ダークリンクは考えていた。
 これまでにも何度か特定の物事について深く深く思考を巡らせ、その後持論を述べた上で他の人間に答えを求めたことはあったが、今回の主題は勇者のあり方についてだ。
 物語の中で綴られる勇者の人間像や、現実の人間達によって語られる勇者はどのような人間なのか、また勇者とはどのような人間であるべきなのか。
 ――そして、今自分にもたれかかって寝息を立てる「これ」は一体なんなのだろうか。
 事の次第は三日ほど前、暇ならこれを読んでみるといい、マルスからそう言われて一冊の本を受け取った時に遡る。
 マルスから渡された本は冒険小説だった。一人の少年が村を旅立ち、世界を救って勇者と呼ばれるまでを、壮大なストーリーで描いている……らしい。
 結果から言えば、相変わらず小説は面白くなかった。元々小説は好きではない、面白さが全く理解できないのだ。ものを知らない自分には描写されている景色が全く想像できないし、価値観の違いからか登場人物たちの心理も魔物の自分にはよくわからない為、結果何を読んでいようが全く楽しくないのだ。
 しかしそんな自分でも唯一惹かれた部分は、主人公が様々な人間に「勇者」と呼ばれ崇められているところだった。
 本に書かれているのと同じような場面に出くわしたことは過去に何回もあった。かつて自分はこの本の主人公と同じように「勇者」と呼ばれる人間と旅をしていたことがあったからだ。
 旅先で訪れた街の住人は、そいつを見るとまるで神様にでも出会ったかのように嬉しそうな顔をして、そいつを手厚くもてなすのだ。
 しかしそいつがこれだけ崇められる理由が、自分には全くわからない。
 膝の上にある、先程読み終えたばかりの本に視線を落とす。この本の主人公はあらゆる困難に勇敢に立ち向かい、どんな時でも自己犠牲の精神を忘れない人間だった(と、本の中の登場人物が語っていた)。それほど素晴らしい人間であるなら、勇者と呼ばれるのも頷けた。
 だが自分の隣に居る「これ」はどうだ。今は自分の肩にもたれかかって暢気に寝ているではないか。
 それだけではない。昨日も自分にべたべたとひっついてきたし、自分が触られるのを嫌がったり、無視を決め込んでしまえば子どものように拗ねる。「これ」も一応、他の人間達の言うところによれば勇者となる、そのはずだ。なのに何故かこの本の中の勇者のような威厳は「これ」からは一切感じられない。
 はっきり言えば謎なのだ。「これ」が何故勇者なのかが。
 果たしてこんな奴が勇者でいいのだろうか。
 世界を救ったなら、たとえこんな奴でも勇者と呼べるのだろうか。



「……なるほど、君の言いたいことはわかった。それにしても面白い考え方だね。君らしいといえば君らしい、のかな」
 ふむふむ、とマルスは先程返した本の革表紙を撫でながら、自分の為に考え込む。
 あの後、思い立ったが吉日と、リンクが自分にもたれかかって寝ているのもお構い無しにソファーから立ち上がり、そのままマルスの部屋を訪れたのだ。
 マルスがお茶を出すと言っていたが、それは断った。そして自分が立ち上がった際に、寝ていたリンクがソファーから転げ落ち、いきなり立ち上がったことに猛抗議されたが、それは気にせずに部屋を出た。
「あの本からそんなことを考え出すとは思わなかったよ。これも価値観の違い、かな?」
 ここを訪れたのは、リンクより思慮深い人間であるマルスであれば、自分の求めている答えが得られると思ったからだ。現にマルスは、魔物の自分と人間という価値観の違いを踏まえた上で、自分の求める答えを探してくれている。
「まず君は、彼の色んな一面を見ている。良いところも、悪いところも。でもこの本の中では、勇者である主人公の悪いところが見えないんだ。ほぼ良いところしか見えない。だから君は不思議に思うんだろう?」
「その本の主人公も見えないところでは、あいつみたいな一面があるかもしれないのか」
「そうだね。それに……これは所詮作り話。書き手の理想が描かれているのかもしれないよ」
「つまり人間は、勇者の本当の性格を知らないで、勝手に理想像を作って崇めているのか」
 それを聞いたマルスが、目を見開いて驚いている。どうやら自分の言葉に面食らっているらしい。自分としては本当のことを言ったまでだというのに。
 しかし、すぐにマルスは笑顔を取り戻して、
