目が覚めて一番最初にしたのは、同じ言葉を何度も心の中で繰り返すことだった。
「(あれは、夢だ)」
何度目かわからない位に、心の中でそう叫んで半身を起こす。起き抜けの体は思った以上に重くて、そのままがっくりと項垂れて、大きなため息を吐いた。
――あれは夢だ、夢だったんだ。
ここは、夢の中とは違う。今自分がちょうど夢の中と同じ場所に居たとしても、ここは現実の世界だ。どうせ夢なんて起きてすぐに忘れてしまうから、夢の中で自分が一体何を見、何を感じたかなんて、現実の世界には一切影響しない。
頭ではしっかりそうわかっているはずなのに、一向に体の熱は引かない。
その上、先ほどの夢も頭に焼き付いて離れない。いや、やっぱり夢は夢だから言うほどしっかり覚えているわけでもないんだけれど、自分の見たものが、映像じゃなくて何枚もの写真のように頭に焼き付いて離れないのだ。
「(こんなこと、考えてたのかな)」
夢は心の奥底を映す鏡だと、誰かが言っていた。
本当に自分が考えもしないことなんて、夢は映さない。たとえそれがどんなに意外な内容だったとしても、それはすべて自分が無意識の内に考えていたこと、そうなってしまう。
「(酷い内容)」
だから、あの夢の内容も全部、自分が心の奥底で考えていたことになる。
とても酷い内容の夢だった。自分があんなことを考えていたなんて思いたくない、でも、こうして夢に現れた以上、否定のしようがない。夢を形作るのは、それ以外の介在を許さない、自分の記憶と感情だけなんだ。
思い出しかけた夢のせいで体が熱くなるのを感じて、微かなうめき声と共に頭をかきむしる。自分の頬に触れた瞬間、そこがいつもより熱を持っていたことに気付いた。
暗いし鏡も無いからわからないけど、きっと顔も赤いに違いない。
「(……起きて、ないよな)」
隣で寝ているはずの奴のことが気になって、そいつが寝ているだろうベッドの方を診ようとしたけれど、夢の内容のせいで、それすらも憚られる。今その顔を見ればきっと、思い出したくないものをまた思い出してしまうような気がしたのだ。
早く時間が経てばいい。
今はまだまだ暗いから、朝になるまでまだまだ時間がある。もう一度寝てしまうか、そうでなくても時間がたてば、あんな夢なんて、きっと忘れてしまうに違いない。忘れてしまえば、いつもの自分に戻れる。何事もなかったように振舞うことが出来るはずだ。
大丈夫だ。どれくらい長い間一緒にいたのかは、自分が一番わかっている。それだけ、あいつとの付き合い方だってわかっている。
変な夢を見ただけで今までの付き合い方も全部どこかに行って、顔も合わせられないなんて、そんな間抜けなことにはならない、はず。
「……あ、れ?」
不思議なことに、そいつが寝ているはずのベッドには誰の姿も無く、しわくちゃの枕とシーツ、それと毛布があるだけだった。
起きているのだろうか。でも、それならさっきから何の物音もしないのはおかしい。じゃあ、外に行っているのだろうか?
