物心ついた時にはもう、この家に母親はいなかった。
 まだ幼いぼくと、そんなぼくを養うために必死に働き、家事をこなす父親。この家にはその二人しか居なかった。
 衣服や小物、それに母親の写った写真。……母に纏わるものは既に持ち出されたか、処分された後だったらしく、母がかつてこの家にいたという証すら、見つけることは出来なかった。

「ロイには、どこから話せばいいのか……リンクの両親は彼が幼い頃に離婚していたことは、勿論知っているよね?」
「それは僕も知ってます。父子家庭で、一年前に父親も亡くなったんですよね。本人からそう聞きました」
「そうだよ。物心つく前には既に離婚していたから、リンクは母親の顔を覚えていない。……それから母親に会うことは一度もなかったみたいだ」
「マルスは僕達より年上ですから、リンクのお母さんのこと……それと、リンクの弟のことを覚えているんですか?」
「少しだけど。僕のような他人があまり口出し出来ることじゃないから、リンクにもそれを言ったことはないんだ。でも、とても優しい方だったことは覚えているよ」

 母は「居ない」
 それがぼくにとっての当たり前であり、日常。
 小さい頃の自分は、そんな母の居ない環境に疑問を抱くどころか、小学校に上がるまで自分に母が居たということすら知らなかったくらいだ。
 他の人はそうじゃなかったけど、自分には母なんて居ない。
 だから何の疑問も持たないし、父に尋ねたりもしなかった。
 初めから母など居なかったから。

「ダークとリンクは、一卵生双生児なんだ」
「双子ってことですか? 確かに二人ともそっくりでしたけど」
「そうなるね。離婚した時兄のリンクは父親に、弟のダークは母親に引き取られた」
「ちょっと待ってください。さっき、リンクは自分の母親のことを何も知らないって言っていたじゃないですか。つまり……」
「そう、ダークのことも知らない。彼は自分に双子の弟がいることを知らずにいたんだ」

 母は居ない。
 兄弟や姉妹も居ない。
 小さい頃、父の帰りを一人で待つ夕暮れは嫌いだった。
 ひとり惨めな気持ちで見る綺麗な夕焼けには、いい思い出なんて一つもない。
 そんな時にはよく、自分に兄弟が居たらということを想像していた。
 兄弟が居たら、きっとこんな惨めな気持ちをせずに夕焼けが見れるんだ、と。

「……でも何故今になって、あの二人が?」





「そっか、ぼくとダークが双子の兄弟、か」
「……今まで黙っていて、ごめん」
 喫茶店の窓から差し込む夕焼けが、部屋の中をオレンジ色に染めている。
 夕焼けを見ると、小学生の頃だったか。いつかのリンクの言葉を思いだす。
 彼は、夕焼けにあまり良い思い出を持っていない。
 別に彼の身になにか嫌なことがあったわけではない、このくらいの時間帯になると彼はよく、嫌な思いをしていたせいなのだ。
「いつになるかはわからなかったけど、それでも言うつもりでは居たんだ。本当にごめん」
「別にいいよ。こんなこと、そう簡単に言えるものじゃない。それに言ったってきっと信じてなかっただろうし。……それで、ダークのことだろ? ダークがここに来た理由」
 あの家の中に、彼と一緒に居るのだろう。携帯電話の向こうからはくぐもったリンクの声以外、何の音もしてこない。
「うん、どうして今になって、彼がここに来たんだろうね?」
 向かいの椅子でジュースのストローをくわえながら、課題のプリントに取り組んでいたロイが、それを聞いて興味深そうに顔を上げた。リンクには悪いが、このことが気になるロイの気持ちもわかる。
 リンクの家を出る前に知ったが、リンクはダークのことをやはり覚えていなかった。
 この電話での反応からして、どことなく自分達が血が繋がっているという気はしていたようだが、それでも本当のことは知らなかったようだ。
 問題は何故今になって、ダークがリンクを、自分のことを覚えていない兄の元を訪れたかということだ。リンクが言うには裏に家の住所が書かれた写真を持っていて、それを頼りに昨日の夜家を訪れたという話を聞いた。だが、肝心の理由はまだわかっていない。
「……わからないんだ」
「わからない? どういうこと?」
「言ってくれないんだよ。前は母方の叔父の家に居たってことはわかったけど、家を出た理由とかは答えてくれなかった……あと、そうだ『家には戻れない』とか『外に出たことがない』とか言ってた。どういう意味だろ? 何かあったのかな?」
 携帯電話を耳に当てたまま首をかしげると、相変わらずストローをくわえたままのロイまで、同じように首をかしげている。
「暮らしていた叔父の家に何かあったのかな。リンク、その家の住所は知ってる?」
「実は……家どころか名前もわからなくて。それは聞いたら教えてくれるかな」
「うん、それがいいよ。そこから君の叔父や叔母に、話を聞いてきたらいいんじゃないかな」
 何にせよ、何年もの間離れ離れになっていた兄弟がやっと再開できたのだ。
 まだまだそれを手放しに喜べるという状況ではないのは確かだけど、それでも僕はずっと彼に弟の存在を秘密にしてきた一人として、今回のことは少し嬉しい気持ちでいた。



