「俺は、あんたが好きかもしれない」
 夕日をその背中に受け、アイク君が至極真面目そうな顔でそう切り出した。鞄を背負い腕を組み、仁王立ちする彼の視線の先には、驚きのあまり鞄を落としかけ、実に間抜けな顔で立ち尽くす僕の姿があった。
「自分でもわからん。でも抱きしめてやりたいとか、手を繋ぎたいとか、そういう人並みのことは考える。だからあんたが好きか嫌いかと聞かれたら多分、好きだと思う」
 学校の授業では体育以外寝てばかりの彼が、授業の時よりも遙かに真面目そうな顔で言葉を発している。彼の授業と部活での態度の差に関しては職員室でも度々話題に上がっていたが、職員室で彼の話をしていた先生方も、部活以外で彼のこんな真面目な表情を見た者は恐らく居ないだろう。
 そして下校途中の道の周りには自分達以外に誰もおらず、彼の言う「あんた」とは何かの人違いではなく、僕を指していることを示していた。
「あんたが俺を特別な目で見てることはリンクから聞いた。いつものあいつの話なら話半分に聞いているが、俺から見ても、あんたは俺を特別な目で見てることはわかる。そういう目で見られるのは、悪くない。だから俺はそういう結論に至ったつもりだ」
 追試と補習に毎回顔を出すほど勉強が苦手なわりには、彼の物言いはどこか理屈っぽい。そして、彼の目から見てもリンク君の言動は信用に値しないもののようだ。
「……せめて何か言ってくれ」
 困り顔の彼に答えるかのように、僕の肩にかけていた鞄が滑り落ち、音を立てて地面に落ちた。
「そんなに驚いたか」
「ご、ごめんね。やっぱりびっくりしたから」
「俺なりに考え抜いた上での言葉のつもりだったんだが、あんたは迷惑か?」
 僕がしゃがんで落とした鞄を拾い上げる前に、彼が落とした鞄を拾って差し出してくれた。それを受け取りながら、与えられた時間で僕は考え込む。
 確かに彼の言うことは嘘ではなかったし、自覚は僕も持っている。こうやって告白されること自体も決して嫌ではない。むしろ喜びたいくらいだった。……ただ、
「僕は先生だから、君の気持ちは……迷惑だ」
 ここは、そう言いきるしかなかった。先程言ったことを自分の胸にもよく刻み付けて、彼の言葉に喜ぶ本心もまとめて消してしまおうとする。喜びたいのは山々だ。だが僕の身分上、喜んでしまうのもいけないことなのだ。
 しかし彼は僕の言葉に眉一つ動かさず、それどころか一歩近寄って何故か僕の頬に手を置いた。運動部に所属しているだけあって、先程まで並んで歩いていたはずなのに、がっしりとした体が一歩近付いただけでも驚いて少し身構えてしまう。
「だ、だから僕は迷惑だって……」
 折角言いきったのに、彼のいきなりの行動に焦っていつもの情けない素の僕が出てしまった。彼はそれもお構い無しに頬に手を置いたまま、ごつごつした指で僕の目の下をこすった。
「泣いてるぞ、あんた」
 抑揚の無い低い声と共に、彼が僕の手を取って、その手を顔に置かせた。指先に生暖かい水が触れて、その時やっと自分が両方の目からぼろぼろ涙を流していたことに気付いた。
「涙脆いんだな」
「そう、かな。……そうかもしれない」
 涙脆くなんかない、と言えない自分が情けなかったが、仮に言えたところで涙の止まらない顔では説得力など無いに等しいだろう。
「それで、あんたの本音はどうなんだ」
「本音だなんて、僕はさっき言ったことが全部……」
「泣きながら断られて、さっきの言葉が嘘じゃないって思う奴なんて居るわけないだろ。俺がそんなに鈍い人間に見えるのか。……あんたは」
 頬に置かれたままの手で、かえって赤くなってしまいそうなほど強く、目の下を指で拭われる。
 彼は十分すぎるほど鈍い性格だと思うけど、そこはあえて言わないでおいた。
「あんたは、俺のことが好きか?」
 真剣な彼の瞳にさっきのように「先生の顔」で何かを言うことも、その手を振りほどいてここから逃げることも、僕には到底出来そうにない。今は生徒も教師も関係なく、夕焼けの光を受けながらここに立っていたのは真剣な顔で僕を見つめる彼と、ぼろぼろと涙を流し続ける僕だけだった。
「素直に言ってくれ。俺は平気だ」
「……」
 その言葉に背中を押されるかのように、何も言わずにこくりと頷く。
 彼は一言そうか、と答えた後、また目の下を指で拭い出した。
「……ちょっと待ってろ」
 頬から手を離し、ポケットに手を突っ込んだアイクが、困ったように少しだけ眉を下げた。
「どうしたの?」
「ハンカチを忘れた。あんたの涙を拭いてやろうと思ったのに」
「それくらいなら自分のを……あっ」
「どうしたんだ」
「僕も持っていないんだ。今日はピット君が怪我をして、ハンカチで手当てをしてあげたから」
 今朝の出来事を思い出す。僕の目の前で転んだピット君が手をすりむいたので、ハンカチを貸してあげたのだ。汚れたハンカチは後日返してくれればいいと、そのままピット君に貸したままだ。
「あぁ、あいつはよく転ぶしな。……それならこれでいいか。おい、目を瞑ってくれ」
 言われたとおりに涙で濡れた目をぎゅっと瞑ると、でこぼこした固めの布が、僕の涙を拭う。何かと思って目を開ければ、そこには自分のカーディガンの袖で涙を拭う彼の姿があった。
 このままではカーディガンが汚れてしまうと、彼の手首を握り、涙を拭う手を止めたが、その手もすぐに振り払われてしまう。
「駄目だ、汚れてしまうよ」
「あんたの涙を拭くためだったら、汚れても構わん。それに、」

「俺のための涙なら悪い気はしない。こうして拭ってやるから、泣きたいだけ泣け」
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