「何をしてる」
辺りを見回そうとしたその瞬間、あいつのベッドとは正反対の方向――真後ろから声がした。
恐る恐る振り返ると、そこにはやっぱり、今一番顔を見たくない奴の姿があった。その手に湯気の立つカップを持っているあたり、目が覚めたから何か飲んでいる間にぼくが目を覚ました、そういうことになるんだろう。
「ダークこそ、何してるんだよ」
「目が覚めた。眠くならないからベッドから出ている間に、お前まで起きた。……お前はどうしたんだ」
「……こっちも、目が覚めただけ」
ダークの顔を見ていると、思い出したくないものを思い出してしまいそうになるのと、恐らく真っ赤になっているであろう顔を見られたくないのとで、すぐに目をそらし、そっぽを向いた。
「そうか」
そのまま向こうへ行ってくれればいいのに、よりによってダークは手に持っていたカップを近くのテーブルの上に置き、ぼくのベッドの縁に腰掛ける。離れてほしいと思っているのに、さっきよりも距離が近くなってしまった。
こっちが今何を考えているのかを知られるのは嫌だけど、せめて空気くらい読んでくれ、そう叫びそうになったが、ダークが元々どういう性格だったかを考えれば、それもどだい無理な話だった。
「おい」
ぶっきらぼうで、感情がこもらない声と同時に、腕をぐいと引っ張られる、引っ張られた先には、ダークの顔が間近にあった。
「熱か」
そう言われるあたり、さっきダークに赤い顔を見られてしまったんだろう。
思わずダークのせいだよ、と怒りたくなった。正確には悪いのはこのダークじゃなくて、夢の中のダークになるのだが。
同時に夢の中の出来事が、早く忘れてしまいたいと思っていた出来事が、頭の中の大部分を支配する。せっかく引きかけていた体の熱も、一気にぶり返してしまった。
……酷い夢だ。
こうしてぼくを見つめる、僅かな感情しか宿らない瞳じゃなくて、もっと熱っぽい、色々な感情をたたえた瞳で見つめられていた。
こうしてベッドに腰掛けているんじゃなくて、出来るだけ怯えさせないように、そっとこのベッドに押し倒してきた。
それだけじゃない。いつもよりずっと長くて、熱っぽいキスも、求めるように絡め合った指の冷たさも、もどかしげに脱がされた衣服も、触れ合ったダークの肌の感触も、ぼくとダークの荒い呼吸も、善がるように名前を呼んだ自分の声も、全部。
本当に酷い夢だった。
こうして目も合わせられなくなるほど、酷い内容だったんだ。もう何も思い出さずに全部忘れてしまいたいのに、全然忘れることが出来ない。
「大丈夫なのか」
相変わらずダークはこっちが何を考えているのかよくわかっていないのか、僅かに眉を顰めて怪訝そうな顔をしている。
ダークはぼくに似せて作られた魔物だけど、こっちの考えていることまでわからなくて本当によかったと思う。ぼくが離れてほしいとも思っていることくらいは、わかってほしいけれど。
「……お前は」
「へ?」
「おれがキスをするとたまに顔を赤くする。今もそのときと同じように顔を赤くしている。つまりおれはまだ何もしていないが、もしかしてそれに近い……」
「い、いい! それ以上言わなくていいから!」
「じゃあ、何があった」
――八方塞がりだ。
恐らくぼくがちゃんと何があったか答えるまで、恐らくダークはここを退くどころか、ぼくの腕を離しすらしないだろう。
勿論夢の内容なんて答えたくないけれど、このまま顔を付き合わせているのが、今の自分にとってはこの上なく悪い状況だ。なんとかして説明しようと、一向に無くならない恥ずかしさの中で、必死に声を絞り出す。
「夢を、見たんだ」
「その夢におれが居たのか」
「うん」
「その夢の中で、目が覚めたお前の顔を赤くさせるようなことを、おれがしたのか」
ダークが訪ねてきたことは、一つも間違っていない。それなのに、ちゃんと答えることが出来ず、黙ったまま俯いてしまう。
そんなぼくを見かねたらしいダークは、さっきよりもさらに顔を近付けてきて、
「夢の中のおれは、一体何をしたんだ」
ダークが顔を近付けてきても、相変わらずその顔をちゃんと見ることが出来ず、上手く答えられない。顔を見られたくもないし、見たくもないのだ。
