きみは幸せだった。
だからぼくも幸せだった。
知っていたよ。わかっていたよ。全部、最初から。
でも、ぼくは知らないふりをしていた。
知っているから、わかっているから、だから。
夢を見たっていいよね?
あめだまときみの命。共通点は――とけてなくなること。
この日が来るのを恐れていた。飴玉のように消える日よりも、この日のほうがずっと怖かったかもしれない。いや、きっとそうだったことだろう。
あまりにも唐突な言葉に、ダークは思考が全く追いつかずに、ただただ唖然とするばかりだった。――とうとう知られてしまった。自分にとっての最大の秘密が。
そんな状態だったから、乾ききった唇を無理矢理動かして、ようやく出た言葉は、
「どうして……知っているんだ?」
酷く単純な問いだった。リンクは申し訳なさそうに俯いて、
「……トゥーンに、聞いた」
「トゥーン……」
確かにさっき、ダークはトゥーンに「飴玉のように消えてしまう」と言った。言わないでくれと約束はしたし、意味はわからないだろうと高をくくっていた。
だが、意味を知っていたらしい。意味を知ってしまった以上は、このことはトゥーンには荷が重過ぎるだろう。
やはり、言わなければよかったのかもしれない。……今となっては、もう遅いが。
「消えちゃうんだよね……。あと……どのくらい?」
主語がぼかされていたが、質問の意味ははっきりと分かった。後どのくらい生きていられるのか、聞いているのだろう。ダークはそっと目を伏せて、
「……一週間もない」
「一週間も、ない……」
リンクはその言葉を噛締めるように呟いた。その表情は酷く穏やかで、悲しみなんて何処にも無かった。ただ、目尻が僅かに赤かっただけで。
確かにこれでマルスとの約束を果たせはした。しかし、これから如何すればいいのだろうか。その先は、確かマルスも何も言っていなかった。自分の道は自分で決めろとでも言うのだろうか。
「すまない……」
ただ、今の自分には謝ることしか出来なかった。いつの間にか乾ききった喉からただひたすら謝罪の言葉を搾り出し続ける。今までずっと黙っていたことに。――消えてしまうことに。
それでも、泣くことも嘆くこともなく、リンクはやんわりと微笑んで、
「ううん。良いんだ。……こんなことぼくに言うなんて、辛いよね」
リンクに対する申し訳なさからか、何か言うことはおろか、リンクに目を合わせることすら出来ず、黙ってダークは目を逸らした。
「君はきっと……言ったら悲しむと、泣き出すと思っていたから、ぼくに言えなかったんだよね」
「……あぁ」
「でもね。それは違う。……確かに悲しいよ。だけど、泣き出すなんてぼく、一言も言ってない」
確かにそうだ。今まで言わなかったその理由、事実を知って嘆くリンクの泣き顔を見るのが怖かったからなのだ。
だけど、泣き出すなんて一言も言ってない。確かにリンクは時々泣く。だからといって、間違いなく泣き出すだろうなんて確固たる核心なんて、そんなものはどこにもない。
それにリンクが悲しんでいるということは、リンクが嘆いているということは、それだけ自分が愛されているという、証拠。
模造品なのに、本当はリンクを殺すためだけに生まれた存在なのに、それでもこんな自分を見捨てず、それどころか愛してくれているという、とてもとても幸せな証拠なのだ。何故、こんなにも簡単なことにすら気付けなかったのか。
いや、もしかしたら、頭の片隅ではわかっていたのかもしれない。リンクが泣き出すなんて核心は何一つないことを。リンクが悲しんでくれる理由を。
それでも尚、無意識に認めようとしなかった理由は――
「……確かに、お前の言うとおりだ。だけど……おれは……怖かった」
そう、怖かったからなのだ。
リンクに話したら、本当に自分が後僅かで飴玉のように消えてしまうと改めて思い知らされるから、どう足掻いたってどうにもならないその事実が、たまらなく怖かった。
