一匹の妖精が自分の気配に気づいたのか、自分の方へと羽ばたいてきた。
 その妖精は自分の周りをくるくると、綺麗な光を残しながら飛び回っている。その残った光が自分の体を包み、先ほどの戦いの傷が直っていくのがわかった。頬に手を置いてみた、さっきまであったはずの敵と戦った際に出来た傷が綺麗さっぱりなくなっている。今度はグローブを外してみた。剣を扱っていた際に誤って切ってしまったはずの傷がなくなっていた。さすがに今までの古傷までは直しきれないようだが。それでも十分だ。
「凄いなぁ……」
 大妖精の力といい、この湖の風景といい、本当に凄いと、リンクはうっとりと溜め息をつく。
 グローブをまた手に着けて、視界を大きく上げる。そこには、溜め息が出てしまうほどとても美しい風景が広がっていた。
 元々自分のお気に入りの場所だったフィローネの森の湖に、何匹もの妖精が湖の周りをひらひらと飛んでいるのだ。妖精が飛んでいた後には金色の光が残っていて、その光と妖精達が湖の風景にとけ込んで、それがまた一段とこの場所を美しくさせている。
 そっと湖に足を進めた。さっきよりも多くの妖精が自分の気配に気付いて、こっちに寄ってくる。大妖精にそう言われて自分にだけよくなつくように出来ているのだろうか。本当に沢山の妖精達が自分の周りを飛んでいる。
 一匹の妖精が自分の肩に止まってくれた。そっとその妖精に微笑んでみる。微笑み返してもらうことは出来ないけれど、それでも満足だった。
 エポナを近くに待たせて、岸辺に立つ。深呼吸をして、彼の名前を呼んだ。
「ダーク」
 自分の声が辺り一帯に響く。それに返事をしてくれる者はいない。もう一度呼んでみる。
「ダーク、ここにいるんだろ?」
「……何の用だ」
 どこからともなく、自分のものではない低い声が聞こえた。いきなり湖の水が大きくうねり、人一人を包み込めそうなほど大きな一本の水柱が自分の目の前に現れる。
 すぐにその大きな水柱がぱしゃん、と音を立ててはじけると、その中からついさっきまでここに居なかったはずの、真っ黒な服に銀色の髪、赤い瞳の、自分と全く同じ顔の青年が現れた。
 ダークは眉と眉の間に沢山の皺を寄せ、露骨に嫌そうな顔をして、広がる波紋をいくつも残しながら水面の上を歩く。
「いるならもっと早く出てきてほしいんだけどね」
「しょうもない理由でまたおれを呼んだくせに、よく言う」
「しょうもなくなんかないよ。見て、これ」
 凄いだろと言って、辺りを見るようにダークに促す。しかしダークは辺りを見回すことはせず、相変わらずの不機嫌顔で、
「知ってる。こいつら妖精のことだろ」
「……やっぱりもう知ってたか。ダークってこういうはすぐにわかるの?」
「わかるといってもなんとなくだけどな。誰かの強い力がこの場所に注がれるのを感じた。それからすぐにこの場所に来て、気付いた。……これは大妖精の力か?」
「うん、大妖精に会ってきたんだ。綺麗だろ?」
 妖精がさらに一匹、今度は自分の頭の上にのる。自分には沢山の妖精が寄ってきてくれるけれど、ダークには一匹も妖精が近寄ってきてくれなかった。
「やっぱりお前が呼んだのか」
「そうそう。頑張ったんだよ、大妖精に会うためにさ」
「ああ、綺麗だな。……ありがとう」
 その言葉を聞いて、驚きのあまり一瞬思考と全身が一気に止まってしまった。口を開けばいつもとげのある言葉ばかりが飛び出すダークが、自分に感謝の言葉をかけてくれるなどど思っても見なかったからだ。
 ダークはそんな自分の姿を見て、大体何を考えているのかわかってしまったのか、眉間の皺をさらに数本増やして、
「なんだその顔は」
「あ、いや、ダークにそういうこと言われるなんて思ってなかったからさ」
「おれが感謝の言葉を口にしちゃいけないのか?」
