「マルス」
「……」
「マルスってば」
「放っておいてくれ」
「放っておけるわけないだろ」
 何度も何度も根気よくマルスに声をかける。それでもマルスは顔を上げずにベッドに臥せっているままだ、親に怒られて拗ねた子供みたいに枕に顔を押し付けていて、これでは顔も見えない。
 ロイが居なくなったあの日からマルスはこうしてろくな食事も取らず、剣の鍛錬もやめて、キャンセルできない乱闘以外では表に出ることもなくなって、自室に篭るようになってしまった。
「朝から何も食べてないだろ。軽い食事を持ってきたから、それだけでも食べてよ」
「いらない」
「食べないとそろそろ倒れるよ」
「いい」
「マルス……」
 自室に篭るようになってから毎日、食事を持ってマルスの部屋に行くようにはしているのだが、すっかり塞ぎこんでしまったマルスは自分など相手にしてくれない。部屋を出て行くときに食事をテーブルの上に置いていっているけれど、次の日に見ても一口二口手を付けたくらいで全く食べていない。
 そんな状態だから日を追うごとにマルスの顔色は悪くなっていく上に、体も少し痩せてきた。このままではいけないとは思ってはいるのだが、どうすればいいのか、自分にも分からない。
「そのまま体壊したら、ロイが悲しむよ」
 そう言うと、マルスの体がびくんと震えた。さっきまでのように自分を突き放そうともしないで、枕に顔を押し付けたまま黙りこくってしまった。そのままぐすん、と鼻をすする音がリンクの長い耳に届くまで、そう時間はかからなかった。
「マルス?」
 食事の入ったバスケットを足元に置いて、手をマルスの顔の横に置く。真上からマルスの顔、正確には枕に顔を押し付けていて見えないから後頭部を見るような姿勢になる。もう一度、鼻をすする音が聞こえた。
「……じゃないか」
 よく聞き取れなかったが震える声で何か呟いている。そっと自分の顔をマルスに近づけてみた。
「体を壊したって、もうロイには分からないじゃないか」
 ころんと、枕に突っ伏したままから顔をこっちに向けたマルスは、青い瞳からぽろぽろ涙をこぼして泣いていた。青い瞳とは対照的に目元と鼻が少しだけ赤くなっている。
「でも知ったら悲しむよ」
「ロイが知る方法なんてない。だから……どうなってもいい」
「じゃあ、ぼくが悲しい」
 じっと涙をこぼすマルスの目を見つめる。ばつが悪いのか目を逸らされてしまった。それに、ちくりと胸が痛む。
 あの二人の関係は自分もよく知っている。自分達はよく三人でひと括りにされていることが多くて、自分達にとってもそれは満更でもなかった。そんな中で、ロイがマルスに特別な思いをひそかに抱いていたことは、それなりに前からリンクは知っているつもりだった。
 ロイはよく、リンクに相談をしてきた。自分の言動に何か変なところは無いだろうか、他者から見て自分達の関係はおかしくないだろうか。そういう、どうしたらマルスに自分の思いを気付かれずに済むかということを、よく相談された。自分が相手のことを好きなのは確かなのに、それを逆に悟られないようにしているというのは、リンクにはよく分からないことだった。
 どうしてだと理由を聞けば、ロイは公子で、マルスは王子。二人ともやがて家のためにそれなりの身分の妻を娶って、子供を作らないといけないから、自分達は結ばれてはいけないのだと、辛そうな顔で言っていた。
 じゃあどうしてロイはそれを自分に打ち明けたのだろうか。本当に黙っているつもりなら、結ばれてはいけないと思うのなら、どうしてそれを自分に打ち明けた? そこにはきっとただ自分達の関係や言動がマルスやマルス以外の人におかしいと思われないようにするためじゃなく、マルスが好きだということを自分に打ち明けて、その後に自分に二人の仲介役をしてくれとでも言うつもりだったのだろうか。自分がこっそりロイがマルスのことを好きだとマルスに言って、マルスの気持ちが自分の方へ向いてくれればとでも思っていたのだろうか。自分に恋のキューピットになれとでも言うつもりだったのだろうか。