「怖いよね。ぼくだって怖い……だからきっと、君はぼくよりも怖いんだよね」
そう宥めるように呟いて、リンクが隣に座り、横からそっとダークの体を抱きしめる。
「ダークは消えない」
ダークの耳元で、リンクが祈るように呟いた。そんなこと、無理だ。無理に決まっている。今こうしている間に自分の体を造る魔力は解離を続けているのだ。今更止めることなどできやしない。
リンクはダークが一体何を考えているのかわかったのか、少し困ったように笑いはしたが、それでも祈るように、
「ううん。消えない。……絶対に」
そう言って、リンクは腕の中からダークを開放し、目の前に小指を出す。
「約束。ダークは……絶対に消えない」
相変わらずリンクは祈るように呟いて。指切りを求める。ダークも小指を出そうとしたが、躊躇った。
この光景に既視感を覚える。思い起こせば前にも同じことがあった。マルスに「リンクにこのことを話す」と約束しようと指切りを求められて、同じように躊躇ったのだ。 あの時はまだよかったのだろう。同じように躊躇ったものの、守ろうと思えば守れる約束だった。――ちゃんと指切りをしていればよかったのだ。
今は、守れる自信など何一つない。消えないだなんてそんなこと、絶対に無理だ。
悲しそうな表情からリンクはダークが一体何を考えていたのか読み取ったのか、やっぱり、無理だったね。と呟いて悲しそうに微笑んだ。
後悔先に立たず。という言葉が脳裏をよぎる。形だけでも、指切りをしていればよかったかもしれない。
指切りを諦めたリンクは悲しそうな表情を浮かべていたが、ダークはそんなリンクの手を掴んで、指切りをする。
「おれは……消えない」
そう神々に、彼や自分以外の他の人々を愛した神に祈るように呟く。リンクは一瞬驚いた表情を浮かべたが、優しく微笑んでくれた。そして、ダークの耳元でそっと
「ハイラルには沢山の『リンク』が居る。ぼくはその一人だ。ハイラルには沢山の『ダークリンク』が居る。君はその中の一人だ」
「……ああ」
「ぼくらが一秒でもずれていたら、ぼくは君に会えなかったかもしれない。……こうしてぼくらが会えたのは、一秒も違わなかったからだ。だからぼくは、その違わなかった一秒に感謝する。ダークに会えて、ありがとうって」
今度はダークがリンクの体をそっと抱きしめる。表情こそ、言動こそ落ち着いていたものの、肩は僅かながら小刻みに震えていた。
本当は、いつ泣き叫んでいたって全くおかしくない状態だった。それに泣いたって、誰も怒ったり困ったりしない。泣き顔を見るのはダークだけ。それでも頑なに泣こうとしないリンクが、自分のオリジナルだというのに酷く、逞しく見えた。
それでもダークには分かった。心の中ではどれだけこの事を悲しんでいるか。本当はどれだけ泣きたくて嘆きたくてしょうがないことか。心に空があるのなら、リンクの空は一面、雨雲に覆われていたことだろう。
リンクの震える肩に回す力を強める。リンクもダークの背に手を回し、ダークの服を強く握る。
当然のことだ。無理もないだろう。恋人があと一週間の命だなんて、簡単に受け入れたくはないはずだ。
神々から沢山の愛を受けて生まれた青年は、疎まれるべき存在から生まれた疎まれるべき模造品を愛した。模造品からしてみればこの上ない幸せだったといえた。それでもその末路は、あまりにも、あまりにも酷過ぎて。
でも、これが当たり前。最も幸せな日々を過ごした模造品は、最も悲しい最期を迎える。これは幸せであるが故の代償。だからこそ自分は、ありえないことに僅かな期待を寄せて、最期の時を待つ。だから、
「(本当は……本当は……)」
本当は、約束を守れる自信なんて、何一つなかった。
寝る前になって、リンクは行き成り一緒に寝たいと言い出した。大方、この最期の時をなるべく自分と一緒にいたい。ということだろう。
