名前なんか無かった。
 それが自分を認めるための手段だとは知っていながら、それが欲しいとは微塵も思わなかった。
 何故なら、自分はリンクの模造品だから。模造品の名前はオリジナルと同じ。でも、そのオリジナルの名前で呼んでくれる人は誰一人として居なかった。
 ――なら、名前なんて要らない。呼ばれないなら名前なんて必要ない。そもそも自分は、模造品でありながら人殺しの道具でもあった。
 この手は血で染めるためだけに作られたわけであって、そんな自分はいわばチェスの駒。普通はチェスの駒ひとつひとつに名前を付けたりなんかしない。だから要らないのだ。名前など。
 そんな考えだったから、初めて彼に会って名前を聞かれたときは酷く戸惑った。
 普通、「リンクの模造品」はオリジナルに憎悪を持つことが多い。大抵の場合は、くだらない生を受けたことを酷く怨んでいるので、その怨みはいつもオリジナルに向くらしい。
 仲間はそうだったが、自分だけはそうではなかった。くだらない生を受けたことは事実だ。けれど、どうでもいいと思っていて、オリジナルが憎いだとかそういう感情を抱くことは無かった。
 だからその分、オリジナルの彼に会ったときは彼に剣を抜くことだってなかったし、彼もそれを知っていながら自分に声をかけたのだろう。
 ただ、名前を聞かれて、なんと答えたらいいのか分からずにうろたえていただけだ。無い名前を聞かれたところで、答えられるはずがない。ただ自分は押し黙っていただけだった。
 そんな自分を見て彼は、「名前が無いから答えられない」ということに気付いたのだろう。自分達「リンクの模造品」が一般的に「ダークリンク」と呼ばれていたから、彼は「ダーク」と名付けた。
 最初はただ唖然とするばかりだった。あって間もない自分の模造品に名前をつけるなんて。その模造品達が自分を恨んでいたことだって当然分かっていただろうに。
 だから、やっと落ち着いてぽつりとこぼした言葉が「安易な名前だ」だった。
 素直に喜べばよかったのだろうか。彼から与えられた名前が、くだらない生を受けてから、一番初めに貰ったものだったのだ。
 今思えば、あの時初めて自分が生きているという実感を覚えたのだ。それまでは自分はただの動く人形。その人形が名前を与えられて初めて、本当に生を受けたのだ。
 「ありがとう」の一言ぐらいはせめて言っておくべきだったのだろう。

 今となっては、どうしようもないのだが。





 ドクターマリオはこの事は一般の参加者には口外しなかったようだし、マルスとアイク、ガノンドロフも黙っているようだった。
 ただ、どうやらマスターハンド、クレイジーハンドにはこの事を伝えたようだ。黙っていてくれとは頼んだものの、流石にこの二人には伝えないといけないのだろう。なら、仕方ない。
 そのマスターハンドの計らいだろうか、一ヶ月分丸々リンクの乱闘の予定表が空白となっていた。
 名目上は、「乱闘の予定が大詰めだったから、その分予定を空けておいた」と予定表にあったが、その真相は、最期の時間を十分に楽しんでくれ。ということだろう。様々な人達の、後数週間の命である自分への優しさが、やけに心に沁みる。
 リンクはそれを見て怪訝そうな顔をしていたが、何だかんだいって嬉しそうだった。しばらくゆっくり出来るね。と笑ってダークに話しかけてきたくらいだった。――本当は最期だからゆっくり出来るのだ。最期だから、後数週間で自分の命が終わってしまうからなのだ。
 これがせめて恋人とそっと自分の最期を過ごさしてあげたいという情けだということを、リンクは知らない。それも全て自分がリンクに話していないからで、当たり前なのだが。
 朝食の際にマルスが、「リンクには話した?」というアイコンタクトを送ってきたので、リンクに気付かれないようにそっと首を横に振ると、マルスは悲しそうな顔をして俯いた。
 自分は今、沢山の人に心配されている。これからも沢山の人が、消え行く自分と、取り残される彼を心配するだろう。
 なら、さっさと消えてしまいたい。 他人に心配され、そして迷惑をかけ、挙句彼を泣かせるくらいなら、とっとと跡形も無く消えた方がいい。
 ……いや、寧ろ生まれてこなかった方がよかったかもしれない。今ここに居るとしても、自分は大量に作られた「模造品」の中の一つでしかない。
 そして、その中でたまたまオリジナルのリンクに憎悪を抱くことなく、寧ろ、恋心まで抱いただけのこと。それ以外は他の「模造品」と何等相違ないのだ。
 言い方を変えるならば、自分は欠陥品ということになるだろう。持つべき憎悪を持たずに生を受けてしまい、尚且つ彼に恋心を抱きながら生きている……欠陥品。
 そして、その欠陥品の最期はこうだ。愛した人を巻き込み、散々悲しませて、一人身勝手に消えていく。欠陥品には実にお似合いな最期だ。
 そして、今がその時なのだ。愚かな欠陥品は静かにその時を向かえ、そして――