「そうする。ありがとマルス」
「そんな、僕は君に何年もの間隠し事をしていたのに……」
 携帯電話の向こうから、くぐもったマルスの声と雑踏の音、それとどこかの喫茶店で電話をしているんだろう、クラシックの音楽が聞こえた。
「いいよ別に。怒ってるわけじゃないしさ。……じゃあ、そろそろ切る。またね」
「うん、またね」
 少し悲しそうなマルスの声の後、携帯電話から聞こえるくぐもった音とマルスの声が、全部ぷつりと途切れる。こっちも通話を切って携帯を閉じ、ポケットの中にしまった。
「ダーク、ちょっと話が……」
 ダイニングのほうを見ると、ダークがテーブルの上に置いたままだった課題のプリントを、興味深そうに見つめていた。
「って……何してるのさ!」
 ダークの手にはテーブルの上に転がしたままのペンが握られていた、しかもさっきまで課題のプリントに何か書いていたように見える。落書きか、そうでなくても他人に問題を解かれるとばれたら後々困るから、あわててプリントをひったくる。
「勝手に解かれると困るからさ……あれ?」
 プリントにはとんでもない癖字ではあるけど、半分くらい問題が解かれていた。その上問題の答えは、軽く読み流しただけでも全部合っている。それなりに難しい課題で、昨日なんかダークに会う少し前まで、ずっと手こずっていたのに。
 それにしても字が汚い。ぼくも左利きだから、どちらかというと字が汚い方になる。でもダークはそれ以上に汚い。頑張ればなんとか読めるかどうか、といったレベルだ。
「でも、ほとんど合ってる……ダークは頭がいいんだね。そういえば、学校はどこに?」
「行っていない」
 それを聞いて、少しまずいことを言ってしまったと反省し萎縮してしまう。
 ぼくはなんとか高校に行かせてもらえたけど、中には親の都合で高校に行くことができない人だって居る。自分もずっと片親だったから、気持ちだけはそれなりにわかるつもりだ。
「ごめん。変なこと聞いたね」
「いい、おれには行く必要がないから、行っていないだけだ」
 確かに本人の言うとおり、学校に行けなかったことをあまり気にしているようには見えなかった。それに勉強も高校の問題がすらすら解ける程度にはちゃんとしているみたいだから、あまり困ることもないんだろう。
 でも、まずいことを言ってしまったのは事実だ。もう一度頭を下げて謝る。頭を上げると、相変わらず無表情でこっちを見ているダークが目に入る。
 あれから会話をしてみて思ったけど、ぼくの弟はどこか変わっている。自分の感情を全く出さないのだ。
 笑ったり怒ったりは愚か、目を輝かせたり眉を顰めたり、そんな当たり前のことさえせず、とにかく自分の感情を表に出さない。だから、何を考えているかも全くわからない。
 別に無感動な人に会ったことがないわけじゃない。実際ぼくの周りにも、自分の感情をあまり表に出さない友達はいる。
 その友人……アイクみたいな人は「感情の振り幅が狭い人」という言い方をするんだろう。ただダークは、それとはまた少し違うような気がする。感情の振り幅が非常に狭い、というよりは、初めから振り方を知らない人。
 何もわからないから、何か感情を表したくても何も表すことができない。ダークを見ていると、不思議とどこかそんな感じがするのだ。
「これ」
 そんな考え事をしているぼくをよそに、ダークが手を伸ばし、ぼくの耳たぶを触る。少しだけくすぐったい。
「きれいだ」
「へ? これって……ピアスのこと?」
「ああ、どうやってつけるんだ?」
 ダークが、耳たぶのピアスをそっと撫でる。父親が死んで、一人暮らしをするようになってからつけたものだ。校則で禁止されてないから学校では何も言われないけど、真面目なマルスだけはピアスをあけたことにあんまりいい顔をしてくれない。
「……ダークも付けてみたい?」
 こくりと、ダークが頷く。高校の校則は大丈夫だろうか、と考えたけど、ダークが高校に行っていないことを思い出した。
「何色がいい? どんな形のとか……何か希望があれば」
「お前と同じものがいい」
 今は確か、水色のピアスをつけていたはずだ。それと同じものはなかったけど、色違いのものなら、今つけているピアスと一緒に買っていたはず。赤色のピアスだったかな。
 いつもピアスをしまっている小物入れが、自室の机の上にあったはずだから、リビングを出て階段を上る。後ろから手招きをすると、ダークもその後を着いて来てくれた。
 部屋に入り、机の上の小物入れを取る。箱を開けると、一番上の色違いの赤いピアスがあった。それを取り出し、ダークの手のひらにのせる。ダークはぼくの耳と手のひらを交互に見て、本当にピアスが色違いかどうか確認していた。
「同じものじゃなくて、色違いでも平気かな? それならあるんだけど」
「それでいい」
「よかった。ちょっと痛いけど我慢してね」
 窓から差し込む夕焼けが、部屋の中を、目の前のダークを、手のひらのピアスを、オレンジ色に染めている。
 夕焼けを見ると、小学生の頃だったか。いつかの自分が感じたことを思いだす。
 ぼくは、夕焼けにあまり良い思い出を持っていない。
 別に自分の身になにか嫌なことがあったわけじゃない、このくらいの時間帯になるとよく、嫌な思いをしていたからだ。
 夕焼けを見るといつかの自分が感じた惨めな気持ちを思い出すから、今でも夕焼けはそんなに好きじゃない。夕焼けが美しさは勿論ぼくにだって理解できる。けど、夕焼けを綺麗だと思う気持ちより、あの頃の惨めな気持ちのほうがいつも勝ってしまう。
「(でも……これからは)」
 これからは違う。
 自分には弟が居た。だから、そんな惨めな気持ちを持つことはもうないんだ。