「そういうわけじゃ、ないけど。ごめん」
 あわててダークにフォローをする。ダークはそれを聞いて大きく溜め息をついた後に、眉間の皺を減らしてくれた。とはいってもまだ眉間に皺を寄せていることは確かなのだが。
「そういえば……ダークの周りには妖精、寄ってこないね。なんで?」
 そう不思議に思ったので、かくんと首を傾げてダークに聞いてみた。首を傾げたせいで頭の上に止まっていた妖精が飛び立っていってしまった。
 リンクが今立っているところから、少し離れたところに立っているダークが、何も言わずにゆっくりと一歩、二歩、と足を進めて自分に近づいてくる。
 さっきよりも少しだけダークが近づいてきて、これまたゆっくりとダークが自分の方へと手を伸ばした。すると自分の肩にずっと止まっていた妖精も、自分の頭の上にもう一度止まろうとしていた妖精も、一斉にダークの手を避けるようにリンクの後ろに逃げていってしまった。
 それを見たダークは、自嘲の笑みを浮かべて、
「この通りだ」
「……逃げられちゃうんだ? ぼくには妖精の方から寄ってくるのに」
「仕方ないだろ。こんななりでもおれは魔物なんだ。避けられないほうがおかしい」
「外見は同じなのにね」
「おれがお前の姿を模して作られた魔物というだけだ。ただ姿が似ているだけで、繋がりは何もない」
「姿が似ているってところにぼくとダークの繋がりがあるんだよ。ぼくらは鏡みたいな感じってダークも前に言ってたしさ」
「……そんな下らない繋がりを求めて何をするつもりだ」
 また、さっきみたいにダークの眉間に皺が寄っていく。
「確かにまぁ……何かするってわけでもないけど。でもさ、自分達に何かしらの繋がりがあった方がいいとは思わない?」
「思わない。……お前が何をしたいのかおれにはよくわからない」
「うーん……まぁ、わかんないだろうね。魔物に人間の考えることはさ」
「嫌味のつもりか?」
「こういうこと言っても、ダークは怒るような人じゃないって思ってるから言ってみた」
「……そりゃどうも」
 そのままダークがそっぽをむいて黙りこくってしまう。機嫌を悪くしたのだろうかと思ったが、そうでもなさそうだった。
 後ろを振り返って、ダークにすっかりをおびえて自分の後ろを飛び回っている妖精の群に、そっと手を伸ばした。妖精たちは本当に自分によく懐いているのか、自分の思った通りに、一匹の妖精がリンクの手の平の上に乗ってくれる。
 もう片方の手で懐から、空の瓶をひとつ取り出して瓶のふたを片手だけで器用に開け、そしてそのまま、
「……えいっ」
 妖精を瓶の中に閉じこめた。すぐに瓶のふたを堅く締める。妖精も焦っているのか瓶の中をあたふたと飛び回っている。少し可哀想なことをしてしまったかと思い、瓶越しに妖精に小さくごめん、と謝る。
 妖精を閉じこめた瓶を持ったまま、ダークの方を見ると、ダークは一連の自分の行動を全部見ていたのか、ぽかんとした顔でリンクを見ていた。
「何してるんだ?」
「んー、ダークはさ、妖精に触ったことはない?」
「この通りだから、触ったことはないな」
「じゃあ、さ。これで大丈夫だよね」
 そういって、ダークに妖精を詰めた瓶を差し出す。一瞬ダークの眉間に皺が寄っていたが、すぐに元に戻り、ダークが瓶を受け取ってくれた。
 ダークが瓶を手に取ったその瞬間、瓶の中の妖精が凄い早さで瓶の中を暴れ回っている。
「……妖精が怯えているぞ。お前も酷いことをするな」
「それはまぁ、ちょっとの辛抱ってことで。あとでちゃんと逃がしてあげるし。……ダークが危害を加えるような魔物じゃないって、妖精たちも早くわかってくれたらいいんだけどね」
「それはわからないな。お前や妖精に危害を加えるかもしれない」
「今まで何もしてこないどころか、命を救ってくれた魔物に言われても全然怖くないけど」