それにきっと、この期に及んで無意識の内にダークをそういう目で見て、意識していたかもしれない自分を、認めたくなかったんだろう。
本当に何にも意識していなかった、と言うと嘘になるのかもしれない。今目の前に居る奴と違って、こっちは何も考えないわけがないのだ。一応いつかそうなるかもしれないんだとは、思っていた。ダークが何もわかってないことに、甘えていただけで。
ただ、それを望んでいたかというと……自分ではわからない。というよりは、わかりたくない。
今目の前にいる人にどうしてもらいたいのか、自分達はどんな関係になりたいのか、そんなことはまだ考えたくなかった。
「い、いいからほっとけってば……もうやだ、ほんと情けないし、格好悪い」
「心配するな、情けなくないお前の方が珍しい」
「……うるさいよ」
本人にしてみれば、この言葉も決してぼくを馬鹿にしているわけではないのだろうけど、やっぱり失礼なことは事実だ。そんなにぼくはいつも情けないんだろうか。
「知りたい。おれが何をして、お前が何をされたか」
本当に何も知らないとはいえ、この質問攻めはあんまり過ぎる。
自分は一体何をしているんだろうかと、思わず頭を抱えたくなった。
ただ、相変わらずぼくはダークに腕を掴まれたままで、ダークはぼくがちゃんと答えない限りその手を放すことはないだろう。
だから、聞かれたことを全部答える他ないのだ。酷い、あんまりだ。
「キスとか……あと、色々された」
「色々とはなんだ」
「それは、言えない」
若干ダークが不服そうな顔をしていたが、今までのぼくの様子からして余程言いたくないことということだけはわかってくれたのか、それについてだけは根掘り葉掘り聞かれることはなかった。
「どんなキスだったんだ」
「そこまで言わないといけないのかよ……」
「じゃあ、それ以外の色々でもいい」
ひょっとしたらダークは、本当は何もかもわかっていてこっちを質問攻めにしていじめているんじゃないだろうか。そう疑いたくなってしまう。
相変わらず顔も赤いし、ダークの顔をちゃんと見ることが出来ない。そのくせダークはぼくの腕を掴み、息がかかるほどこっちに顔を近付けてきたままだ。
「長くて……熱っぽいキスだった」
「どうだったんだ」
「どうって」
「夢の中でそうされて、お前はどう感じた」
もう嫌だ。
この状況でこっちが女の子みたいに泣き出せたら、あるいはダークの腕を振り切って、ここから逃げ出せて二度と顔を合わせずに済んだなら、どれだけ楽になるだろうか。
こっちは余裕がないことも、自分が質問するたびにこっちがどれだけ困っているのかも、ダークはわかっているはずなのに、それよりも自分の知的好奇心が上回っているらしく、こっちのことなんかお構いなしのようだ。
「嬉しかったし、気持ち、よかった……だから、もういいだろ……!」
これ以上はもう何も答えたくないのに、この状況から逃れるためには答えないといけない。掴まれていない方の手でダークの服を握って、喉を叱咤して必死の思いで声を絞り出す。
ただ向こうが知りたいと思うことを聞かれて、ぼくはそれに答えているだけなのに、頭がどうにかなりそうだった。
「……わかった」
その瞬間、ダークの顔がさらに近付いてきて、噛み付くように強引にキスをされる。まさかそうされるなんて思ってもみなかったぼくは、そのまま勢い余って後ろへと倒れこみ、まるでダークに押し倒されるような体勢になってしまった。
それでもダークは唇を離したりはせずに、馬乗りになった状態のまま、ベッドに倒れこんだぼくの頬に手を置き、息を吸い込もうと僅かに口を開いたその隙に舌を割り込ませてくる。
ちょうど、夢の中の出来事みたいだ。
客観的に見ればとても冷静になれる状況じゃないのに、こんな時だけ自分の思考はとても澄み切っていて、混じり合う唾液の音と、唇と唇の隙間から漏れる、酸素を求める自分の荒い吐息が頭の中で反響する中、夢の中でもダークはこうやってキスをしてきたんだっけと、頭の片隅で思い出していた。
服を掴んだままだった手を、ダークの背中に回す。
もし、このままぼくが求めるなら、ダークは夢の中の通りにしてくれるんだろうか。