「はい、そうですか……わかりました。今から一緒に連れて行きます」
 朝から、リンクは自分に背を向け前と同じように電話をしていた。ダークは朝食のコーンスープをすすりながら、その会話に耳を澄ます。
 だが前に電話をしていたときとは様子が少し違う。なにか畏まっているようだし、実際に以前マルスという人物と電話をしていたときと口調も変わっている。
 それに聞かれたくないのだろうか、時折意図的に声を小さくして話していた。
「はい。……はい、では」
 何度か電話向こうの相手に相槌を打った後、リンクは受話器を戻し、溜め息をひとつ吐く。
「誰からだ?」
「ん? ……なんでもないよ。大丈夫」
「そうか」
「それと……ちょっと二人で行かないといけない所があるから、これから出かけようか」
 リンクがクローゼットを開き、おれと自分の服を選ぶ。あの時着ていたものは、あの家で用意された服の中では一番綺麗なものだったのに、リンクから見ればかなり古いものだったようで、それを着るくらいならと、今は全部リンクの服を借りている。双子なので体のサイズもほぼ同じの為、服を借りてもサイズに困ることは無い。
 あの日からダークは、リンクの家で過ごすようになった。叔父に言ってはいけないと言われていたこと以外は全てリンクに話したところ、それなら自分の家で過ごせばいいと言われ、今に至るというわけだ。
 この家には、あの部屋にはなかった色々なものがあって、真新しい気持ちで毎日を過ごしている。本に囲まれたあの部屋で毎日を過ごしていた頃とは、かなり違う今自分がこうして飲んでいるコーンスープも、あの家では一度も口にしたことがなかったものだ。
 最初は黄色い飲み物ということで少し驚いてしまったが、飲んでみると甘くてとてもおいしい。
 恐らくこれが、人間の暮らし方。兄は自分とは違うから、ずっとこうして暮らしてきている。だから兄は、れっきとした人間なのだろう。
 母が遺したあの写真を思い出す。十年以上前に亡くなった母は、いざという時にはその住所にある場所に行けと言っていた。だが、何故自分にそんなことを言ったのだろう。今のように兄のような暮らしをしろ、ということだったのだろうか。自分は兄のリンクとは違うのに。
 だがそれでも、リンクと居られることは幸せだ。
 あの部屋にはなかった沢山のものを見、触れられることが嬉しい。
「はい、これ」
 電話を切ってからというものの、少し浮かない顔のままのリンクが服を差し出す。カップをテーブルの上に置いて、その服を受け取った。
 二人で出かけることも、これが初めてというわけではない。ダークが滅多に外に出たことがない、とリンクが知ってからはよく一緒に買い物に行ったり、散歩をしている。外には、家の中以上に新しい発見が沢山ある。
 リンクがダークの右耳に触れた。そこには、つい先日自分がわがままを言ってリンクにつけてもらった赤いピアスがついていた。
 リンクの耳を見る。そこにも、自分のつけているものと色違いの水色のピアスがついている。以前は別のピアスもつけていたが、自分と同じものをつけていたいからと今は水色のピアスしかつけていないと、本人から前に聞いたことがあった。
「大丈夫かな。あんまりピアス空けるの上手じゃないからさ、痛かったりしない?」
「平気だ」
 穴を開けたときはそれなりに痛かったが、自分にとってはこんな痛み大したことはない。
「よかった、まだ外しちゃ駄目だよ。暫くの間付けっぱなしにしておかないといけないから」

