口の中の飴玉が、完全に解けてなくなった。口の中にはまだ、オレンジの酸味が残っている。
「(……ああ)」
 自分の命も、一粒の飴玉のようだ。
 飴玉のようにどんどん小さくなって……やがては溶けて、無くなる。
 口の中に残った飴の後味も、やがては消える。いつかは自分も、忘れられるということだろう。
 それもそうだ。模造品なんか幾らでも作れるのだから。自分が消えれば、新しい模造品が作られるだろう。今までその繰り返しだったのだ。きっと、これからもそうだろう。



 あめだまといのち。
 その共通点は……消えてなくなること。



 リンクはまだ帰ってこなかった。大方マルスと長話でもしているのだろう。
 二人は出身世界が違う割にはかなり長い仲な上に、数少ない人型の剣士同士だ。話も合うのも分かる気がする。やはりあの笑顔は苦手だが。
 リンクが帰ってこないぶん、暇だった。気が付いたとき、ダークはまた当てもなく寮内をぶらついていた。
 思えば、ここに来る前から暇になれば大抵、当てもなく周辺をぶらついていた。
 殆ど毎日それが習慣になってしまっても、毎日同じルートでも、じっとしていることを考えれば飽きることはなかった。
 じっとしていられない性格なのだろうか。よくはわからないが。
「……?」
 暫くふらふらと歩いていると、どす、と。腰の辺りに何かがぶつかる軽い衝撃がした。振り返っても、後ろには誰もいない。
「うー……。ごめんなさい」
 そのダークとぶつかったものは、どうやら下にいたようだ。斜め下を見ると、ちょうどリンクの年齢を数歳下げたような子供が尻餅をついていた。
「トゥーン……」
 トゥーンと呼ばれたリンクそっくり……いや、リンクと同じ、と言っても良いのだが、その少年とどうやらぶつかったようだ。
「えっと……ごめん。黒兄ちゃん」
 トゥーンは、申し訳なさそうに笑って言った。
「いや、大丈夫か?」
 申し訳なさそうに笑う表情なんかが、リンクにそっくりだ。……まあ、リンクとトゥーンリンクは、殆ど同じような存在なのだが。
 詳しいことはダークも、リンクすらも知らない。
 ただ、時間軸こそかなり離れているらしいが、同じハイラルの出身で、『リンク』という人間は何人も居るらしい。緑の服も金髪も青い瞳も、外見や内面に多少の違いはあるものの、基本的には殆どそっくりのようだ。
 そしてその様々な時間軸のハイラルに居る『リンク』が此処に同時に呼ばれているようだ。
 トゥーンの服はハイラルを救った勇者、つまりリンクが今こうして身に纏っている緑色の服にあやかって、男の子に緑の服を送る習慣があるらしい。そのせいなのか、トゥーンはその事実を知った時リンクと会えた事をとても喜んでいたようだった。
 ここに来るまでそんなことダークはおろか、リンクすら知らなかったものだから、ずいぶん驚いたものだ。今ではリンクはトゥーンやダークを兄弟のように思っているようだったが。
 つまり自分は……その様々な時間軸のハイラルに居る『リンク』の内一人の……模造品というわけだ。
 模造品が居ない時間軸もあるようだが、トゥーンの時間軸に模造品はどうやら居るようだ。自分達のように恋仲。とまではいかないが、ダーク達と同じように仲は良好なのか、度々二人で歩いているのを見かける。今日は一人だけのようだったが。
 そういう真実を聞かされ、尚且つ今の状況下に立たされて、思う。
 『どうして自分は、他ならぬ彼の模造品として生まれてきてしまったのか?』と。
 様々な時間軸に様々な『リンク』が居るのならば、他の『リンク』の模造品として生まれて来れば良かったのだ。
 そうすれば、剣を向けることがあったとしても、こんな思いをすることは無かったかもしれない。
 なんの罪も悩みも咎も罰も無く幸せに暮らしていられたかもしれない。
 オリジナルの『リンク』に恋することも無かったかもしれない。
 ……生まれてくることも無かったかもしれない。
 彼に会えて嬉しくなかったなんて、そんなわけが無い。嬉しかった。幸せだった。今だってそうだ。消えたくはない。
 ただ、もしも未来が選べるのだとしたなら、自分は迷っていただろう。彼を苦しめる今の世界と、彼を苦しめずに済む別の未来を。
「……どうしたの?」
 トゥーンが不思議そうな表情でダークの顔を覗き込んでいた。ダークは心配させまいと、トゥーンの髪を緑の帽子の上からくしゃくしゃと撫で、
「平気だよ」
「本当に? ……本当に平気なの?」
 相変わらずトゥーンの髪を帽子の上からくしゃくしゃと撫でるが、トゥーンの顔から不安は一向に消えない。
「うそだ……。うそだよ……」
 まさか疑われるなんて微塵も思っていなかったので、唖然とした顔でトゥーンの顔を見る。トゥーンの顔は、泣きそうになってきた。そんな表情までもが、リンクにそっくりだった。
「うそだよ……こないだ兄ちゃんがね、最近黒兄ちゃん元気がないって……言ってた」
 リンクがそんな事を言っていたのか、とダークは思う。流石に自分の命が後数週間だということは悟られてはいないものの、いつもと少し違うこと位は感づかれていたらしい。
「平気だよ。本当に」
「うそだ。兄ちゃん、絶対そうだって言ってた。……なにかあった?」
 絶対そうだと思えるぶんには、本当に大切なことには気付いてないようだったが、どうやらもう誤魔化しはつかないようだった。
 もう、仕方ない。ダークはため息を吐き、しゃがんで、トゥーンと同じ目線になる。
「兄ちゃんに言わないって約束、出来るか?」
「? ……できるよ」
 トゥーンの言葉に、ダークはそうか。と安堵の表情を浮かべつつ言い、ポケットの中の飴玉をトゥーンの手の平の上に置く。

