「アベル、只今戻りました」
「カイン、同じく戻りました!」
 そう呟いてカインとアベルが主君に恭しく敬礼をする。主君は鞘に納めた細身の剣を杖のように地面について、眉一つ変えずに城の外をじっと見つめている。
 アイクも眉を顰めてはいるが、同じように主君と城の外を見つめている。いつもは華やかだった城下町が民家につけられた火によって赤く染まり、逃げ惑う人々を鎧を着た兵士たちが追っている。我らが主君、マルスは目をそっとふせて、
「お疲れ様。どうだった?」
「囲まれました。裏口も完全に封鎖されています。……ここに兵が来るのも、時間の問題です」
「完全に……してやられたね」
 アベルの言葉に、マルスは苦笑いを浮かべて呟く。元の世界で見たマルスの笑顔より、どこか幼さの残る笑顔だった。
 彼の生まれ育った世界に来て、やっと慣れてきた頃、何者からか敵襲があった。 聞けば同盟を結んでいた隣国が裏切り、アリティアに奇襲をしかけてきたらしい。そこでようやく理解した。今の彼はこれからどうなるのか知らないのに、アイクは知っている。このまま彼は祖国を追われ辺境の島国に逃げ込み、二年以上の月日をかけて祖国を取り戻し、国宝の神剣を持って地竜をその手で討つ。
 勿論、そんなこと当の本人に言ったところで怪しまれるだけであり、何も言えず、知らない振りをして彼の国が滅ぶのをただ、彼と彼の家臣と共に見ているだけだった。
「マルス様、どうなされますか。このままでは我々も……」
「わかっている。姉上に助けられたこの命、こんな場所で無碍にするわけにはいかない」
「逃げるのか。……だが、どうやって?」
 アイクの問いに、マルスは火事で赤くなってしまった夜空を仰いで、そっと呟いた。
「ポーンも、ビショップも、ナイトも奪われ、ルークは落ち、クイーンも捕らえられた。……今僕は、詰み寸前の状態にある」
「マルス様。我々の力が及ばないあまりに、このようなことに……申し訳ありません」
「いいんだ、アベル。僕は君達を責めているわけじゃない。……それに僕は詰まれるのも、諦めるのも、まだ早い」
 随分冷静なマルスの言葉に、アベルはそっと目を伏せて、相変わらず自分達に背を向けて燃えゆく城下町を見つめているマルスに跪き、頭を垂れて、
「マルス様。ここは私に任せ、お逃げ下さい。……貴方はここで死んではいけない」
 その言葉にカインもアベルと同じようにマルスに跪き、頭を垂れる。
「俺の思いもアベルと同じです。どうぞこの命、マルス様の好きなようにお使い下さい」
「そう、ありがとう。……こんな素晴らしい臣下を持てた僕は幸せ者だ」
「……身に余る光栄です」
「でもアイク、君はどう思う? 君なら……どうする?」
 行き成りマルスに話をふられ、僅かに焦るが、アイクは真剣な目つきで、
「本当にそれしかないのなら、俺もそうする。俺が生き残るよりも、お前が生き残ったほうがいいのが事実だ。……だがそれは、本当に最後の手段だ。俺なら何よりもまず、全員が無事にここから出られる方法を探す」
「実に君らしい答えだ。アイク……君を貴族達はよく思っていない。『主君に対する忠誠が欠けている』と君を批判した。確かにそうかもしれない。だが、時には君のような人間も、僕らには必要なのかもしれない。そして……」
 今までずっと外を見ていたマルスが自分たちの方を向く。
 その手に剣を携え、赤く燃える逆光をその青い髪に、頬に、鎧に受けるその姿は、やがては民の上に立つ王に相応しい威厳が漂っていた。
 この姿がいずれこの大陸を救い、そして自分と剣を合わせる者の4年前の姿なのだ。そう思うと、彼がとても遠く、そして強い人に見えた。今の彼からはとても想像できない。マルスはゆっくり口を開き、
「今が君を必要とする時だ。僕は君達の主君として、君達を誰一人死なせはしない。……アイク、よく言ってくれたね」
「ああ。……あんたがそんなこと受け入れるはずがないと思っていた」
「カイン、アベル、アイク。今から僕の言うことをよく聞くんだ。僕達はここから逃げる。誰の犠牲も出さずに。……その為には、それぞれがいざとなったら僕をも見捨ててまで生き延びる覚悟で居なければならない」
「……ですがマルス様! それは騎士の誓いに反する……」
 アベルの反論に、マルスはその手に携えていた剣を抜き、その剣先をアベルに向けて、
「ならこれは命令だ。カイン、アベル、アイク。君達はどんなことをしてでも生き延びろ。そして僕を、皆を守るんだ」
「ですが……」
「忠誠心は勿論必要だ。けれどそれに囚われて救える命を捨ててしまうなんてもっての他。だから、僕はアイクのような者が必要だと思うんだ」
「……つまり俺に騎士勲章は必要ない。と」
「騎士の称号が欲しいのかい?」
「いや、そういうわけじゃないが。だが……騎士道やらに縛られるのなら、いらないとも思う」
 マルスは困ったように笑って、アベルに向けていた剣をそっと降ろす。剣を向けられていたアベルとカインが立ち上がった。
