ずぶり。と自分の腹部に刃が刺さる。その瞬間、自分が彼に負けたということを理解した。
 少し遅れてきた激痛に呻き、地面に倒れる。彼が悲鳴を上げた。
 彼が剣を投げ捨てて、自分の元へと駆け寄ってくる。衣服が血で汚れるのも構わずに 、彼は自分の身体を抱き上げる。
「なんで、泣きそうなんだよ……」
「だってぼくは……」
「あの扉は、おれの命をもってして、開く。……お前は、進め。おれなんか気に、するな」
「そんなこと」
「そう、だな。できるわけ、ない、よな。……じゃあ、おれのこと、は、忘れろ」
 血を吐いてしまった。全身が酷く寒くて、冷え切った身体をそっと彼に近付ける。彼の身体は、あたたかかくて心地よい。
「無理に決まってるだろ……」
「それも、わかって、る。辛い、思いを、させた……な。ごめん。おれ、は、おまえ、と……」
 途切れ途切れではあるが、そこまで言ったところでまた血を沢山吐いた。全身が寒くて、酷く眠い。悲しそうな彼の顔に手を伸ばそうとしたのに、腕は動いてくれなかった。
 目蓋が重くて重くて、目蓋を閉じてはいけないと分かっているのに、視界がどんどん狭くなっていく。
 目を閉じたら、そのまま楽になれそうな気がして、そっと、目を閉じる。
 薄れゆく意識の中で、また彼の悲鳴が聞こえた気がした。

「……結ばれたかったよ」





 カーテンの間から射す光にまどろみながら、ダークはゆっくりと目を覚ました。そっと手を伸ばして、シーツが涙でぬれて湿っていないか確認する。
 湿っているようなところはなく、シーツに染みは、もう無かった。
 すぐに同じベッドで寝ていたリンクと目が合ったが、まだ寝ているようだった。時計の針は五時半を刺していて、起きるにはまだ早すぎる。ダークは二度寝をしようと目を閉じようとした。
「……?」
 その瞬間、腕に違和感が走った。何故か全身に雷のようなものが走り、心臓の鼓動が早くなる。恐る恐る左腕を掲げると、その手が、透けていた。
 透ける左腕は元に戻ったかと思うと再び透け始めて、それを短い間隔で繰り返している。その手の平を翳し、ダークは黙ったままその手の平をじっと見つめる。
 腕が透けた。この症状は知っている。模造品が消える直前に起こる症状だ。つまり自分の命は、もってあと一日だろう。いや、今日の夜にでも消えてしまうかもしれない。残された時間は本当に、あとわずか。
「……」
 ダークはそっと目を伏せて、寝返りを打ち、片腕でリンクの身体を抱き寄せた。眠っているリンクの額にこつん、と起きないように軽く自分の額をくっつけて、そのまま目を閉じた。



「リンク! 外で遊ぼう!」
 結局自分の腕が透けたことは言えないまま、昼食を取った後、ネス達がドアを蹴破って部屋に入ってきた。ダークはグローブを付けて、透けた身体をどうにかごまかしている。
 昨夜の出来事からリンクは大分落ち着きを取り戻したらしく、子供たちにも、そして自分にも至って冷静に、いつもどおりに振る舞っている。
 いや、前もいつもどおりに振舞ってはいたのだが、今思い出すとどこか無理をしている感じがしていた。今は、そのようなことは一切ない。とても、喜ばしいことだと、ダークは思う。
 言わなくてもわかっていることだろう。今、この瞬間にも自分が消えてしまうかもしれないということを。リンクは笑顔で自分の膝に乗ってきたピカチュウの頭を撫でて、
「別に平気だよ。……どこで、なにをして遊ぶのかな?」
「中庭! 今日行ったら、綺麗な花が咲いてたんだ!」
 そう言って、ネスが小さな花を取り出した。昨夜、中庭に蕾ではあるが沢山咲き乱れていた花だ。
 リンクはやんわりと微笑んで、ピカチュウを抱き、席を立ち、
「わかった、遊ぼう。ダークも来てくれるよね?」
「……ああ」
 断るだけの理由も無いのでそう呟いて、椅子から立ち上がろうとした。その時、誰かが服を掴んでいることに気づいて、後ろを向くと、眉が八の字になっているトゥーンが居た。
「どうした。トゥーン」
「全部、言った?」
 ダークは小さく笑い。ああ。と頷いてトゥーンの頭を撫でる。
「言ったよ。……リンクもわかってくれた。だから、リンクはあんなに元気なんだよ。ほらトゥーン。お前も早く元気出せ」
「いやだ」
 そう言って、ダークの黒い服を強く握り締めてくる。ダークはリンク達に先に言ってくれるように促した後、困ったように笑いながら、トゥーンの頭を撫で続ける。
「そんなこと言うな。いずれはこういうことだってあるんだ。……笑顔じゃないのは、お前だけなんだぞ」
「やだ」
「……あのな。お前がずっと不機嫌面のままで、おれ達が喜ぶと思うか?」
「それは……思わない」
「じゃあ、もう不機嫌面はよせ。お前がずっと不機嫌面のままだとこっちまで気分が悪くなるんだよ。……さ、行くぞ。あいつらが待ってる」
 そう言って、ダークはトゥーンの手を引き、廊下へ出た。