 結局それは残念ながら自分には出来なかった。いや、出来なかったのではなくしなかったのだ。自分もその人を密かに好きだったのに、その人と他人の恋を応援しろだなんてそんなことできるわけがない。
 確かに好きだった。自分は勇気の力を持っているのに、その勇気は恋愛方面では全く発揮されなかったので、そういう気持ちを表に出せずに居ただけだ。なので、本人にもロイにもその気持ちは悟られていないようだ。
「ぼくはマルスが好きだよ。だから、マルスが体を壊したら、凄く悲しい」
 肩をぴくんと震わせてマルスが驚いている。涙を流しているその青い瞳にも、驚きの感情が宿っている。
 最後に自分の気持ちを打ち明けて、そのままマルスの気持ちを奪っていったロイには、嫉妬している。ずるいとは思ったが、早くに自分の気持ちを打ち明けなかった自分にもまた、非はある。
「もう一度言う。マルスが好きだよ。だから、マルスがロイばっかり見てるのは、凄く悔しい」
「……リンク」
「ねぇマルス、ぼくじゃだめ? ぼくじゃロイの代わりになれない?」
「そんなことない……ただ」
「ただ?」
「僕は、ずっと三人で居たかった……」
 そう、辛そうに吐き出すマルスの青い瞳から、さっきよりも多くの涙がこぼれる。
 ベッドの淵に腰を落として、そっと背中に手を回し、マルスの半身を起こさせる。そしてそのままマルスの体を抱く。
「ぼくが居るから平気だよ。何処にもいかない」
 前にも言ったろ。とマルスの耳元で囁いて、抱きしめていたマルスの体を離す。かわりに額と額をこつんと合わせて、片方の手でマルスの頭をそっと撫で、もう片方の手をマルスの頬に置いて、その泣き顔をまじまじと見つめた。
 マルスは喉から嗚咽を吐き出して、ぼろぼろに泣いている。意外なことにマルスは上手く嗚咽が吐き出せないらしく、泣くのはそんなに上手ではないようだ。
「……見ないでくれ」
「ん?」
「泣き顔、綺麗じゃないんだ」
「泣いてても、マルスの顔は綺麗だと思うけどね。……わかったよ」
 そう言われては仕方ないので、またマルスの体を抱きしめる。マルスはリンクの背中に手を回して、痛いくらいに強く抱きしめ返してくれた。顔を首筋に押しあてているので、涙が自分の服について、服越しにじんわりと湿った感じがする。そんな嗚咽を吐き出し続けるマルスの頭と背中を根気よくリンクは撫で続けた。
 今はこうしてこの人は自分に体を預けていてくれる。しかしこの人の気持ちは初めから自分の方を向いていないから、素直に喜ぶことが出来なかった。
 こうしてもらえることを、ずっと願っていたはずなのに。
「リンク」
「何?」
「キスしたい」
「どうして、だって君は」
 ロイのことが、好きじゃないか。と言うとしたのに、それよりも早くマルスは自分の背中に回していた手でリンクの肩を掴み、自分の唇を奪ってきた。
 息が苦しくならない程度に長く唇を重ねて、やっと離してくれた。唖然としているリンクに、マルスは、
「……リンクの言いたいことはわかるよ。ロイがいない寂しさを、君で埋め合わせをしようって思ってるんだろうって」
 本当にその通りで、否定なんか出来るはずもなかった。
 今嘘を吐いても、マルスは悲しむだけだろう。だから何も言えなかった。
「その通りだ。軽蔑してくれても、最低だと罵ってくれても構わない。ただ、その、もしも……」
「いいよ」
 俯いて、辛そうに自分を傷付けずに済むような言い方を必死に選んでいるマルスの言葉を遮る。驚いた顔でマルスが顔を上げた。
「ぼくはそれでもいい。埋め合わせの存在でも、君のことが好きだから」
 勿論、嘘だ。所詮は埋め合わせの存在でしかないという自分が、凄く虚しく、悲しく、悔しかった。
 頭の片隅では今すぐマルスを突き放して言われた通りに最低だとマルスを罵ろうとも思っていた。でもどうしてか、自分の取った行動は、それとは正反対のもの。
「本当にいいのかい?」
 今度は自分の方から、マルスにキスをする。欲しいものがやっと手に入ったのに、全く満たされた気がしなかった。
 それでもマルスの体を抱いて、耳元で囁く。
「うん、いいよ。……マルス、好きだよ」
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