「いらないだなんて、そんなこと言わないでくれ。確かにそうかもしれないが、表面的なものでも、君のためにはあったほうがいいものなのだから」
「……どういう意味だ?」
「アイク。僕は今、ここで君に騎士の称号を与える」
「お、おい……」
「あくまで形だけのものだから、簡単なもので済ませるし、別に騎士道とかそういったものは無理しておぼえる必要は無い。何より、その方が君らしい。それより……時間がない。早く」
 騎士の称号……そういえば、テリウスでもエリンシアに同じようにして形だけのものだが、騎士としての爵位を与えられた。やり方は全く同じなのだろうか。だとしたら、自分の剣をマルスに渡さなければ。
 腰に下げた剣をマルスに渡そうとしたが、マルスはいいよ。と言って、
「ここはじきに戦場になる。叙任の儀は戦場だとまた違ってくるんだよ。だから、君の剣を借りる必要は無い」
「……エリンシアの時とは違うのか」
「……前に爵位を与えられたことがあるのかい?」
 しまった。とアイクは思った。テリウスでの事と、寮での事は喋らないと決めていたのについうっかり口を滑らせてしまった。慌ててアイクは弁解しようと、
「いや……確かに貰ったが、もう爵位は返した」
「ならよかった。……アイク、君には家族が居るはずだったね」
「肉親は妹だけだが、家族同然の仲間と……恋人が居る」
「なら、尚更死ぬ事は許されないね。……いや、死ぬ事は僕が許さない」
 ……別の世界に恋仲だった人を置いてきてしまったのは確かだ。だが、数年前の姿ではあるが、今自分はその恋仲である人に爵位を与えられようとしている。とても、とても奇妙な気分だった。そんなことを思いながら、アイクはマルスの足元に跪いて、頭を垂れる。
 マルスはそんなことは露知らず、アイクの肩に手に持っていた剣の平をのせ、目を伏せ、すぅ。と息を吸い、
「汝、アイクよ。アリティア王子マルスの名において、貴公に騎士としての爵位を与えるものとする」
 前に爵位を賜った時と似たような台詞を聞いて、剣の平で肩を軽く三回叩かれた。前はもっと厳かで、何人もの司祭達に囲まれながらエリンシアに剣を渡されたというのに、今回は酷く単純だった。
「はい、おしまい。……これからは君も正式にアリティア宮廷騎士団の一員だ」
「……もう貴族の堅苦しい風習は嫌だと思ったはずなのにな」
「さっきも言ったように形だけのものだから、いつも通りの君で居てくれて構わないよ」
 そう言って、マルスがくすくすと笑った。そんな中で、マルスの後ろ、城下町の方から大きな歓声が響く。それがマルスへの歓声だと理解するまでに、そう時間はかからなかった。
「マルス様! ジェイガン様です! それだけではありません。アリティア騎士団の者が殆ど戻ってきています……!」
「志願兵まで居るじゃないか……」
 カインとアベルが驚きの声を上げる。外を見ると、確かに様々な装備ではあるが、沢山の兵がアリティアの旗を掲げて城に向かってきている。その中で先陣を切っている初老の兵が大声を上げて、
「マルス様! 今そちらに向かわれます!」
「ジェイガン! ゴードンやドーガまで……皆……」
 アリティアの旗を掲げた兵士達は敵兵をどんどん薙ぎ倒し、その度に勢いを増していく。これが彼の人望の厚さなのだろう。それを見たアベルがアイクの叙任の儀と同じように、マルスの前に跪き、頭を垂れて、
「マルス様。この上なく聖なる主、全能の父よ……。貴方は邪まな者の悪意を砕き正義を守る為に剣を使うのを、我々にお許しになりました」
 その言葉を聞いて、カインも同じようにマルスに跪いて、
「……どうか貴方の前にいるこの下僕の心を善に向けさせ、この剣であろうと他の剣であろうと、不正に他人を傷つけるためには決して使わせないようになさって下さい。そしてこの下僕に、常に正義と善を守る為に剣を抜かせて下さい」
 マルスは黙ったまま暫く考え込み、その表情を見せないように俯きながら、自分達に背を向け、城下町の方を見つめた。城内に響く音の大きさからして、既に敵はすぐそこまで来ているらしかった。
「三人とも、先程僕が言ったことを覚えているかい?」
「『なんとしても生き延びろ』か……言われなくてもそうするつもりだ」
 自分達に背を向けたまま、マルスは頷いて、
「そうだ。ジェイガン達が来るまで。……いや、ジェイガン達が来てからも、死ぬような真似は決して許さない」
「……仰せのままに」
 マルスは、その手に持った剣を高く掲げて、



「愛しきアリティアの地を踏み荒らす愚か者共よ、よく聞け。私の名はマルス! アリティア王国第一王子マルス=ローウェル! これ以上我が民を、我が国を汚す真似をするのなら、私とて容赦はしない!」
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