「うん……大丈夫だ、きっと」
 消え入りそうなか細い声で、リンクが何かを言っているのが聞こえた。





 その場所は、ここから電車に乗って数駅の場所にある。
 目的地の最寄り駅の改札を出て、ぼくは電話で教えてもらった住所と、その周辺の地図をコピーしたものを眺める。
 コピーした紙に書かれた赤い丸は、最寄の駅からそれなりに離れている上に、この辺りは電車で通り過ぎることなら何度もあったけど、今まであまり行ったことのない場所だ。ただ、道なりに沿っていけば流石に迷うことはないはず。
 駅前の売店に興味を示したのか、ぼくの隣で売店に並ぶお菓子をじっと見つめているダークに視線をやる。
 ついさっき電車を降りるまでずっと電車の中で窓の外の景色を眺めていたダークは、それなりの速さで流れていった景色がよほど珍しかったのか、今尚その目が驚きと感動にほんの少しだけ輝いているのが見える。
 行こう、と横のダークに声をかけて、手の中の地図のコピーを頼りに足を進める。
 切符を買う時に知ったが、ダークは今まで電車に乗ったこともないようだった。どんなものかは知っていたとは話してくれたけど、実物を見てそれに乗るのはこれが初めてらしく、実際に駅の改札で見事に引っ掛かっていた。
 つい最近まで電車が通っていない場所に住んでいた。というのならまだわかるが、今まで一度も引っ越したことはないという話も聞いている。
 この辺りで、電車の通っていない場所なんてない。普通に暮らしていれば、電車に乗ることは何度もあるだろう。……普通に暮らしていれば。
「……!」
 駅から数分ほど歩いたあたりで、ずっとぼくの後ろについてきていたダークが急に足を止めた。ぼくが一帯どこに向かっているのか、流石のダークも気付いたのだろう。
 地図を見る。赤い丸で囲まれた目的地はもう少し先だ。
「……大丈夫だよ」
 今はまだ、何も言えない。
 ただ優しく声をかけることしか、出来そうになかった。



