「(どうしよう)」
 マルスと別れ、僕は一人とぼとぼとと屋敷の中を歩く。
 昼下がりとはいえこんな気持ちでは何もする気になれなくて、このまま自分の部屋に戻り、眠ってしまおうかとも考える。それにあれだけ楽しみにしていたブルーファルコンをせっかく詳しく見せてもらったのに、それさえ全然頭に入ってこなくて、マルスとキャプテン・ファルコンさんにも心配されてしまった。
 それも全て、あの時見てしまったマルスの未来のせいだ。
 いつもなら未来が見えれば、なんとしても変えてみせるのだと、逆に勇気が湧いてくる。しかしそれは全て、自分とモナドの力で干渉できる未来の話だ。干渉さえできないのなら、僕にはどうすることもできない。
「……僕には、本当に何も出来ないのか?」
 その場に立ち止まって、ぐっと両の拳に力を込める。
 変えたはずなのに変えられなかった未来は、今までにも何度か経験している。その度に僕は自分の無力さを悔やみ、未来を切り開く強い力を望んだ。そして僕の望みに応えるように、今僕が背負う神剣モナドは新しい力を与えてくれていたのだ。
 だが今モナドが、どんなに強い力を僕に与えたとしても、僕ではマルスの未来を変えることは出来ない。 
「(あの未来を、マルスに教えれば……いや、でも)」
 マルスだって僕が見た未来を知れば、それを変えたいと願うはずだ。しかしあれほど大がかりな未来を、マルスだけの力で変えることはできるのだろうか?
 マルスは一国の王子だが、それ以前に一人の人間でもある。当然どんな立場にいたとしても、一人の人間にできることには限りがある。
 その上僕が見たものも、大きな禍々しい竜が、マルスの城と思しき場所を壊し尽くすという未来だけ。例えばどこかの国に攻められて滅ぶという未来だったならなんとかなったかもしれないが、こんな未来では何をどうすればいいのか想像もつかない。
 どうにかして、マルスのあの未来を変えたい。その為には、僕に何が出来るのだろう。
「シュルクさん、どうかしましたか?」
「え、……マル、ス?」
 振り返った先に居たのは青い髪に、青い服を身に纏ったマルス……ではなく、ルキナが立っていた。
「君と親しいはずの英雄王とルキナと見間違えるなんて、君らしくないね」
 そのルキナの隣に立っている、ルフレが少し困った顔で笑う。
 それもそうだ、マルスは僕をさん付けで呼んだりしないし、ルキナが女性である一方、マルスは男だから声も全然違う。身に纏っている服だって、ルキナはただ自分の世界の英雄王マルスを模した服を身に纏っているだけで、体格だって大きく異なるのだ。これでは見間違える方がおかしい。
「元気が無いようですが、何かありましたか?」
「僕達でよかったら、話し相手になるよ」
 二人も、僕と同じ時期にこの世界からやってきたメンバーの一人だ。
 僕と同じく二人も剣を使うし、同じ時期にやってきたせいで右も左もわからない者同士、そしてマルスによくしてもらっている者同士として、二人ともそれなりに交流はある。
 ただここに来てから一度だけルフレに料理を振舞ってもらったことがあり、僕を持て成してくれたその気持ちはありがたかったのだが、ルフレの料理は何と言ったらいいのか……、その昔研究で三日間徹夜した僕が寝ぼけてかじった鋼板の味がして、とてもじゃないが食べられるものではなかった。
 ちなみに僕の隣で料理を口にしたマルスは、何故かデジャヴを感じるだのなんだのと、よくわからないことを言っていた。
「(……そうだ)」
 この二人は、マルスが元居た世界の未来から来ている。ルキナに至っては、自分は英雄王マルスの血を引いていると誇らしげに教えてくれたほどだ。
 僕に未来を変える術がなかったとしても、二人ならマルスの未来を変えるのを手伝ってくれるかもしれない。
 上手くいけば、あんな未来も変えられて、マルスの国が滅ぶことだってなくなるはずだ。
「二人に頼みたいことがあるんだ。……マルスの未来についてなんだけど」
「英雄王の未来、ですか?」
 ルキナが興味ありげな顔をする。だがその一方でルフレは、その眉間に皺をよせ、僅かにその顔を曇らせた。
「未来を見たんだ。二人も知っているだろ、僕はモナドの力で予期せぬ未来が見えるんだって。……だからさっきマルスと同時にモナドに触れた時、大きく禍々しい竜が空を飛んで、旗は燃え城が崩れ落ちる未来を、僕は見てしまったんだ」
「シュルクさん。その、貴方が見た未来というのは……」
 二人の顔が、どんどん青ざめてゆく。
 やはりマルスが居た未来から来たというだけあってか、僕が見た光景にも何がしかの心当たりがあるのだろう。
「きっとこれはマルスの未来だ。僕はその未来を変えたいのに、マルスの世界に行けない。……でも二人ならきっと!」
「……悪いが、君の申し出には応えられない。僕達はその未来を変えるつもりはない」
 この二人ならきっと、そう期待していた僕の気持ちを、ルフレが冷たい言葉で打ち砕いていく。
 ルフレは、本心でこんなことを言っているわけじゃない。こんなことを言うのはただの冗談で、本当は未来を変えてマルスを救いたいと思っている。
 そうだと信じたかったが、決意に満ちた瞳ときつく結ばれた口が、これが嘘ではないと僕に証明していた。
 縋るようにルキナの方を見る。すっかり青ざめた顔をしていたルキナは、僕と目が合うなり悲痛そうな表情で俯いてしまった。
 二人は、マルスの未来を変えてくれない。それは決して嘘を言っているわけではない。……だとすれば、どうして二人は未来を変えてくれないのだろう?
