もう誰かのために剣を振ることは無いと思っていた。
 まして軍にもう一度入りなおすなんてことは二度と無いと思っていた。
 別にもう戦わないわけじゃない。俺が生きていくためには剣はもう必要不可欠なものだし、今までもそしてこれからも俺は剣を持って戦い続けるだろう。ただ誰かの為にではなく、これからは俺は俺のためだけに生きて剣を振るうことになる。それだけの話だ。
 あの大陸での戦いが全てが終わった後、俺は各国から英雄としてそれなりの地位を用意するとは言われたが、それらを全て断り、それぞれの国が完全に復興するのを見届けないで、一人で旅に出た。
 三年前からそうだったが、何処へ行っても自分が大陸の英雄扱いされるのが嫌で、前々からどこかに隠れ住もうとは思っていた。そういうことは素直に喜べばいいとはよく言われる。だがそんなのは俺の柄じゃないから喜べるわけがない。そしていつからか、俺の中には俺を知らないどこか遠くの世界へ行こうという想いが募っていた。もう俺はどこかに腰を落ち着けるということが出来ないのかもしれない。
 気がついた時にはそれを傭兵団の皆に打ち明けていた。妹には酷く怒られた。団の参謀は共についてゆきたいと俺に頼んだ。他の団の皆は酷く驚きはしたものの、俺の我侭な気持ちを察してくれたのか、引き止めはしなかった。
 結局妹は折れ、いつ帰れるかわからないからと参謀の頼みも断り、テリウスでの戦いを終えてから約半年経った頃、俺は死の砂漠を超えてハタリでニケ達に挨拶を済ませ、旅を始めた。





 俺に向かって振り下ろされた剣を剣で受け止めた。がきん。と剣と剣がぶつかる音がする。
 相手はめいいっぱいの力で俺と剣を合わせている。が、俺にしてみればこんな力じゃ全然大したことは無い。軽く押し返したら、俺としてはそんなに力を入れたつもりは無かったのに相手は見事に吹っ飛んで、剣を落とし後ろの芝生に尻餅をついてしまった。
「いたたた……酷いや。手を抜くって言ったのに」
 アイクの嘘つき。と文句を言うのは、俺が剣の相手をしていた少年、マルスだ。それなりに痛かったのだろう。顔をしかめて腰をさすっていた。俺も手加減の為にと用意された細身の剣を、その辺に投げていた鞘に戻して、マルスに手を差し伸べる。
「大丈夫か」
「それ、君が言うこと?」
「それもそうだが、お前に手を差し伸べないのも逆に問題だろう。立てるか」
 マルスは相槌を打って俺の手を取り、近くに放り投げられた剣を腰の鞘に戻す。
 俺がテリウスからどれだけ離れたのか分からなくなるくらいに旅を続けて辿り着いたのは、あいつが住んでいたというアカネイアという大陸だった。しかもその大陸の、あいつの故郷だというアリティア王国には俺と出会う四年程前、つまり十四歳のあいつが居たのだ。
 十四歳のあいつというと確か、アリティアを襲われ父を殺され母と姉ともはぐれ、僅かな臣下と共にどうにか偏狭の島国に亡命した年だとあいつから直接聞いたことがある。しかしまだアリティアは襲われていない。それはこれからの話なのだろう。だが今ドルーアという国がアカネイアという宗主国を襲っているという話で、アリティア城では毎日隣国のグラ王国と共にアカネイアの救援に向かうための軍議が行われている。
 そしてこれからあいつの父はグラの裏切りに会い、命を落とす。国王とあいつがあの世界で持っていた神剣ファルシオンを失ったアリティアは、裏切ったグラ軍とドルーア軍の前に為す術無く崩れ落ち、あいつは偏狭のタリスという島国に亡命をする。それは、この大陸では俺しか知らないことということになるのだ。あの世界でのあいつは知っていて、こうして俺に教えてくれたのに。この世界でのこいつは、俺のことすら何一つ知らないというのは中々変な感じだ。
 そしてあいつの話を思い出した俺は、もう軍に入ったり騎士になったり、誰かのために剣を振ることなんて無いと思っていたはずなのに、これから俺と会うまでの四年間、大陸を巻き込む大きな戦争を経験するあいつを助けたいと思った。
 幸いアリティア騎士団は年齢や生まれを問わず力のあるものは騎士になれる仕組みだとあいつに聞いていたから、気がついた時には俺はもうアリティア騎士団に志願していた。そして従騎士となって、騎士に上がるための訓練で誰よりも多くの成果を挙げた。幸い戦争が近いこともあって兵を集めているのか正式に騎士になるまでそれほど時間はかからなかったし、勿論俺の成果はあいつの耳にもちゃんと届いていたらしく、デイン=クリミアから四年経ちもう一度、今度はアリティアの騎士になった時、俺はあいつの近衛騎士に志願した。
 その時に初めて、俺は十四歳のあいつと顔を合わせた。細身の剣を腰に下げ、国王の隣に立って、自分を興味深い目で見るあいつ。まだまだ幼いし、顔つきも俺が知っているあいつとはかなり違っていた。
 ただ、目だけは変わっていない。俺の目と同じ色で、不思議と人を引き込む魅力のあった意志の強い青い目だけは、俺の知るあいつとどこも変わっていなかった。
 いや、四年経って俺と出会っても、あの目だけは変わることはなかったのだろう。
「それにしたって、相変わらず君は強いね」
「俺より強い奴だって居るだろう」
「居たとしてもこの大陸に一人二人しか居ないと思うよ?」
「……俺なんかまだまだだ」
 マルスは肩をすくめて笑って見せて、