 わいわいがやがやと毎日飽きもせずに中庭で遊ぶ子供たちを見て、花冠のために咲き乱れている花をぷちぷちと詰みながら、ダークは大きくため息をついた。トゥーンもやっといつもの明るさを取り戻したのはまぁ、良い事と言えるが。
 その傍らで、リンクは子供たちに作ってくれとせがまれた花冠をいそいそと作っている。
 今、中庭には自分たちと子供たちしか居ない。その子供たちも今は、自分たちの声の届かない距離に居る。つまり、今朝腕が透けて、消えるまで後本当に僅かしかない、ということを言うなら今だということだ。
 今回ばかりは誰とも約束をしていなくても、言わなければいけない。ダークはきつく唇をかんで、言おうと口を開こうとしたその瞬間、
「ねぇ、ダーク」
 先にリンクが口を開いた。ダークは少しの間ぽかんとしていたが、すぐに平静を取り戻して、
「あ、ああ……なんだ?」
「君は、あの時死んで、それからまた生き返ってよかったと思う?」
「……どうしたんだ? お前らしくない」
 花冠を作る手を一旦止めて、リンクは苦笑いを浮かべる。
「ううん。君はあの時死んだ。……ぼくが殺した。それで……ぼくの勝手で生き返らせたりして、いいのかなって。思うんだ」
 その表情がふっと、悲しみに染まる。その時、ポケットに違和感を覚えた。ポケットの中に何かを入れて、そしてそのまま忘れていたのだろう。ポケットの中に手を突っ込むと、飴玉がふたつ、入っていた。二つの飴玉は入れてから数日経っていたのか、溶けかけて少しべたついている。ダークはそれを見て、
「(……溶けない飴玉なんて、ないんだよな)」
 そうだ。溶けない飴玉なんて無いのだ。ただ、自分は溶けるのが少し早かっただけで、いずれは皆、飴玉のように、溶けて……なくなる。
「死者が生き返るなんて、あっちゃいけないことなんだ。でもぼくは……ただ、わがままが許されただけで。ダーク……君は生き返ってよかった?」
 そんなダークの思いをよそに、リンクはそう呟いた。ダークはそっと目を伏せて、二つのうち一つの飴玉をポケットに再びしまい、詰んだ花をかき集め、
「リンク」
「ん? ……あいた」
 座って花冠を編んでいたリンクの頭に、たくさんの花と、一粒の飴玉を落とした。頭にのっている花を落とし、リンクは飴玉を拾い上げる。
 ダークは大きく、実にわざとらしくため息を吐いて、腕を組み、
「おれがお前に愛されて、幸せじゃないと思うか?」
「……」
「お前がおれを生き返らせたのは、おれが好きだったからだろ? ……なら、今のおれの存在意義は全て、お前に好かれるためにある。お前がおれのこと、おれがお前のことをずっと好きであれば、生き返ったことを悔やんだりしない」
「……君は、変わったね」
 ダークはああ。と呟いて、リンクの肩にのっていた花を払ってあげた。
「変わったさ。ここ数日、本当に色々なことがありすぎて……変わらないほうがむしろおかしいくらいだ」
「ぼくは変わったかな?」
「お前も変わった。人は変われるように出来ているんだろ? なら変わらないわけが無い。……今はそんな実感がないかもしれないけどな」
 おれはもう変わらないけどな。と付け加えて、ダークは苦笑いを浮かべた。リンクも悲しみに染まった表情からやっと、笑ってくれた。
 言うなら、今しかないだろう。そう思いダークは息を呑んで、グローブをはずして透けた腕をリンクに見せて、
「リンク、聞いてくれ。……おれの腕が、透けた」
 リンクは押し黙ってしまったが、その透けた手にそっと自分の手を重ねてきた。
「透けたってことは、つまり、どういうこと?」
「明日か今日の夜にでも、おれは消える」
 その言葉に、リンクは透けた手に重ねていた自分の手にぎゅっと力を込め、そっと目を伏せた。
「そう、か。……ねぇ、ダーク」
「ん?」
「神様はずるいね」
「どういう意味だ?」
 リンクはそっと目を閉じて、その指で透けては元に戻るダークの手の平をそっと撫でる。ダークはされるがままになって、リンクの言葉に耳を傾け続ける。
「神様は死なない。死なないから、ぼくらの気持ちなんてずっとわからない。だからきっと、僕らにこんな運命を与えるんだろうね」
「酷い神様だな」
 それに対し、リンクもこくり。と頷いて、