「人の内面とは中々見えてこないものだよ。君の言うとおりかもしれないけど……その言い方は少しどうかと思う。まず第一に勇者というのは偉業を成し遂げた人、そしてこれから成し遂げようとする人の呼び名であって、こうあるべき、こうでなくてはいけないというのは間違いだ。だから君がリンクにこんな人間でいいのか、という気持ちを抱くのも間違っていることになる」
「だがあいつは、生まれた時から神に力を与えられていて、その力で世界を救ったに過ぎない。普通の人間とは違うから、あんな奴でも勇者になれたんじゃないのか?」
「『あんな奴』はともかく、それも一理あるね。だが力を与えられても結局のところ、それをもって世界を救うか逃げ出すかはリンクの意思だ。その意思に、勇者と呼ばれるだけの理由がある。そういうことじゃないのかな?」
 マルスがテーブルの上に置いていた自分の手を取る。リンクに触れられた時もいつも思っているが、人間の手は、とても暖かいものだ。
「……よく考えてごらん。リンクは君と一緒に居てくれる。彼の気持ちに、救われたと感じたことはないかい?」
 穏やかに微笑むマルスに諭されて、言われたとおりに考えこむ。
 元々自分が今ここに居るのは、リンクが自分を連れ出したからだ。
 その時にリンクが何を思って自分を連れ出したのかはわからない。ひょっとすると今のように愛情に満ちた瞳ではなく、好奇の瞳で自分を見ていたのかもしれない。それでも今は、自分を連れ出したということと、今は愛情に満ちた瞳で自分を見てくれているという事実がある。
 連れ出された後は、暫くの間世界を巡った。その間もリンクは自分に惜しみない愛情を注いでくれていたが、その頃の自分はその気持ちを理解できていなかった。
 理解できるようになったのはこの世界に来てからだ。連れ出されてから、自分に注がれる愛情が理解できるようになるまでそれなりの時間が経っている。
 連れ出されなければ、とうの昔に自分は死んでいただろう。連れ出された時こそ救われたなど感じなかったとしても、後でその出来事を思い出した時、リンクの気持ちが理解できるようになった時、リンクに救われた。そう感じたことは、
「救われたと感じたことは、ある。……だから、感謝もしている」
「そう、世界だけではなく、魔物の君も救ってくれたんだ。君にとっても彼は立派な勇者だよ。そうだろう?」
「……」
 マルスの言うことに返す言葉が見つからず、俯いて黙りこくってしまう。マルスも次の言葉を急かすような真似はせずに、自分の手を包み込むように握りながら、じっと自分の言葉を待った。
 自分達二人が黙りこくってしまったせいで、あたりにしんとした空気が漂う。 
「マルス、入るよー?」
 部屋に漂うしんとした空気を壊すかのように、扉を叩く音が二回した。更にノックの返答を待たずに扉が開かれ、その向こうには、不機嫌面のリンクが立っていた。
「あ、やっぱりこんなところに居た! なんで勝手に出て行っちゃうかなぁ」
 やはり、先程自分がいきなりソファーから立ったことに腹を立てているらしい。リンクがずんずんと部屋の中に足を進める一方、自分はノックの音がする前と同じように、椅子に座って俯いたままだ。
「お前は、」
 自分の声に、リンクの足音がぴたりと止んだ。
「お前は、しょうもないやつだ」
「へ?」
「いつもべたべたとおれにひっついて鬱陶しいし、構ってもらえなければ駄々をこね、子どもみたいに拗ねる。今日だっておれにもたれかかって暢気に寝ていた。本当にお前はしょうもないやつだ。……でも」
 一度間を置き、顔を上げてリンクを見る。リンクは不思議そうな顔で、椅子に座る自分を見下ろしていた。
「お前は勇者で、おれと世界を救った」
 言い終えた後は、口を開く前と同じように再び黙り込む。
 リンクは自分の考えていることが通じなかったようで、口をへの字に曲げて、不思議そうな顔から表情を変え、困った顔をしてしまった。だが今は、リンクがこの気持ちに気付かないままでいいのだと思えた。
「……ねぇマルス、ダークが変なんだけど、何話してたの?」
「そんなに酷いことは言わないであげてよ。彼も色々と思うところがあったんだよ」
 苦笑いを浮かべるマルスに、リンクは訝しげに眉を寄せた後、すぐに元の顔に戻り、
「思うところ、ね。どうせまた変なことで悩んでたんだろ? ……考え直してくれたなら、別にいいけどさ」
 リンクの左手が、椅子から立ち上がった自分の手を取る。
「ダーク、行くよ」
 その手の甲にトライフォースの紋章が見えたのを、ダークは見逃さなかった。
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