 さっそく暇になったリンクは、図書室に行きたいと言い出した。読みたい本を今のうちに読破しておきたいのだそうだ。
 リンクと同じように自分も予定は無いから、断るだけの理由もないし、ついて行くことにした。
 図書棟はやはり恐ろしく広い。図書棟に通うのは既に習慣と化しているが、それでもまだ足を踏み入れたことの無い場所があるほどだ。
 昼間でも高く積み上げられた本に光を殆ど遮られて、常に図書棟は薄暗い。その為、雨が降った後なんかは図書棟全体が常にじめじめしていて気持ち悪い。印刷されたのが100年以上前と思わしき本を開けば、黴臭い匂いが辺りに充満するほどだ。
 聞いたところによれば、各メンバーの出身世界の本を集められるだけ集めたのだそうだ。なら、中には見たことも無いような言語の本が幾つもあるのも頷ける。
 ダークは、リンクと離れ、いつもとは違う場所、今まで足を踏み入れたことの無かった場所に向かった。何か面白い本でもないだろうか。……読める言語なら。という話だが。現に本を開いたら見たこともないような文字が並んでいたなど、よくある話だ。
 本棚の中で目に留まった、分厚い本を手に取る。ずしりと重たい。本をめくると、黴の臭いが鼻腔をつく。
 ぱらぱらとページを捲り、気に入らなければ本棚に戻しまた別の本を取り出して、面白い本がないか品定めをしていく。
「……」
 それを繰り返してゆく内に、何冊目だったか、厚めの革表紙の本を手に取り、ページをめくっていた時ある登場人物の台詞が目に入った。
 簡単なあらすじを見る限り、その登場人物は病を患っていたらしい。最初はなんでもなく、生活に僅かに支障をきたす程度だったのだが、途中から病が悪化し、その登場人物はもう永くは無いと悟ったのだ。――自分と、似ていた。
 更にその登場人物には恋人が居た。生涯共にあることを誓った、恋人が。その恋人にはなんでもないことを装い、身体を蝕む病を隠し続けた。どこまでも、自分と似ている。
 そして、恋人に蝕み続ける病を打ち明けるその瞬間の台詞は、こうだった。
『あなたより先に逝ってしまうことを、どうか……許してください』
 今でなければこんな台詞を見ても、くだらないと一蹴していただろう。けれど今だからこそ、その台詞が頭から離れずに、何度も繰り返される。
「……リン、ク」
 彼の名前を小さく呟く。
 そうだ。許してもらえるなどこれっぽっちも思ってはいない。でも、最期まで、……本当に最期の最期まで、自分はリンクの傍に居てあげなければならない。たとえ欠陥品だとしても、するべきことはある。
 自分を恥じた。一瞬でも早く消えてしまいたいと思った自分を恥じた。生きている限り、誰もが誰かに心配して、心配される。自分はその輪の中に居るのだから、そうあって当然なのだ。
 人に愛されるというこの上ない幸せを自分は踏みにじろうとしたのだ。愚かだった。まるで人間のように。模造品であることを忘れるほどに自分は愚かだった。
 今は生きている。生きていられる。今は愛している。愛していられる。
けれど、もうあと少しでそれも叶わなくなって、全てが消えてなくなる。生きることも、愛することも出来なくなる。
 どさ、と音を立てて手から本が落ちた。その音でダークは我に返り、慌ててリンクの元へと駆け出す。
「リンク! ……リンク!」
 彼の名を叫んで、図書棟の中に居るはずの彼を探す。図書棟はあまりにも広すぎるので、リンクもあまり奥に足を踏み入れることないだろう。その為ダークは入り口付近を細かく、虱潰しに探していく。
 今までも十分感じていた。初めからわかっていた。彼と居られる時間が限られている事を。
 でも、あの台詞を読んで、より一層強く痛感したのだ。本当に、本当に彼と後僅かしか居られないということを。
「リン……ク……」
 彼が居た。無秩序に大量に積み上げられた本に体を預け、彼は無防備に眠っていた。
 彼の金色の髪が、逆光を受けて綺麗に光り輝いている。その姿は神々に愛された青年と呼ぶに相応しく、その光景に、ダークは思わず泣き出してしまった。
 どうして彼の姿を見て泣くのか、自分でも分からなかった。しかし、涙は止まる事を知らず、ただひたすら流れ続ける。
「(すまない……本当に……)」
 ひたすら眠り続ける彼の髪をかきあげ、額に唇を落とし、頭の中でずっとその言葉を繰り返す。