「うん。神様はひどい。神様はずるい。でも……神様はかわいそう」








 その夜、ダークはグローブを外し、透けた腕を眺めた。手の平越しに明るく輝く星が見える。
 今朝透けていた部分は手の平だけだったというのに、今は前腕の半ば辺りまでになっている。どうにか夜まで持ちこたえてくれたはいいものの、いつ消えても、全く不思議ではない。
 完全に手が透けて物が持てなくなるという無様な事態はどうにか避けられたのはまぁ、いいことだとは思えるが。
 打ち明けた以上もう腕を隠す必要も無くなり、グローブをベッドの上に投げ捨てる。窓を開けてベランダに出て、透けた腕で柵の上に頬杖をつく。
 誰も居ない中庭を眺めて、次に星空を眺める。ダークは天を仰いで目を伏せ、夜の風を浴びた。
「何してるの?」
 部屋の中からリンクが顔をのぞかせて、こっちを見ている。
「特に何も」
 そう呟いて、リンクもこっちに来るよう、手を振って促す。リンクが自分の隣に来てくれたので、ダークは自分と同じ背丈のリンクに凭れ掛かり、体重を預ける。
「珍しい」
「何がだ?」
「君がこうしてくることなんて、今まで無かった」
「そうしたい気分になったんだよ」
 小さく笑って、ダークはそう言った。
「このまま時間が止まってくれたらいいのに」
 いつかダークが思っていたことと全く同じことを、リンクが呟いた。
 そう思っているのは、自分も同じだ。この一瞬が永遠に変わってくれたらいいのにと、何度願って、そして叶わないことなど初めからわかっていながら、叶わないことを嘆いたことだろう。
「いや、止まってくれるならもう少し前がいいな。こんなこと知る前に戻って、そこで時間が止まってくれればいい」
 ダークが叶わないと分かっていながら願うのと同じように、リンクも今、叶わないと分かっていながら、ありえないことと分かっていながら、願い事をしている。
 雪が降ってほしいと願って本当に雪が降るような、そんな偶然すら起こらないであろう、願い事を。
 リンクはごめん。と囁くように呟いて。
「明日は強くなるから。これがぼくの最後の弱音だから。もう大丈夫」
 その言葉にダークは凭れていた頭を起こし、リンクを片手で抱き寄せ、
「いい。強くなんか、ならなくて」

 彼は泣かなかった。





 世界が揺れている。しかも何故か上下に、しかも主に上半身のほうが大きく揺れている。暫くして世界が揺れているのではなく、自分が揺れているのだと、寝惚けた頭で理解した。
「ほら、起きて」
「……ん」
 本当に何事も無かったかのように、困ったように笑いながらリンクが自分の身体を揺すっていた。しっかり目を開けるとリンクはダークを開放してくれて、ダークは大きく欠伸をしてベッドから降りた。
 ふと、自分の手を見た。相変わらず透けては元に戻ってを繰り返してはいるが、段々その間隔が短くなっているようだ。袖をめくると、既に肘のほうまで侵食している。足も、同じように脹脛まで透けている。
テーブルの上に目をやると、ほこほこと湯気を立てている朝食があった。リンクは笑顔で、ダークに朝食を取るよう促した。
 椅子に座って、フォークに手を伸ばす。――手がすり抜け、フォークが掴めない。今度はカップに手を伸ばす。これも掴めない。カップから湯気が出ているのに、熱さも全く感じられない。
 じっと手の平を見つめる。暫くして、透けた腕が元に戻り始めた。再びカップに手を伸ばすと、今度はすり抜けずしっかりと掴めた。熱さもちゃんと感じられる。
 リンクはその姿を見て、目頭を隠すようにそっと目を伏せた。