求めるように絡め合った指の冷たさも、もどかしげに脱がされた衣服も、触れ合ったダークの肌の感触も、ぼくとダークの荒い呼吸も、善がるように名前を呼んだ自分の声も、全部。
「(現実に、なるのかな)」
自分自身がそれを望んでいたのか、どうなりたかったのか、考えたくはなかった。
でも、望んでいなかったわけじゃなかった。そして望めば現実になることもわかっていた。
「……お前が、嬉しかったと言ったから。これで、いいのか」
唇を離され、わずかに上がったダークの息が頬をくすぐるほど近い距離で声がかかる。暗がりの中で、赤い瞳がじっとぼくを見つめていた。
夢の中のダークのように、熱っぽい瞳ではなかったけれど、僅かな感情しか宿らないこの赤い瞳のほうが、ダークらしいと言えばダークらしいのかもしれない。
何もわからない。自分の感情も、人間と同じように生きるすべも、恋愛の仕方も。
だからこそ、何でもぼくによく聞きたがる。
そのせいで今回みたいな思いをすることもあるけれど、言えばわかってくれるのだ。
「(何も知らない、そっちが悪いんだからな)」
ぼくが言えば、きっと。
ダークの背中に回していた手で、もう一度ダークの服をきゅっと軽く掴んだ。
「……もう一回、してよ」
「(あれは、夢だ)」
何度目かわからない位に、心の中でそう叫んで半身を起こす。起き抜けの体は思った以上に重くて、そのままがっくりと項垂れて、大きなため息を吐いた。
――あれは夢だ、夢だったんだ。
ここは、夢の中とは違う。今自分がちょうど夢の中と同じ場所に居たとしても、ここは現実の世界だ。どうせ夢なんて起きてすぐに忘れてしまうから、夢の中で自分が一体何を見、何を感じたかなんて、現実の世界には一切影響しない。
頭ではしっかりそうわかっているはずなのに、一向に体の熱は引かない。
その上、先ほどの夢も頭に焼き付いて離れない。いや、やっぱり夢は夢だから言うほどしっかり覚えているわけでもないんだけれど、自分の見たものが、映像じゃなくて何枚もの写真のように頭に焼き付いて離れないのだ。
「(こんなこと、考えてたのかな)」
夢は心の奥底を映す鏡だと、誰かが言っていた。
本当に自分が考えもしないことなんて、夢は映さない。たとえそれがどんなに意外な内容だったとしても、それはすべて自分が無意識の内に考えていたこと、そうなってしまう。
「(酷い内容)」
だから、あの夢の内容も全部、自分が心の奥底で考えていたことになる。
とても酷い内容の夢だった。自分があんなことを考えていたなんて思いたくない、でも、こうして夢に現れた以上、否定のしようがない。夢を形作るのは、それ以外の介在を許さない、自分の記憶と感情だけなんだ。
思い出しかけた夢のせいで体が熱くなるのを感じて、微かなうめき声と共に頭をかきむしる。自分の頬に触れた瞬間、そこがいつもより熱を持っていたことに気付いた。
暗いし鏡も無いからわからないけど、きっと顔も赤いに違いない。
「(……起きて、ないよな)」
隣で寝ているはずの奴のことが気になって、そいつが寝ているだろうベッドの方を診ようとしたけれど、夢の内容のせいで、それすらも憚られる。今その顔を見ればきっと、思い出したくないものをまた思い出してしまうような気がしたのだ。
早く時間が経てばいい。
今はまだまだ暗いから、朝になるまでまだまだ時間がある。もう一度寝てしまうか、そうでなくても時間がたてば、あんな夢なんて、きっと忘れてしまうに違いない。忘れてしまえば、いつもの自分に戻れる。何事もなかったように振舞うことが出来るはずだ。
大丈夫だ。どれくらい長い間一緒にいたのかは、自分が一番わかっている。それだけ、あいつとの付き合い方だってわかっている。
変な夢を見ただけで今までの付き合い方も全部どこかに行って、顔も合わせられないなんて、そんな間抜けなことにはならない、はず。
「……あ、れ?」
不思議なことに、そいつが寝ているはずのベッドには誰の姿も無く、しわくちゃの枕とシーツ、それと毛布があるだけだった。
起きているのだろうか。でも、それならさっきから何の物音もしないのはおかしい。じゃあ、外に行っているのだろうか?
