「ほんと、よく頑張るよなぁ……」
 テーブルの上に置かれた数冊の本を片付けていると、思わずそんな言葉が口から零れる。
 置いてある本はどれもぼくの世界、そしてぼくの国での共通言語……つまりハイリア語の入門書や辞書だ。
 挨拶や日常会話をメインに取り扱っている本や、簡単な文法を学ぶための本、さらにはハイリア文字の一覧表から初心者向けの辞書まで、ひとまず語学を学ぶために必要なものをひたすらかき集めた感じの本たちが並んでいる。一部ハイラルの城下町で似たような装丁の本を見かけたことがあるので、これらの本は元の世界からマスターハンドが持ち込んできたものなんだろう。
 これらの本を借りているのはマルスだ。数日前に「ハイリア語を学びたい」と言いだしてから、マルスの部屋のテーブルはずっとこんな感じに散らかっている。
 マルスはただ学ぶだけじゃなく実際に話せるようになりたいとも言っていて、時々ぼくが発音なんかを見てやっている。今日も、乱闘が始まる時間ギリギリにマルスが部屋を飛び出していくまで、マルスのハイリア語の勉強を見てやっていたのだ。
「わざわざこんなことしなくたって、問題無く話せるのに」
 ぼくは普段ハイリア語を話している。今もそうしている「つもり」だ。
 そして今のマルスはぼくのハイリア語を理解できるし、ぼくもマルスの話していることをちゃんと理解できる。
 じゃあ理解できるのになぜマルスはハイリア語を学びたいなんて言い出したかと言うと、本当は理解できないのに、ぼくらは魔法で強引に理解できるようになっているからなのだ。
 ぼくらは、本来異なる世界からこの世界に呼び出された者たちに過ぎない。そしてそれぞれの世界では文明や風習は勿論、人種も気候も、そして言語も、色々なものが大きく異なっている。
 当然マルスが元の世界で話している(はずの)言語と、ぼくが今でも話している(はずの)言語は違う。それどころか、どうやらぼくと同じ世界から来た人以外は全員、ぼくらと異なる言語を話しているらしい。マルスもそれと似たような感じだ。本来マルスと同じ世界から来た人以外は全員、マルスと違う言語を話しているらしい。
 そうなってくると皆が使用する言語の数はひとつやふたつじゃ済まされないし、無論そんな状態じゃ意思の疎通なんてできるわけがない。まぁ戦うだけなら言語はそんなに重要じゃないとも思うが、生憎ぼくらがここですることは戦うことだけじゃないので、そうなると自ずと言語の壁は重要な問題となってくる。
 で、ぼくらをここに呼び集めた際にそれをなんとかしたのが、この世界の自称創造主のマスターハンドというわけだ。
 マスターハンドは、実はぼくらにこっそりとある魔法をかけている。その魔法は今も続いているらしく、本来話している言語が違うのにぼくらが互いの言っていることを理解できるのも、その魔法のおかげだそうだ。
 なんでも、他人が口にした言葉が頭の中で本人の声や口調、口癖や俗語まで正確に自分の話す言語に置き換えられる魔法をかけられているとかどうとか、以前そんなことをマスターハンド本人から聞いたことがある。
 ついでに口語だけじゃなく文語もその魔法のおかげで、異なる言語の文字も理解できるようになっているらしい。魔法の理論はさっきの口語とだいたい同じだ。他人が書いた文字が頭の中で正確に自分の読める言語に置き換えられる魔法らしい。
 だから元の世界で人語を話し、読み書きが出来ていた人たち同士なら、例え言語が違っていてもこの世界では魔法のおかげで問題なく意思の疎通ができることになっているようだ。
 人知を超えた力を魔法と言うのなら、これは確かに魔法なのかもしれないが、ここまでくると魔法と言うよりは最早超能力とか洗脳とかそういう域になってくる気がする。
 ぼくの世界に魔法はあるにはあるが、元々ぼくに魔道の心得はないし、仮にあってもそんな学者が泣いて喜ぶような便利な魔法なんてあるわけなかったので、その話を聞いてからひょっとして自分たちは頭をあいつらに操られているんじゃないかって考えることもあるくらいだ。
 そもそもその方が便利だからといっても、自分がこの世界に来る時に知らず知らずに魔法をかけられているだなんて聞いて、ぞっとしない奴なんているわけがない。
 まあ、創造主と自称するだけあってその力も何でもありなんだろう。ぼくは自分の世界の創造主になんて当然会ったことなどないので、実際に創造主がどのくらい凄い力を持っているかなんて知らないけど。