「寝ている間に消えるってことは、ないの?」
 朝食を取ってすることもないので、外に出れば誰かしら居るだろうと高をくくり、中庭に来たのだが、残念ながら誰もおらず、仕方なくベンチに二人で座った後、リンクが口を開いた。
「君の仲間の中で、朝起きたら消えていた。とかそういうのは、なかったの?」
「あることはあった。……夜中に消えなかったのは、偶然だろうな」
「そっか」
 そこまで言って、リンクも黙りこくってしまった。
 とても、とても奇妙な気分だ。こうして寝て起きて食事も取れるのに、今すぐにでも自分は死んでしまうかもしれないだなんて、少し信じがたかった。
 しかしこうして自分の仲間たちは消えていった。そして自分もまた、そうなろうとしている。
 ゆっくり深呼吸をして息を吸い込んだ。微かに花のにおいがする。今こんな状況でなかったら、微かに漂う花のにおいに気付くこともなかっただろう。
 天を仰ぐ。綺麗な青空の中にぽつぽつと小さな、綿あめのような雲があった。この空も今こんな時でなければ綺麗だなんて思わなかっただろう。
 そして今自分の隣に居る彼もまた、今こんな時で無ければ、こんなにも愛しいと思うことなんて、二度となかっただろう。いや、そう思ったところで、自分に『二度』なんて存在しないのだが。
 リンクはベンチから立って、ダークに背を向けて、
「明日は、どうしようか」
「え?」
「そろそろ身体がなまってきたから、久々に組み手でもする?」
 そんなことできるはず無い。今すぐにでも消えてしまうような状態なのだ。とても組み手が出来るような状況ではないし、まして明日までもたないのかもしれないのに。
「やっぱり少しぐらい乱闘の予定は入れて欲しいね。マスターハンドに頼んでみようか」
「……」
「それから、ダークは読みかけの本もあったね。ぼくがクッキーでも焼くからさ、焼きたてのクッキーとおいしい紅茶を用意して、一緒に本を読もう。それから……」
「おい、そんなこと……」
 もう自分にはありえないことをこれ以上聞いていたくなくて、何か言いかけたリンクを止めた。リンクはこちらを向き、悲しそうに笑って、
「消えないってことが無理だってこともわかってるさ。……だからこそ。だからこそだ。ぼくは夢が見たいんだ。……いいだろ? 別に夢を見るくらい、さ」
「そりゃ……おれだって生きていたい。お前と居たい。でも、それはもう、叶わないんだ」
「そうだね。……そうだったよね。ねぇ、ダーク。ぼくは……」
 リンクがそこまで言いかけたところで、ダークの身体が光り始める。いきなり光り始めたので、リンクはおろか、当の本人であるダークも酷く驚いていた。身体を包み込む光がどんどん引いていくのと同時に、自分の身体がどんどん透けていく。――最期の時が、来たのだろう。
「消えちゃうんだ……」
「そう、みたいだ」
 そう呟いて、手と透けた手を合わせる。互いの指を絡めている内に、ダークの手がリンクの手をすり抜けてしまった。もう、その手に触れることすら叶わなくなってしまったようだ。
 リンクは血が滲むほどきつく唇を噛み締めて、
「ぼくは負けない……こんな運命を決めた神様なんかに負けない。だから……だから君は絶対に消えない!」
 そう、叫んだ。最期の最期までリンクは自分のことを信じてくれた。そのことが、その言葉が嬉しくて、たとえ神には勝てなくてもその言葉に背中を押された気がした。
 神には、神の定めた運命には勝てない。それは始めから、生まれたときからわかっていることだった。
 それでも、だからといって甘んじていることなんて人間には出来なかったらしい。自分は諦めていたのに、今自分の目の前に居る人は、最後まで神の定めた運命に甘んじているつもりなど無いらしく、今、この瞬間も神に抗っている。その姿がなんて、大きく見えたことだろう。そしてその姿に、どれだけこの心を打たれたことだろう。
「大好きだったよ。おまえが。ずっと……ずっとな……」
 ダークはリンクに顔を近づけ、耳元でそっと囁いた。それに対し、今にも泣きそうな顔でありながら、リンクも、
「ぼくも、ダークが大好きだよ。ずっと、ずっとね」
 そう返してくれた。足先が、指の先が完全に透けている。身体が全て透けかかっている。時間など無い。止まってくれもしなかった。
 リンクの指が自分の頬をなぞる。感覚なんてもうないはずなのに、リンクの体温が感じられた気がした。既に腰の辺りまで消えかかっている。
 とうとう視界が眩い白に染まる。それでも手を伸ばせばまだ、そこにはリンクが居る気がして、既に消えてしまった手を伸ばす。
 声はまだ出せる。だから、最期の一言を伝えて消えよう。口を開いて、息を吸って……
「……結ばれたかったよ」
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