断る権利も理由もなかったし、ダークもなるべくリンクと一緒に居てあげたいことは確かだった。だから、そのリンクの要求を受け入れて、一緒に眠ってあげることにした。
体格は全く同じだが、リンクの背中に手を回して、包み込むようにリンクを抱いて眠る。
一人用のベッドに二人の青年が寝れば、必然的に体がぴったりとくっつくことになる。やはり少し暑苦しかったが、「なるべく一緒に居たい」ということ考えれば、大して苦ではなかった。
ダークはリンクの頭を撫でて、そっと眠りに落ちる。
「(これで……これで全てを打ち明けた)」
もう、この体はあと一週間で飴玉のように消えてしまう。自分の中の全ては……終わる。
彼を置いて消えるのは、勿論悲しい。出来ることなら、自分が後に死にたい。
置いていかれた彼のことを考えたくなかった。そうなるくらいなら、彼の後に死にたかった。
……もう、遅いのだが。
久々にぐっすり眠れた気がした。肩の荷が一つ、降りたせいだろうか。それでもまだ、自分には重いものがのしかかっていることには変わりないのだが。ダークはゆっくりと半身を起こす。
「おはよう。ダーク」
「ああ……おはよう」
既に起きていたリンクに出来る限りの笑顔で答える。リンクはカーテンを開けて、薄暗い部屋に日の光を取り入れていた。窓から差し込む日の光が眩しい。
テーブルの上を見ると、カフェオレと、湯気を立てるスクランブルエッグとベーコン、トーストが2つの皿の上にのっていた。
「朝ご飯、ちょうど出来たばっかりなんだ。早く食べよう?」
そう言ってリンクがにっこりと笑う。ダークは寝ぼけ眼でベッドから降りようとする。その時、手に何か、僅かに湿ったものが触れる。
手に触れていたものは白いシーツの一部分で、そこだけ僅かに湿っている。辺りを見回すと、自分の服の一部分も僅かに湿っていた。
「……?」
「どうしたの? 早く食べよう?」
「……ああ」
きっと汗だろうか。ここ最近はすっかり暑くなってきたし、何より二人の青年がぴったりくっついて寝ていたのだ。汗もかくだろう。
ダークはベッドから降りて、僅かな疑問を残しつつ、目を擦りながらテーブルに向かった。
朝食を食べ終えて、2杯目のカフェオレを飲んでいる時に、リンクが何かを探しているのか、あたふたと部屋中を駆けずり回っていた。
「ない……。ダーク、僕のピアス知らない?」
「……ピアス?」
確かに、よく見れば自分と色違いの、リンクの瞳の色と同じ水色のピアスが片方無い。
「昨日外した時に無かったから、部屋のどこかに落としたと思ったんだけどなぁ……」
「部屋に無かったってことは、部屋の外で落としたんじゃないのか?」
「見つからなかったら、どうしよう……」
せっかくのダークと色違いなのに。と悲しそうに呟いて、ベッドに腰を下ろす。
別に、色違いなどピアスだけではないだろう。髪の色も瞳の色も服の色も、生い立ち上、外見のほぼ全てが色違いだというのに。
そうは思っていても、ダークは口には出さなかった。口に出せば、またリンクに咎められる。
きっとリンクにとっては例え小さなものでも、いくつあっても、色違いのお揃いのものをつけているということが嬉しいのだろう。そう思って、ダークはカフェオレを一気に飲み干した。
そんな時だった。部屋に、ドアを2回ノックする音が響く。
「誰かな?」
「……さぁな。お前のピアスを届けに来たんじゃないのか」
「だと……いいんだけどなぁ」
そう呟いて、リンクが扉を開ける。扉の前には、相変わらず笑顔を絶やさないままのマルスが立っていた。
「朝早くにごめんね。……リンク、これ、僕の部屋に忘れていったよね?」
そう言って、マルスがそっと握っていた手を開くと、手の中にはリンクが見つからないと言っていたピアスがあった。リンクは驚きの表情を浮かべて、
「そんなところに……」
「もしかして、探していたのかな? ……昨日のうちに届ければよかったね。ごめん」