 目的地であるその家は、見たところ何処にでもある普通の一戸建てだった。特に特筆すべきこともないような家で、うちの家のほうが少し新しく見える、というくらいだろうか。
 インターホンを鳴らす前に、横目でダークの顔を見る。あれだけ自分の感情を表に出さなかったダークの顔がすっかり青ざめていた。今、ダークがどんな気持ちを抱いているのかが、手に取るようによくわかる。
 インターホンを鳴らすと一拍の間を置いて、ダークの叔母らしい人物が顔を出す。その時ダークの喉から小さい悲鳴が漏れたのを、ぼくは見逃さなかった。
 すっかり萎縮してしまっているダークの代わりに叔母といくつかの言葉を交わし、家に上がって靴を脱ぐ。
「ダーク、部屋はどこ?」
「……?」
「君の部屋で待ってろって、叔母さんが言っていたから」
 俯いているダークが、震える手でそれらしい方向……廊下の右端の扉を指差した。怖がらないよう優しくダークの手を引いて、一緒に廊下を歩く。
 数日間、ダークと暮らしていてあらためて実感したが、ダークにはやはり少し変なところがある。電車に乗ったことはないし、今まで用意した殆どの食事も口にしたことはおろか見たこともなかったものだと言っていた。とにかく、普通に生きていれば必ず知っているであろうことすら、ダークは知らない。その一方で、高校には行っていないのに、高校で習うような問題をすらすらと解けるくらいの頭は持っているなど、とにかくダークは知識が偏っている。
 あれからぼくは、ダークに聞いた母方の叔父叔母の名前から、電話番号を割り出し、数日間叔母と連絡を取っていた。そこで、ダークがこの家でどのような扱いだったかも知った。
 あの人達は、ダークを忌み嫌っている。表立ってその感情を出すことはないが、電話の態度からそれを伺い知ることは簡単だった。
 ――ここ数日の間に、ぼくが得た彼の情報から、ぼくはある仮定を生み出した。
 勿論所詮は仮定だ。それが本当に正しいかどうかなんてまだわからない。……個人的には、あっていてほしくないというのが正直なところだが。
 ダークが指差した扉の前に立つ。ダークはこの扉の向こうで、ずっと過ごしてきた。
 もし、この扉の向こうの光景が、普通のどこにでもある部屋だったとしたら。
 そうすれば、ぼくの仮定は全て間違っていたことになる。
 喉を鳴らしてつばを飲み込んだ後、ぼくは間違っていてほしいという願いをこめ、扉を開けた。
「(……ああ、やっぱり)」
 部屋を見回して、真っ先に思い浮かんだ言葉がこれだ。
 この部屋の中には、いくつもの本の山と古びたベッドしかない。寝る場所さえあればそれで十分といわんばかりに、足の踏み場もないほどの本が積まれていた。
 部屋に入ってすぐ目に付いた本の山を一瞥する。軽く見ただけでも、幼い子どもが読むような絵本から、見ただけで頭が痛くなるような専門書までもが入り混じっていて、そのラインナップにはとにかく脈絡がない。
 ここが、十年以上もの間ダークが過ごした空間。
 そして今まで自分が考えてきたことと、この光景が今、ぴたりと一致した。
 半ば何かを諦めたかのように部屋のドアを閉めると、ダークがぼくの服の袖を掴んだ。
「お前は……おれを、連れ戻しに来たのか……?」
 震える声。小動物のように怯えているその表情。
 今までのダークの言動を考えると、信じられないほど感情を表に出し、動揺している。
「……ダーク」
 ダークが一歩、後ろに下がる。その後ろにあった本の山に体をぶつけたせいで、大きな音を立て本の山が一部崩れてしまった。
「やっぱりおれはここに居ないといけないのか? おれが、おれがお前と違って……」
 ダークの非常に偏った知識。叔父や叔母の態度。
 そして様々な本がうず高く積まれたこの空間で、ダークという人間が十年以上もの間何を思い、何を感じ、どのようにして生きてきたのか。
「人間じゃないからか?」
 それは、想像に難くない。
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