「黒兄ちゃんな……もうすぐ消えちゃうんだ。……飴玉みたいに」



 恋したことが罪なのか。
 出会ったことが罪なのか。

 ……生まれたことが罪なのか。





「黒兄ちゃんな……もうすぐ、消えちゃうんだ。……飴玉みたいに」

 頭の中で、先程言われた言葉が何回も繰り返し再生されていた。
 言われた時は何のことだかさっぱり分からなかったが、時間が経つにつれて頭はその言葉の本当の意味理解していき、気付いた時には、その人……黒兄ちゃんの姿はもう無かった。
 黒兄ちゃんはトゥーンには分からないと思って言ったのだろうか。でも、トゥーンには分かった。
 「飴玉みたいに消える」――つまり、トゥーンの『ともだち』のように、消えてなくなってしまうということ。
 分かることが悲しいとも思う。意味を理解しなければ良かったとも思っている。
 それでも分かってしまった。前に、ずっと前に、飴玉みたいに消えてしまった『ともだち』が居たから。
 その二人は、今の『ともだち』と二人きりでこの場所に来て、よくわからないまま流され続けていたトゥーンによく構っていてくれた。
 トゥーンも二人を兄のように慕っていた。……いや、本当に兄のような存在だと、後からマスターハンドに教えられたのだが。
 そんな、大切な二人の兄のうち、一人が消えてしまう。決して他人事では済まされなかった。
 黒兄ちゃんは、兄ちゃんに比べたらずっと不器用だけど、本当はとっても優しい人だったことを、トゥーンはよく知っていた。
 トゥーンも知っていたけれど、兄ちゃんはきっと、トゥーンよりもよく知っていたのだろう。黒兄ちゃんの色んな、皆が知らない本当の姿を。
 「兄ちゃんには言わないでくれ」と言われた。それはきっと……兄ちゃんには話していないから、言ったのだろう。
「(やだよ……そんなのやだよ……!)」
 いても立ってもいられない焦燥感に襲われて、先程黒兄ちゃんに貰った飴玉を握り締め、トゥーンはただがむしゃらに走り続ける。
「……っ! ……あれ?」
「……!」
 また人とぶつかってしまった。顔を見上げると、今度は黒兄ちゃんと違って穏やかな優しい表情をした、もう一人の兄ちゃんが居た。
「トゥーンじゃないか……」
「あ……ぅ……」
「……こんなに泣きそうな顔をして、どうしたの?」
 そう言って、兄ちゃんがトゥーンの頭をそっと撫でてきた。
 その優しさと、兄ちゃんとトゥーンの大好きな黒兄ちゃんが消えてしまうという悲しさで胸がいっぱいになり、とうとう泣き出してしまった。
 兄ちゃんは少し驚いていたみたいだったが、困ったように笑い、ポケットからハンカチを取り出しそっとトゥーンの涙を拭ってくれた。
 黒兄ちゃんはトゥーンに黙っていてくれと言った。けれど、トゥーンにはこんなことを黙っておくのには少々荷が重過ぎる。
 トゥーンは、ずっと握り締めていたままだった飴玉を兄ちゃんにそっと差し出して、嗚咽を溢しながらもどうにか言葉を発した。