「そんなことないよ……ありがとう、マルス」
ピアスを受け取り、安堵の表情で溜め息をついて、リンクは言う。マルスはよかった。と心から嬉しそうに呟いて、
「……大事なものみたいだね? もう失くさないように。それと……」
マルスが何か言いかけて、分かるかな? と言わんばかりの笑みを浮かべた。リンクは暫くマルスの瞳を見つめ続けて、暫くしてマルスが何を考えているのかを読み取ったのか、はっとした表情を浮かべる。
「ダークの……事?」
ずっと二人の会話を三杯目のカフェオレを飲みながら聞き耳を立てていたダークだったが、行き成り自分の名前が出てきたことに驚き、二人の方を見る。マルスと目が合って、マルスは少し困ったように微笑んで、
「うん、ちょっと話がしたいんだ。……いいかな?」
「いいよ。ぼくは邪魔だよね。ちょっと外に出ているよ」
「……いいのか」
ダークの問いに、平気だよ。とリンクは笑って答える。
「ごめんね。そんなに時間はかけないようにするから……」
「大丈夫。じゃあ、行って来るよ」
マルスが見つけてくれたピアスを右耳につけて、リンクは外へと飛び出していった。その後で、ダークは自分がまだパジャマのままだったと気付いた。
少し暑かったからと、ボタンをちゃんとつけていないから服の間から肌が覗いているような状態だ。一国の王子にしてみればこんなだらしない格好は見たくないだろう。こんなことなら朝食前に着替えていればよかったかもしれない。
しかしマルスはダークのだらしない服装にも全く気にも留めず、部屋の中に足を踏み入れる。
「多分、知らないだろうから言っておく。……昨日、リンクに全部話した」
そう言って、三杯目のカフェオレを飲み干して、椅子から立ち上がる。カフェオレは甘さを控えめにしていたから三杯飲んでもあまり気持ち悪くはならないが、流石に四杯目を飲みたいとは思わない。
「そう……じゃあ、これで僕と君の約束は果たせたね。指切りもしたし」
「……あんたが勝手にしたんだろうが」
そうだっけ? とマルスはくすくすと笑った。――やっぱり、マルスのこの笑顔は苦手だと思った。
「少なくとも、これで君とリンクの肩の荷は一つ降りてなくなったと、僕は思っている」
自分はともかくとして、リンクにも同じことが言える。それは一体どういう意味だろうか。どういうことだ。とマルスに聞くと、マルスは相変わらずくすくす笑って。
「リンクは気付いていたよ。……確固たるものではなく、薄ぼんやりとだったけど。でも、自分が嘘をつかれている事だけは気付いているみたいだった。だから、好きな人に嘘をつかれる事もなくなって、肩の荷が降りたんじゃないかな。って」
「それでも、あいつにとって悲しいことに変わりはないだろう。……おれが消えるだなんて」
「……君はやっぱり馬鹿だなぁ」
「どういう意味だ」
少し苛々した口調で言うと、落ち着いてよ。と宥めるように手を前に出し、マルスは呟いて。
「リンクは始めから知っていたんだろうね。君の命の事。魔物でも人間でも、僕らにとって死は必ず存在する予定調和だ。……それでもリンクは君を受け入れて、愛してくれたのに、なのに君は気付けない」
……返す言葉がなかった。マルスの言っていることは事実だ。こんな悲しすぎる予定調和を、全てが始まる前からリンクは知っていた。そして、それは人間にも魔物にも誰にでもあるはずの予定調和なのだ。
それでも受け入れてくれた。いつか自分より先に、あまりに悲しい消え方をしても、それでも、愛してくれていた。やっぱり、自分は馬鹿だったのかもしれない。
「予定調和だって言うのなら、誰がこんなもの定めたんだろうな……」
ダークの問いに、マルスは少し困ったような笑みを浮かべて、
「……神様、じゃないかな」
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