「……次はもう助けない。それどころかお前が水場の近くでまた死にかけてたら、今度はおれがこの手でとどめを刺してやるからな」
「物騒だなぁ。もうしないよあんなの」
「ないなら、いいんだけどな」
 そういうやり取りをしている間もダークの視線が瓶の中から動くことはなかった。
 やはりダークの言うとおり、本当に近くで妖精を見たことはなかったのだろう。顔にはあまり出ていないが、それなりに妖精が興味深いのかもしれない。瓶の中の妖精はそれどころではないようだが。
「返す。さっさと逃がしてやれ」
 可哀想だからと、ダークが瓶をぼくに押し付けてきた。言われたとおりに瓶を受け取り、瓶の中の妖精を逃がしてやると、妖精はあわてて瓶の中から抜け出し群れの中に戻っていった。妖精の群れにごめん。と小さく謝って、ダークのほうを向く。
「もういいの?」
「もういい、十分だ。……ありがとう」
 その言葉を聞いて、また思考と全身が一斉に止まってしまう。すぐに我に返ってダークの表情を伺うと、眉間にまたまた沢山の皺が寄ってしまっていた。
「そんなにおれは感謝の言葉を口にするような奴に見えないか?」
「だってさ、ダークはいつもきついことばかり言ってたし……ちょっと丸くなった?」
 そう聞くと、何故かダークは俯いて黙りこくってしまった。何かあったのだろうか。
「……確かに死を前にして、丸くなったのかもしれないな」
「え?」
 今、ダークが何かを言った。というのは確かにわかった。でもそれがなんなのか、ダークは何を言ったのか、上手く聞き取ることが出来なかった。もう一度言ってくれと頼んでみたが。ダークは黙って首を横に振るだけで何も言ってくれない。
「……空耳かな?」
「そんなところだろ。どうせ他に何も用は無いんだろう。……もう行け」
「あ、うん。また来るよ。ぼくが呼んだら、ちゃんと来てよ?」
「ちゃんとした用があるなら、な。……リンク」
「ん?」
 踵を返して、もうここから去ろうとした自分を、ダークが引き止めてきた。何かあるのだろうか。
 不思議そうにダークの顔を見る。ダークは何か言いたそうに口をもごもごさせている。
「今日は、本当にいいものを見せてもらった。お前には感謝してる。もう、おれも……」
「もう?」
「いや……いい。悪かったな、変なことで引き止めて。おれのことは何も気にしないでくれ」
 やはり、今日のダークはどこか変だ。何かがおかしい。
 いつもはこんな風に素直じゃないし。本人には少し失礼だとは思うがこんなに変なことを言ったりはしない。
 ダークに何かあったのだろうかと思ったが、よくよく考えてみればダークはいつも水の中で眠っていて、自分が呼んだときにしか姿を現してくれない。自分がダークのことを呼ばない間はずっと体を水と同化させて眠っているのだ。そんなダークの身に何かが起こるような可能性は、多分とても低いはず。
 しかし何もなくてこんなにダークが素直になることなんて、果たしてあるのだろうか。
「やっぱり変だ」
「なんでもないって言っているだろ」
「でも変だよ。おかしい」
 ダークを問い詰め、何かあったのか聞きだそうとしてみた。しかしダークは不快感を顔に表しただけで何も言ってくれない。
「……気分が悪くなった。帰る」
「あっ、待ってよ!」
 リンクの呼び止める声も聞かずに、ダークはそのまま水に溶け込んで消えてしまった。ダークの姿がなくなったことに気付いた妖精たちが、リンクの後ろから湖の上へと戻っていった。

「ほんとに……なんなんだろ」
 もやもやとした気持ちが拭えないまま、リンクは踵を返し、元居た場所まで引き返していった。
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