「謙遜もいいけど、アイクはもう少し自分の強さに誇りを持ってもいいと思う」
 だって、そんなに強いなんてずるいよ。とマルスが子供らしい笑みを浮かべる。
 あの世界では、僅かな差であいつの方が強かった。素早い身のこなしで俺の剣をかわして一瞬の隙を狙うあいつにはよく負かされたし、俺のほうが力そのものは強いから時にはその力であいつを打ち負かしてあいつに勝つこともあった。戦歴を見るとあいつの方が僅かに勝ち数が多かっただけで、ほとんど互角だったといってもいいかもしれない。
 あの時の俺はあいつよりも一つ年下だった。まだ世間知らずのガキのままで、とても強いとは言えなかった。だがあれから四年経った今の俺は、あの世界に居たときの俺よりはそれなりに強くなったと思う。あの時より背も伸びたし筋肉だって付けた。自分の宿敵だって、この手で倒した。
 だが俺の目の前にいるこいつは、俺と会う四年前の姿だ。逆に俺はあれから四年経った。あの世界の中じゃ一つしか年が違わなかったのに、今では七歳差だ。
 あの世界でのあいつと今目の前に居るこいつを比べると、やっぱりかなり幼い。まだ十四歳と言うこともあってか剣の腕もまだまだだし、まだ戦争を経験してないこともあってか顔つきもまだ年相応の子供のままだ。背だって俺と比べるとかなり小さい。俺が大きいだけかもしれないが。ただ俺が同じくらいの年のときはもう少し大きかった気がする。
「とりあえず、今日の鍛錬はここまでにするか」
「……そうだね。アリティアも戦になるまでは君に勝ちたかったけど、それも無理みたい」
「どうしてだ」
 わけを聞くとマルスはゆっくり手を掲げ、近くの木に止まっていた鳥においで、と優しく声をかける。日頃マルスが城の中庭で、鳥に餌付けをしている姿をよく見ているので、人には慣れているのか、すぐにマルスの指に一羽の鳥が留まる。
「姉上にも言ったけれどね、この鳥はアカネイア地方にしか生息しない鳥だ。渡り鳥でもない」
「アカネイアというと、この国からそれなりに距離があったはずだが」
「アカネイアがドルーア軍の手に落ちてから、そんな鳥や動物がこの辺り一帯に渡ってくるようになった。つまり」
「動物が嫌がる邪悪な何かが、ドルーア軍にあるということか」
 本当はその邪悪な何かがなんなのか、本当は知っているが知らないふりをしてマルスの話を聞く。その正体はマルスの先祖が打ち倒したはずの暗黒竜で、マルスは今から二年後にやがてそいつを自分の手でまた打ち倒さないといけないのだ。
「そう。もうドルーア軍もアリティア国境近くまで来ている。アリティアが本格的に戦に巻き込まれるのも時間の問題だろうね。だから、それまでに一度アイクに勝っておきたかった。……それだけだよ」
「不安か?」
「そうだね。僕の初陣はまだだけれど、少し」
「お前が暗い顔をしていると士気が下がるぞ」
「そうだね、うん。……大丈夫だよ、君が居るもの」
 こいつは当たり前のように俺を信頼しているけれど、騎士団の中には従騎士の時に圧倒的な成果を上げた俺をよく思わないものも当然居るし、貴族の中には俺を王子マルスの暗殺を狙うドルーアの回し者だとか言う奴もいた。しかしこいつとこいつの父は、周りのそういう意見を突っ撥ね、俺がこいつの近衛騎士になることを認めてくれた。
 その時にこいつが言ったことは、正式に近衛騎士になった今でもよく覚えている。
『大丈夫。アイクが裏切るか裏切らないか、それを見極めるくらいの目は僕も持っているつもりだ』
 そう言ったあいつの目はやっぱり、俺の知っているあいつの目とちっとも変わっていなかった。
「君の言いたいことはわかるよ。自分のことをまだ信じきっていないのだろうって、ね」
「そんなこと言っていないだろう」
「でもそういう人も居るじゃないか。……だから、君の素性を調べさせてもらった」
「調べたのか?」
「あ、でも極秘だからね。僕と父上とジェイガンしか知らないよ。……君がこの大陸から凄く遠い場所にあるテリウスという大陸で暮らしてきたこと。その大陸で傭兵上がりでありながら救国の英雄として讃えられていること。それなのに栄誉を捨て、自分のことを知らない大陸へ旅に出たということ。色々ね、調べたんだ」
 そう言って、ずっと手に止まっていたままだった鳥を、マルスはもうお行きと南の空へと逃がす。
 別にテリウスでの出来事を黙っていてくれるのなら、自分の生い立ちなんてなんでもないはずではあるのだが、流石にいつのまにかそんなことまで調べているなんて思わなかったので俺も少し驚いてしまった。
「いいのか。こんな奴で」
「アリティアが別の大陸から英雄を歓迎しないわけが無いじゃないか。なんなら今すぐにでも父上とジェイガンに掛け合って、もっといい地位を用意するけれど」
「いや……それは勘弁して欲しい」
 だろうね。とくすくす笑いながらマルスが言う。
「じゃあ、お前は俺を信じられるのか?」
「信じられるよ。……人を信じることの出来ない者に、人の上に立つ資格は無いからね」
 横目にその姿を見て、四年後のこいつの姿を思い浮かべた。今よりも背が伸び、声も低くなって、顔つきも綺麗になり、同時に大人っぽくなる。でも、意志の強い青い目だけは変わらないのだ。
「変わらないんだな」
「何が?」
「いや……こっちの話だ」
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