 ごめんなさい。許してください
 貴方より先に居なくなってしまうことを。






 この日が来ることは初めからわかっていた。いや、他でもない。この日の為に生まれてきたのだ。

「オリジナルのリンク」を殺す為だけに。



「……どうしよう。扉が開かない」
 大きな扉を前にして、緑色の服を着た金髪の少年が困ったような声でぽつりと呟いた。
 如何足掻いたって扉が開くわけがないのだ。その扉の鍵は、模造品の命なのだから。
 これは命令だった。いや、模造品の運命だった。
 扉の鍵と模造品の命が繋がっていることも、彼が模造品を殺さなければ先には進めないことも、模造品は彼を殺すためだけにここにいることも、模造品の存在意義は何もかも全て全て全て、この時の為だけに。
 ゆっくりと鞘から剣を抜く。彼は模造品を殺すことでその先の未来が得られる。それならば、模造品が彼を殺したのなら、模造品に未来はあるのか?
 ……きっとないだろう。所詮自分はこの時の為に生まれたのだ。殺される為に生まれた命。仮に殺される運命が覆ったとして、その先はない。生きる為に生まれた彼とは違うのだ。
 そうだ。魔物として生まれた以上、これは予定調和だ。戦うために生まれて、戦うために生きる。もしも死んだら、自分はそこまでの命だったということ。
 つまり模造品の命はここまで。ここでおしまい。
 それでも模造品は一瞬だけ、神を恨んだ。この模造品に自我を与えた神を。
 いつか、いつかは敵として合間見えることもなく、彼と会うことも出来るだろうか。もしもそんな未来があるのなら、何百年、何千年先にあっても待とう。
 彼にまた会えるのなら、いや、会えなくても死ぬ事なんて怖くはなかった。
 剣先を真っ直ぐ彼の背に向ける。彼は気付かないが、奇襲はしない。正々堂々と戦う。模造品には勝敗などどうでもよかった。これで全てが終わるのだから。
 彼が振り返った。模造品の赤い瞳と彼の青い瞳が真っ直ぐに向き合う。最初は唖然とした顔だったが、その顔がみるみる内に悲しみに染まる。この時が来たのを受け入れたくないのだろう。
 彼が何かを叫んだ。確かに耳はその言葉を聞き取りはしたものの、その聞き取った言葉の意味を理解するのも今は億劫だった。
 腰を低くして、剣先を向けて、彼に突進する。

