遮った。そんな言葉、たとえ憶測でも聞きたくなかった。
「『もしかしたら』でも、そんな言葉はお前のような奴が言うことじゃない」
「……そうだね。ごめん。変な事言って」
そう言って、リンクはそっと目を伏せて、黙りこくってしまった。
リンクが言いかけたのを遮ったのは自分だが、あの時の彼も、同じようなことを思っていたのだろうか。
その時、自分は死んでいたので分からないが、容姿も仕草もここまで同じなら、もしかしたら全く同じようなことを考えていたのではないのだろうか。
彼は一人で城に乗り込んで、戦って、ガノンドロフを倒したのだ。改めて、彼の成し遂げたことが如何に凄いか思い知らされる。
「ダーク」
「……なんだよ」
「指切り、しようよ」
表情が凍りついて、呼吸が一瞬途絶えた。風が一瞬だけ強く吹いて、まるで自分の心模様を表しているかのように水面が大きく波を立てる。
「……指切り?」
素直に嫌だと言うはずだったのに、口から出てきた言葉は全く違うものだった。リンクは黙って頷いて、
「うん。ぼくは絶対帰るって。帰って、君に会うんだって」
ダークが泣きそうになっているのを、リンクは知っていて言っているのだろうか。だとしたら、なんて酷くて、やさしい言葉なのだろう。
「ね? ……指切り、しようよ」
リンクがそう言って、小指を差し出す。ダークも震えながら小指をそっと差し出す。
リンクはダークの小指をそっと掴んで、指切りをする。する前から守れないと分かっている、指切りを。
――嫌だといえばよかったのだ。後で後悔したくないから守れない約束などしたくないと言えばよかったのだ。
ただそれだけの事が、どうして出来なかったのだろうか。
「ありがとう。……ぼく、絶対に負けないから」
「……負けるはずがない。勇者リンクは絶対に負けない」
リンクは負けるはずがない。間違いなくガノンドロフを殺すだろう。そして、ダークは死ぬのだ。
確証なんて勿論有りはしない。けれど、絶対にそうなるだろうと、その予想が的中すればダークは死ぬというのに自信を持って言うことができた。
これは運命なのだろうか。ガノンドロフが勇者リンクによって倒される。トライフォースにはそんな運命が刻まれているのだろうか。ダークを縛り付ける運命と同じように。
何百年も前の戦いがまた繰り返されて、その輪の中に自分は、いる。そうして繰り返されたことによって、そう遠くない内に自分はその輪の中から外れる。――彼らを残し、自分だけが。
「じゃあ、ぼく……そろそろ行かなくちゃ。明日はとても、とても大事な日だから、そんなに長くは居られないんだ。……ごめん」
「別にいい。おれよりも、優先すべきことはもっとあるだろ? ならそれが当たり前のことだ」
そう、笑って答える。つくづく自分は嘘吐きで、そのくせ嘘が下手だと思う。
本当は泣きたくてしょうがない、自分の運命を嘆きたくてしょうがないのだ。けれど、出来ない。リンクの目の前だから、リンクに弱いところなど見せたくないから、そうやって強がって、見え見えの仮面を被る。
自分がどれだけ愚かだなんて、誰に言われなくても分かっている。
「それじゃあ……またね。ダーク」
リンクがひらひらと手を振って、踵を返そうとする。
その姿が見れるのもこれで最後だと思うと、急に居ても立ってもいられない気持ちになり、気が付いたときダークは腕を伸ばして、リンクを後ろから抱きしめていた。
「……ダーク?」
「すまない。あと、少しだけ……」
このままでいさせてくれ。そう耳元で呟く。リンクは小さく首を縦に振って、ダークの腕にそっと自分の手を重ねてきた。
魔物のダークには存在し得ない温もりがそこにあって、それだけで涙腺が更に緩みそうになるが、泣きそうになるのを必死に堪える。
「あはは……ちょっと、苦しいよ。ダーク」
「……すまない」
そう呟いて、腕に込める力を少し緩める。するとリンクがそっと、ありがとう。と呟いてくれた。
しばらく、いや、ずっとこのままで居たかった。けれどこうしている間に時間は刻一刻と過ぎていって、やがてリンクはダークの元を去って、ガノンドロフを倒して、ダークは死ぬ。
だから、あと少しだけでいいから、この温もりを覚えていたい。最期の最期まで、ずっと。
「ぼく、もう行かなくちゃ。……時間がない」
時間がないのは、自分だって同じだ。そう言おうとして、ダークは踏みとどまって、そっとリンクを自分の腕の中から開放してやる。リンクは、後ろを向かずに、
「ありがとう。……また、絶対会おうね。指切り、したんだしさ」
その声と肩が、少しだけ震えていたのを、ダークは見逃さなかった。
「ああ。絶対、会おう。……約束だ」
また嘘を吐いた。嘘を吐いたところで、守れない約束をしたところで、後悔するだけなのに。
リンクは後ろを振り向かずにそのまま、駆け出して行った。
ダークは何も言わずに、リンクの姿を見えなくなるまで見送る。
「わかってる。……いや、わかってた」
けれど何も言わなかった。言えなかった。というのが正しいのかもしれないけれど、リンクが何も言ってこなかったように、ダークも何も言わなかった。
――また、嘘をひとつ重ねてしまった。
かつて、ガノンドロフを倒した勇者様は同じ金色の髪に碧眼を持ち、同じ緑色の服を着て、今自分が握っている剣と同じ剣を持ってガノンドロフを倒したという。
勇者様は、勇気のトライフォースに選ばれた人間だった。そして、自分もまたそうだ。勇気のトライフォースに選ばれて、世界を救う為に戦う。かつての勇者様と同じように。
勇者様はガノンドロフを倒し、六賢者と共に影の世界に追いやった。けれど勇者様の偉業も虚しく、ガノンドロフは再び復活を果たし、今自分とこうして剣を交えているのだ。
なら、ダークがあの時言っていた、トライフォースの力が引き起こす運命は呪いとも受け取れる。というのも頷けるような気がした。
ガノンドロフが復活すれば、金髪に碧眼、緑の服を身に纏った、勇気のトライフォースに選ばれた勇者がガノンドロフを討つ。何百年も前もそうだったし、今もまさにそうなろうとしている。
だとしたら、これからもこの運命は繰り返されてしまうのだろうか? 今も横糸のようにこの世界とは平行な立場にある世界では同じような運命が繰り返されているのか?