「何をしてる」
辺りを見回そうとしたその瞬間、あいつのベッドとは正反対の方向――真後ろから声がした。
恐る恐る振り返ると、そこにはやっぱり、今一番顔を見たくない奴の姿があった。その手に湯気の立つカップを持っているあたり、目が覚めたから何か飲んでいる間にぼくが目を覚ました、そういうことになるんだろう。
「ダークこそ、何してるんだよ」
「目が覚めた。眠くならないからベッドから出ている間に、お前まで起きた。……お前はどうしたんだ」
「……こっちも、目が覚めただけ」
ダークの顔を見ていると、思い出したくないものを思い出してしまいそうになるのと、恐らく真っ赤になっているであろう顔を見られたくないのとで、すぐに目をそらし、そっぽを向いた。
「そうか」
そのまま向こうへ行ってくれればいいのに、よりによってダークは手に持っていたカップを近くのテーブルの上に置き、ぼくのベッドの縁に腰掛ける。離れてほしいと思っているのに、さっきよりも距離が近くなってしまった。
こっちが今何を考えているのかを知られるのは嫌だけど、せめて空気くらい読んでくれ、そう叫びそうになったが、ダークが元々どういう性格だったかを考えれば、それもどだい無理な話だった。
「おい」
ぶっきらぼうで、感情がこもらない声と同時に、腕をぐいと引っ張られる、引っ張られた先には、ダークの顔が間近にあった。
「熱か」
そう言われるあたり、さっきダークに赤い顔を見られてしまったんだろう。
思わずダークのせいだよ、と怒りたくなった。正確には悪いのはこのダークじゃなくて、夢の中のダークになるのだが。
同時に夢の中の出来事が、早く忘れてしまいたいと思っていた出来事が、頭の中の大部分を支配する。せっかく引きかけていた体の熱も、一気にぶり返してしまった。
……酷い夢だ。
こうしてぼくを見つめる、僅かな感情しか宿らない瞳じゃなくて、もっと熱っぽい、色々な感情をたたえた瞳で見つめられていた。
こうしてベッドに腰掛けているんじゃなくて、出来るだけ怯えさせないように、そっとこのベッドに押し倒してきた。
それだけじゃない。いつもよりずっと長くて、熱っぽいキスも、求めるように絡め合った指の冷たさも、もどかしげに脱がされた衣服も、触れ合ったダークの肌の感触も、ぼくとダークの荒い呼吸も、善がるように名前を呼んだ自分の声も、全部。
本当に酷い夢だった。
こうして目も合わせられなくなるほど、酷い内容だったんだ。もう何も思い出さずに全部忘れてしまいたいのに、全然忘れることが出来ない。
「大丈夫なのか」
相変わらずダークはこっちが何を考えているのかよくわかっていないのか、僅かに眉を顰めて怪訝そうな顔をしている。
ダークはぼくに似せて作られた魔物だけど、こっちの考えていることまでわからなくて本当によかったと思う。ぼくが離れてほしいとも思っていることくらいは、わかってほしいけれど。
「……お前は」
「へ?」
「おれがキスをするとたまに顔を赤くする。今もそのときと同じように顔を赤くしている。つまりおれはまだ何もしていないが、もしかしてそれに近い……」
「い、いい! それ以上言わなくていいから!」
「じゃあ、何があった」
――八方塞がりだ。
恐らくぼくがちゃんと何があったか答えるまで、恐らくダークはここを退くどころか、ぼくの腕を離しすらしないだろう。
勿論夢の内容なんて答えたくないけれど、このまま顔を付き合わせているのが、今の自分にとってはこの上なく悪い状況だ。なんとかして説明しようと、一向に無くならない恥ずかしさの中で、必死に声を絞り出す。
「夢を、見たんだ」
「その夢におれが居たのか」
「うん」
「その夢の中で、目が覚めたお前の顔を赤くさせるようなことを、おれがしたのか」
ダークが訪ねてきたことは、一つも間違っていない。それなのに、ちゃんと答えることが出来ず、黙ったまま俯いてしまう。
そんなぼくを見かねたらしいダークは、さっきよりもさらに顔を近付けてきて、
「夢の中のおれは、一体何をしたんだ」
ダークが顔を近付けてきても、相変わらずその顔をちゃんと見ることが出来ず、上手く答えられない。顔を見られたくもないし、見たくもないのだ。
それにきっと、この期に及んで無意識の内にダークをそういう目で見て、意識していたかもしれない自分を、認めたくなかったんだろう。
本当に何にも意識していなかった、と言うと嘘になるのかもしれない。今目の前に居る奴と違って、こっちは何も考えないわけがないのだ。一応いつかそうなるかもしれないんだとは、思っていた。ダークが何もわかってないことに、甘えていただけで。
ただ、それを望んでいたかというと……自分ではわからない。というよりは、わかりたくない。
今目の前にいる人にどうしてもらいたいのか、自分達はどんな関係になりたいのか、そんなことはまだ考えたくなかった。