 さあ、これが模造品の最期だ。
 さよなら。

 愛していたよ。



 ……結ばれたかったよ。





 一通り寮内をぶらついて、部屋に戻った時、リンクの姿はなかった。辺りを見回すと、右上がりの癖字で書かれた置手紙がテーブルの上にあった。
 マルスにお茶に誘われたので行って来ると、本当は自分も誘いたかったが居なかったので誘えなかったと、代わりにおみやげを持ってくるから待っていて欲しいと書いてあった。
「(別に……誘わなくても平気なんだが)」
 寧ろ、幾ら美味しいものを出されたとしても、マルスのあのいけ好かない笑顔の前では美味しく感じなくなってしまうかもしれない。
 それほどにまで自分にとってマルスのあの笑顔は苦手だ。
 勿論、マルスは若干天然だと言うことはわかりきったことだし、マルスは王族と言う身分上、民の前では常に笑顔を浮かべていなければならないから、癖になっているのだろう。
 しかし、あの笑顔の前にはどこか、嘘も本音も見透かされているような気がする。気のせいだとは思うが。
 ダークは机の上の皿にある飴を一つつまんで包み紙をはがし、口に放り込む。
 今度はオレンジの味だ。オレンジの酸味がしつこくない程度に再現されていて美味しい。そう思い、ベッドに腰掛けた。
「(……さて、どうするべきかな)」
 心の中でそう呟く。……どうしてだか、自分は今焦っている。何故焦るのかは、自分でも大方予想は付くのだが。
 一瞬、ガノンドロフの言葉が脳内をよぎった。
『お前は一度死んだ身。死ぬ前の記憶を保ち、今こうして生きていること自体殆ど奇跡のような確立だったのだ。……いつこんな日が来ても、全くおかしくない』
 一度は死んだ身。確かにその通りだ。ハイラルでオリジナルのリンクに剣を向け、戦い……死んだのだ。彼の剣で胸を貫かれて。
 それなのに何故今こうして生かされているのかはよく知らない。ただ、ガノンドロフの魔力で使って生き返らせたのだろう。
 ならば、今回もガノンドロフの魔力でどうにかならないのだろうか。
「(……無理。だろうな)」
 頭の中によぎった考えを、すぐにダークは否定した。
 死んだ模造品を生き返らせる方法は一応知っている。死んだ場合、その模造品の体内を構築している魔力が辺りに拡散するのだ。
 その魔力をかき集めることによって、死ぬ前の記憶を保った状態で模造品を再生出来る。
 但し、死ぬのはやはり体内を構築する魔力に負担がかかるらしく、寿命は早くに尽きてしまうらしい。ちょうど……今の自分のように。
 生き返らせるのと今回は訳が違う。「魔力が拡散する」のではなく「魔力が尽きる」のだ。かき集めるだけの魔力も無いだろう。
 第一、それが出来たのならば、自分の仲間達が消えることも無かったはずだ。
「(だったら、あの時剣を向けなければ……!)」
 そう、あの時剣を向けなければ。なら今こうして普通に生きていられたかもしれない。
 自分の運命だとか、この日の為に生まれてきただとか、そんな考えは一切振り切って彼に味方していれば、彼に剣を向けなければ、こんなことになる事もなかっただろう。
 だがもう無理だ。過去はゼロに戻すことなど出来ないのだから。後悔したってもう遅い。現に自分の体は今こうして消失を続けているのだ。最期の時は、刻々と迫る。
「わかってる。……わかっている」
 わかっている。過去の選択肢を変えることなんて出来ないことを。生まれた時から定められた予定調和は、いくら足掻こうと決して覆せない。
 それでも、消えたくないからこそ想像してしまう未来がある。
 自分と彼が共に、いつまでもいつまでも何の不安もなく、ただただ幸せにずっと生き続けるという未来を。

「絶対に叶わないなんて、わかっているのに……!」
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