「黒兄ちゃんが……黒兄ちゃんが飴玉みたいに消えちゃう!」





 椅子に凭れ掛かりながら、ダークは今までのことを思い出してきた。死ぬ前に人間は今までの人生を振り返るらしいが、その人間達の気持ちがよく分かったような気がした。
 初めてリンクと出会って、名前をつけてもらい、ダークを模造品ではなく一人の人間として認めてもらった瞬間。
 そして、リンクに剣を向けて、心臓をリンクの剣で貫かれた瞬間。
 それでもまたこの世に再び生を受けて、長い時間をかけてやっとリンクと再開した瞬間。
 ……もうすぐ飴玉のように消えてしまうと、ガノンドロフから伝えられた瞬間。
 思えば、色々なことがあった。リンクを殺すために作られた模造品にしてはあまりにも幸せで贅沢すぎる人生だった。
 様々な苦難もあったのだが、今では人を純粋に愛して、純粋に愛されて、普通の人間と全く相違無いようなあまりにも幸せで、贅沢すぎる人生。
 ならばこれはしっぺ返しなのだろう。あまりにも幸せすぎる人生への。
 でも、それでもよかったと思える。普通の模造品として彼に命を奪われて死ぬか、一人で寂しく魔力の尽きる瞬間を迎えて消えてしまうよりは、ずっと。
 だからきっと、これ以上を望むのはあまりにも贅沢だ。今でさえ十分贅沢だったというのに。更にそれ以上を望むなんて、あまりにも。
「ダーク……ただいま」
 顔にゆったりとした笑みを浮かべて、小さい紙袋を抱えたリンクが戻ってきた。
「……おかえり」
「今日は……ごめんね。代わりにマルスからおいしい紅茶をわけて貰ったんだ。後で飲もう?」
「……ああ」
 ダークの言葉に、リンクはよかった。と、ほっとしたように呟き、肩を落とした。
 リンクがダークの隣の椅子に座る。暫くの間、俯き、黙りこくっていた。何かあったのだろうか。ダークも深く追求はしなかった。
 やっと、リンクが重々しく口を開いて、
「……ダーク。これからぼくの言うことに、絶対嘘はつかないでね?」
 ダークの体が一瞬、びくん。と震えた。どうしてだろうか、どこか嫌な予感がする。
「何だよ。そんなに改まったりして」
 何も知らないふりを装っていたつもりだったが、傍から見ればばればれだっただろう。リンクは続けて、
「ねぇ……ダーク」
 リンクが席を立ち、ずっと握り締めていたままだった左手をそっとひらく。

「ダークがもうすぐ消えちゃうって……本当?」
 ずっと握り締めていた左手の中には、ダークがあの時確かにトゥーンに渡した飴玉があった。





生きていたかった。生まれたくなかった。
一緒にいたかった。出会いたくなかった。
消えたくなかった。はやく消えたかった。



ずっと好きだった。
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