 とにかく本来なら、魔法のおかげでマルスはハイリア語の本も問題なく読むことが出来る。それなのに数日前、ハイリア語を学びたいと思ったマルスはマスターハンドのもとへ行き、自分がハイリア語を学ぶために魔法の一部を解いてくれと頼んだのだ。
 そしてマスターハンドはそれを快諾した。どうやら、本の解説部分の文字なんかにはそのまま魔法がかけられているが、例文や会話文なんかには魔法が解かれているらしい。
 それでも十分驚いたのに、さらに驚くべきは、ぼくがマルスの発音を見てやる時、いつもはっきり話すマルスの言葉が途端に拙いものになる。
 どうやらマルスが「ハイリア語を話そう」と思ったその瞬間に魔法が解けて、魔法で置き換えられていた言葉が置き換えられなくなり、聞き取る側のぼくからするといつものはっきりとしたハイリア語から途端に拙い、覚えたてのハイリア語になるという仕組みらしい。正直、元々かけられている魔法の理論も含めて、あまりに凄すぎてぼくらも何が起こっているのかよくわかっていない。ただ魔法をかけるだけならまだしも、そんな器用な真似までできるのかと、頼みに行ったマルスもびっくりしていたくらいだ。凄いっていうよりもう無茶苦茶だ。創造主ってそんなに万能な存在なんだろうか。
「やっぱり剣の稽古より、本でも読んでたほうがいいんじゃないかな、マルスって」
 お世辞抜きで、そう思った。
 何もしなくても異なる言語の人同士で意思の疎通ができるのなら、わざわざ言語を学ぼうなんて考える人なんてまずいない。
 ぼくだってその一人だ。本はそれなりに読むし好きだが、勉強そのものは別に好きでもなんでもない。
 そんなことをするくらいなら外で剣でも振るっていた方がいいと思うし、勉強についてはむしろ嫌いと言っても差支えないくらいだ。それに本だって、面白くないと感じたらすぐに投げてしまう。
 だから、勉強しなくても異なる言語を理解できるのなら万々歳だ。
 でもマルスは違う。わざわざ魔法を解いてもらってまで、元の世界に戻ったって何の役にも立たないのにぼくの世界の言語を学ぼうとしている。他の人から理解できないって言われていたし、悪いけどぼくもそう思ってしまった。
 それでもマルスは魔法に頼らずにちゃんと理解できるようになりたいんだって、それから毎日勉強している。ぼくみたいな奴にはなかなか出来ないことだ。元々勉強熱心な人なんだろう。確かにいかにも理知的とか、そういうセリフが似合いそうな人ではある。事実ぼくよりずっと頭も良いし、ハイリア語の飲み込みも早い。マルスは王族だから、戦争の時代に生まれていなければ、多分賢王として名を馳せたんじゃないかなとも考える。
「でも、言いたいことは全部ちゃんと伝わるわけだし」
 わざわざ拙い言葉で会話をする意味ってあるんだろうか、とも思ってしまう。マルスには悪いけど、やっぱりそれはぼくには理解できなかった。
 文字と文法の練習に使っているらしい、紙の束を手に取る。
 書き慣れていないことが一目でよくわかるような拙い文字で、色んな単語や例文の写しが書き並べられている。こんな時でも魔法はちゃんと解けているようだ。創造主は世界をどうしようが自由らしいとはいえ、もうちょっとまともな力の使い道はないのか。
「……ここ、間違ってるな」
 二か所、文字の並びが間違っていた。
 一見完璧そうに見えるマルスでも、やっぱり間違えることくらいあるんだなと思うと、なんだか凄く微笑ましい。
「ん?」
 マルスが戻ってきたら指摘してからかってやろうと、他にも間違っている場所はないかと紙の束を捲っているうちに、ある文字に目が行く。覚えたての文法を使おうと本にあった例文を真似て、これまた拙い文字で書いたもののようだ。
「マルスの奴……こんなの、いつだって言えるのに」
 拙い文字と、なんだかぎこちない文章。
 こんなに短い文章でも、あのマルスが本を読みながら必死に描いたものだと思うと、思わず笑みがこぼれる。
 その紙の裏表をざっと見る。その紙がただの練習に使ったもので、持って行ってもさして困らないものだと確認した後、それを束から抜き取り、折りたたんで懐にしまう。
 なんとなくではあるが、マルスがハイリア語を学びたいと言った理由が、今わかったような気がした。
「……ぼくも、勉強しようかな」
 少なくともマルスの世界の言葉で、同じことが書けるようになるくらいには。



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