自分は認めたくない。――いや、絶対に認めるものか。
この運命が繰り返されるということも、トライフォースの力が引き起こす運命が呪いだということも、絶対に。
咳き込んだら、血を少し吐いてしまった。
全身が痛くて、傷口がどこにあるのかさえ分からない。剣もやけに重く感じる。今すぐにでも倒れてしまいそうだ。
けれど倒れたりなどするものか。この世界の為に、そして、ダークと交わした約束の為に。
吐血だって旅を始めてから今まで何度もした。別に珍しいことじゃない。これよりも酷い傷だって負ったこともある。そう考えればこんな傷、どうということはないのだ。
それに、自分が疲れきっているなら、相手だって同じだ。ガノンドロフもそこかしこから血を流し、今にも倒れそうだ。
後はもう気力勝負だ。だが、負けるものか。
こんな戦いは早く終わらせてダークと会うのだ。勝ったと満面の笑みを浮かべて言って、今までいえなかった言葉を全てダークに伝えるのだ。
だからこそ、早く、早く……
長い鍔迫り合いの末、ガノンドロフが地面に倒れこんだ。勿論リンクがその隙を逃すはずが無い。
リンクは駆け出して高く跳躍し、剣を真直ぐ構える。
剣の先にあるのは、ガノンドロフの左胸。
「(ぼくは……ダークに……!)」
「……!」
両腕が透けた。ダークは恐る恐る、半透明の腕で湖の中の小石を掴もうとすると、手が石をすり抜けて小石を掴むことが出来ず、まるで空気を掴もうとしているような状態になった。
それに水の冷たさも全く感じない。透けていたのは最初は手の平だけだったが、やがて前腕、そしてどんどん二の腕のほうまで透けていく。
足も透けてきた。最初は足首までだったのがこれもまたどんどん上のほうへと侵食してくる。
「(ああ……やっと……)」
最後の時が、来た。これでやっと呪いのような、運命から……
「……なんでだよ……なんでなんだよっ!」
やっと呪いのような運命から解放されるのに、どうして涙が出るのか。
確かに、確かに自分にとって三つのトライフォースが引き起こす運命は苦痛そのものだった。
このせいで自分は戦いに巻き込まれて、愛した人に胸を貫かれて、蘇ったのはいいもののその人に強い自責の念を残してしまい、自分だけが長く長く生き永らえ、愛した人の顔すらもうまともに思い出せなくなってしまったのに。
それでもどうしてだか、涙が止まらない。
「あいつのせいだって、いうのかよ……」
彼のせいで、こんなに世界に未練なんて残してしまったのか。だったら出会わなければ、潔く死ねたのだろうか。
「でも……おれは……」
幸せだった。自分の生きた時間からすれば極々短い時間でも、幸せだったと言えた。一人寂しく最期の時を待つよりもずっと、よかった。
ダークは天を仰いで、月と星に、そして神に向けて吼える。
「……ざまあみろ、おれにこんな運命を与えてもおれは幸せだった! 人を愛したし愛された! 魔物のおれには最高の人生だったね! さぁ、おれを地獄にでもどこにでも連れて行け!」
最期の足掻きと言われたって構わない。自分が幸せだったのは確かだったのだ。
もう体の殆どが透けてしまった。残された時間など殆ど無い。
そっと、彼の体温を思い出す。彼を抱いた時の暖かさ、彼と指切りを交わした時の暖かさを。
「(ああ……でも、やっぱり……)」
幸せだった。涙は止まらないけれど、もう死ぬことは怖くなんて無い。
――けれど、心残りが唯一つ。
「……守れない約束なんて、するんじゃなかったな」
そう呟いた直後、ダークの体は光の塵となって、跡形無く消えた。
「……大好きだったよ」
あの時の彼が笑っていた。とても、とても嬉しそうに、あの時の彼を見ている自分まで幸せな気持ちになってくるほど嬉しそうに。
何度も何度も思い出そうとしても霧がかかったようになって、思い出せなかったのに、今ははっきりと、笑顔も泣き顔も怒った顔も全て、鮮明に思い出すことが出来た。
そっと自分の頬に触れると、自分は今、あの時の彼の鏡に戻っていた。
「ダーク」
あの時の彼が、自分に手を差し伸べる。その手をそっと取ると、あの時の彼はいきなり自分に抱きついてきた。
あの時の彼は本当に嬉しそうに微笑んで、耳元でこう囁いた。
「ずっと、待ってた」
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