「でもこのままじゃマルスの国が滅ぶんだ。ルフレだってそんなの嫌だろ? 君達二人はマルスを自分達の英雄だって言っていた。ルキナだって、マルスの血を引いていることを誇らしげに……」
「だからこそ、変えられないのです……ごめんなさい、シュルク」
 震える声で謝辞を述べたルキナが、そのまま深く頭を下げる。
 まるで僕があの未来を見る前、マルスが決めた時間に遅れないよう急いでいた途中、ファルコに頭を下げた時の様に深く、深く。
 一向に頭を上げないルキナの代わりに、ルフレがきつく結んだままの口をようやく開き、
「僕達は英雄王の時代より、遙か先の未来から来ている。つまり君が見た英雄王の未来は、僕達にとっての過去にあたる。これから紡がれる未来を変えても、時空に与える影響は少ないかもしれない。でも、過去を大きく変えたらどうなる?」
「それは、」
「君が見たものによって、確かに英雄王の未来は変わるかもしれない。だがそうすれば僕達の過去も変わるんだ……それも、とてつもなく大きな範囲で。そこで変わった歴史が何を引き起こすかは、君にも僕達にもそれはわからない。わからないからこそ、君が見た未来を変えることはできない。……もしも君が、僕達や僕達が生きる時代より英雄王が大事だというなら、それでも構わない。その時はどんな手を使ってでも、君を止めてみせる」
「ルフレさん、そんな言い方はあんまりです! それを言うなら私だって」
「だがシュルクと英雄王の選択次第で、下手をすれば僕達の時代そのものが消えかねないのは事実だ。ルキナだって、そんなこと望んでいないだろう?」
 何かをルフレに言い返そうとしていたルキナが、その言葉を聞いて押し黙ってしまう。
 こちらから見て横の方を向いているので、僕にはルキナの横顔しか見えない。だがその瞳、――自分の血統を表す聖痕があると言っていた左目からは、今にも涙が零れそうだった。
 二人には二人なりの事情がある。だからマルスの未来を変えられない。あの未来を、変えられないならば、
「僕達は皆、マルスの国が滅ぶのを、黙って見ているしかないってことなの?」
「……そうだよ」
「だけど、こんなことがあっていいわけはずが……!」
「どうして……」
 俯いたルフレが、ぐっと唇を噛み、拳を握りしめる。良く見ればローブ越しにその肩は、微かに震えていた。
「……どうしてわからない!」
 ルフレの叫び声と同時に、僕の視界が僅かに上を向き、少しだけ息苦しさを覚えた。ルフレが、僕の胸元を掴んでいるのだ。
 そのまま射殺してきそうな勢いで、怒りに満ちたルフレの瞳が僕を見つめている。
「君と英雄王に守りたい未来があるように、僕達にだって守りたい未来がある! 君がしようとしていることは、君が見た未来の先から、僕達の時代までに在る全てを否定する行為なのだと、……どうして!」
「だから君はマルスと、マルスの国を見殺しにするって言うのか! あの未来さえ変えれば、あんなひどい歴史だって……」
 ルフレに負けじと、僕も声を張り上げて叫んだ。その言葉にルフレが、僕の胸元を掴む手により一層怒りを込めたのがわかる。
「君に何を言われようと構わない、それでも僕達の歴史だからだ! それを壊すなんて僕は絶対に……! ……あ、」
 胸元を掴むルフレの手から、急に力が消えていく。それだけではない、あれだけ怒りに満ちた瞳から一転して、ルフレは唖然とした目で僕を見つめていた。……いや、僕じゃない。今のルフレは僕の後ろに立っている誰かを見ているのだ。
 ルキナは今、ルフレの横に立っているので、少なくとも僕の後ろに居るのは彼女でもない。
 僕から手を離して一歩後ずさったルフレは、恐る恐る口を開き、
「英雄、王」
「……え?」
 ルフレはたった一言、誰かの名前を口にしたのだろう。だが、その名前が誰のことを指し示しているのか、上手く回らない頭ではすぐに理解できなかった。
 たとえ理解出来なくても、ルフレが先ほど胸元から手を離したことで、僕は後ろを振り向くことが出来た。
 このまま僕が後ろへ振り向けば、僕の後ろに誰が立っているのかわかる。喉を鳴らして唾を呑み込み、僕は覚悟を決めて後ろを向いた。
「マルス」
 僕の後ろには、マルスが立っていた。その顔にはなんの感情も浮かんでいない。
 いつからそこに立っていたのだろう。僕達の会話は、いつから聞かれていたのだろう。そして、マルスの目の前で先ほどの僕は、何を言っていたのだろう?
「そうか」
「……ちがう」
「僕の国は、滅びるのか」
 その表情と同じように、何の感情も籠っていないマルスの声。
 それが、逆に酷く恐ろしくてならなかった。
「違うんだ。僕はさっきマルスの未来を見て、それを何としても変えたくて……だから!」
「別に構わないよ。君のその気持ちには、どれだけ感謝しても足りない」
 踵を返し、マルスが通路の向こうに足を進める。
 だが、数歩歩いたところで、急に何かを思い出したようにマルスは足を止めた。
「……ねぇ、シュルク。その未来は忘れた方がいい。変えられない未来なら、忘れた方が君のためだろう。君はその手で変えられる未来だけ、変えていけばいい」
 そう言ったマルスは、そのまま通路の向こう側へ消えていってしまった。
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