「い、いいからほっとけってば……もうやだ、ほんと情けないし、格好悪い」
「心配するな、情けなくないお前の方が珍しい」
「……うるさいよ」
本人にしてみれば、この言葉も決してぼくを馬鹿にしているわけではないのだろうけど、やっぱり失礼なことは事実だ。そんなにぼくはいつも情けないんだろうか。
「知りたい。おれが何をして、お前が何をされたか」
本当に何も知らないとはいえ、この質問攻めはあんまり過ぎる。
自分は一体何をしているんだろうかと、思わず頭を抱えたくなった。
ただ、相変わらずぼくはダークに腕を掴まれたままで、ダークはぼくがちゃんと答えない限りその手を放すことはないだろう。
だから、聞かれたことを全部答える他ないのだ。酷い、あんまりだ。
「キスとか……あと、色々された」
「色々とはなんだ」
「それは、言えない」
若干ダークが不服そうな顔をしていたが、今までのぼくの様子からして余程言いたくないことということだけはわかってくれたのか、それについてだけは根掘り葉掘り聞かれることはなかった。
「どんなキスだったんだ」
「そこまで言わないといけないのかよ……」
「じゃあ、それ以外の色々でもいい」
ひょっとしたらダークは、本当は何もかもわかっていてこっちを質問攻めにしていじめているんじゃないだろうか。そう疑いたくなってしまう。
相変わらず顔も赤いし、ダークの顔をちゃんと見ることが出来ない。そのくせダークはぼくの腕を掴み、息がかかるほどこっちに顔を近付けてきたままだ。
「長くて……熱っぽいキスだった」
「どうだったんだ」
「どうって」
「夢の中でそうされて、お前はどう感じた」
もう嫌だ。
この状況でこっちが女の子みたいに泣き出せたら、あるいはダークの腕を振り切って、ここから逃げ出せて二度と顔を合わせずに済んだなら、どれだけ楽になるだろうか。
こっちは余裕がないことも、自分が質問するたびにこっちがどれだけ困っているのかも、ダークはわかっているはずなのに、それよりも自分の知的好奇心が上回っているらしく、こっちのことなんかお構いなしのようだ。
「嬉しかったし、気持ち、よかった……だから、もういいだろ……!」
これ以上はもう何も答えたくないのに、この状況から逃れるためには答えないといけない。掴まれていない方の手でダークの服を握って、喉を叱咤して必死の思いで声を絞り出す。
ただ向こうが知りたいと思うことを聞かれて、ぼくはそれに答えているだけなのに、頭がどうにかなりそうだった。
「……わかった」
その瞬間、ダークの顔がさらに近付いてきて、噛み付くように強引にキスをされる。まさかそうされるなんて思ってもみなかったぼくは、そのまま勢い余って後ろへと倒れこみ、まるでダークに押し倒されるような体勢になってしまった。
それでもダークは唇を離したりはせずに、馬乗りになった状態のまま、ベッドに倒れこんだぼくの頬に手を置き、息を吸い込もうと僅かに口を開いたその隙に舌を割り込ませてくる。
ちょうど、夢の中の出来事みたいだ。
客観的に見ればとても冷静になれる状況じゃないのに、こんな時だけ自分の思考はとても澄み切っていて、混じり合う唾液の音と、唇と唇の隙間から漏れる、酸素を求める自分の荒い吐息が頭の中で反響する中、夢の中でもダークはこうやってキスをしてきたんだっけと、頭の片隅で思い出していた。
服を掴んだままだった手を、ダークの背中に回す。
もし、このままぼくが求めるなら、ダークは夢の中の通りにしてくれるんだろうか。
求めるように絡め合った指の冷たさも、もどかしげに脱がされた衣服も、触れ合ったダークの肌の感触も、ぼくとダークの荒い呼吸も、善がるように名前を呼んだ自分の声も、全部。
「(現実に、なるのかな)」
自分自身がそれを望んでいたのか、どうなりたかったのか、考えたくはなかった。
でも、望んでいなかったわけじゃなかった。そして望めば現実になることもわかっていた。
「……お前が、嬉しかったと言ったから。これで、いいのか」
唇を離され、わずかに上がったダークの息が頬をくすぐるほど近い距離で声がかかる。暗がりの中で、赤い瞳がじっとぼくを見つめていた。
夢の中のダークのように、熱っぽい瞳ではなかったけれど、僅かな感情しか宿らないこの赤い瞳のほうが、ダークらしいと言えばダークらしいのかもしれない。
何もわからない。自分の感情も、人間と同じように生きるすべも、恋愛の仕方も。
だからこそ、何でもぼくによく聞きたがる。
そのせいで今回みたいな思いをすることもあるけれど、言えばわかってくれるのだ。
「(何も知らない、そっちが悪いんだからな)」
ぼくが言えば、きっと。
ダークの背中に回していた手で、もう一度ダークの服をきゅっと軽く掴んだ。
「……もう一回、してよ」
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