「(どこだ)」
 ルキナの部屋を飛び出して、僕はマルスの姿を探して、ただがむしゃらに走り続ける。
 ここに来てから一月もたっていないせいで、僕はまだこの世界の全てを知っているわけではないだけに、ともすれば自分の方が迷子になってしまいそうだったが、今はそんなことを気にしている余裕なんてなかった。
 マルスが居ない。恐らくあの時僕と話してから、そのまま姿が見えないのだろう。
 あんなに痛ましい笑顔を見せられて、この手で引き止めることを躊躇った自分の意気地の無さが、今はひたすらに悔しかった。
「……っ」
 全速力で走り続けたせいですっかり上がってしまった息を、一旦足を止めて整える。大きく深呼吸をして、そこで喉がカラカラに乾いていることに気付いた。
 それもそうだ。夕方にもマルスの後ろ姿を追って走り続けたのに、僕はそれから何も口にしていないのだ。せめてルキナの出してくれたお茶を一口位飲んでおけばよかったと、僅かばかり後悔する。
 なんだか今日の僕は、ずっと走ってばかりだ。足は重たく肺も痛むのに、不思議と頭だけはそんなことを考えられる程度には落ち着いている。
 一度目は、マルスとの予定に遅れないために走っていたが、結局八分ほど遅れてしまった。
 二度目は、僕が見た未来を知ってしまったマルスを追って走っていた。その手を掴もうとしたのに、僕はあと少しのところで結局その手を掴めなかった。
 今は、姿が見えないというマルスを探して、必死に走っている。
 そう考えると今日の僕はずっと、マルスのために走っているのだ。誰か一人の為にこんなに走り続けた経験なんて、今までほとんどない。
 ただ、今回こそは見つけないわけにはいかないのだ。
 一度目は結局走ったのに遅刻してしまった。二度目は結局その手を掴めなかった。だから三度目こそはなんとしてもマルスの姿を見つけたい。
 額に滲んだ汗を拭って、僕は再び走り出した。既に外は日が沈んですっかり暗くなっており、屋敷の中にはこうこうと明かりが灯っている。
 このまま屋敷内を闇雲に探したところで、マルスを見つけられずに自分が迷子になるのがおちだろう。恐らくアイク達もマルスを探しているだろうし、一度どこか他の場所……それこそ外へ出て探してみるのも一つの手かもしれない。
 その姿を見つけたところで何と声を書けたらいいのかわからないし、相変わらずマルスは僕にあんな未来忘れろと言うのかもしれない。もしかしたら、二度と自分に構わないでほしいと僕を突っ撥ねてくるのかもしれない。
 だが僕は、そんなのは嫌だった。
 マルスと友達でなくなるのも、あの未来を忘れた上で友達として一緒に居るのも絶対に嫌だ。
 その身に待つ未来も抱えた苦しみも知った上で、僕はマルスと友達で居たい。
「マルス!」
 午前中と同じように勢いよく中庭への扉を開け、同じように花壇とベンチの方へと走る。
 すっかり暗くなってしまったせいでよく見えない中でも、必死に目を凝らすと、ベンチに座る誰かの後ろ姿が見えた。
「(……あ!)」
 そこにはベンチに腰掛け、この前や午前中と同じように目を閉じ、僕が贈った時計の音に耳を澄ましているマルスの姿があった。
 マルスが以前、ああして時計を耳に当てて秒針が動く微かな音を聞いていると、とても落ち着くと言っていたのを思い出す。きっと今も、それを聞いているのだ。僕のせいで平静を失った自分の心を、なんとかして落ち着けるために。
「不思議だな」
「マルス……」
「前はこの音を聞けば、心がとても落ち着いたのに、今は全然落ち着かないんだ。……どうしてだろう?」
 時計を耳に当て、目を閉じながらマルスが呟く。微かに拭いた風で、マルスの長いまつ毛が揺れた。
 マルスはとても整った顔立ちをしているから、今こんな状況でなければ、その顔を綺麗だと思えたに違いない。
「ごめん。僕が、あんな未来を見なければ」
「君が気にすることじゃないよ。あれは必然なんだ。君はただ、それを見てしまったに過ぎない」
 君も座りなよ。そう言って、午前中と同じようにマルスがベンチの端に動く。マルスにそう言われて、自分がもう走れない程疲れていたことを思い出して、午前中と同じようにマルスの隣に座らせてもらった。
 同じように座って息を整えるが、マルスはさっきと同じようにずっと時計を耳に当てているだけで、何も言ってこなかった。午前中と同じように、マルスのために走り続けた僕を、おかしそうに笑ってくれもしない。
「ねぇ、マルス」
 空を仰いで、僕は呟く。
 広い中庭は明かりがあまりなく、せいぜい場所によって屋敷の中の照明の光が辛うじて届くくらいで、ここからでも星空が良く見えた。
 テフラ洞窟を抜けた先の、膝頭の丘で見た星空を思い出す。この世界の星空は、巨神界から見えるものとは全然違った。
「今の僕は君に、何をしてあげられる? 何かしてあげたいのに、このままじゃ僕は何もできない」
「さっきも言っただろう? 君はあの未来を忘れてくれれば、それでいいんだ」
「そんなの、忘れたくないよ。それを忘れたまま、僕は君と友達で居たくない。……ねぇ、本当にいいの?」
「僕は……」
「マルスはあのままでいいの? つらく、ないの?」
 ずっと時計を耳にあてていたその手を、マルスが膝に置く。
 こんな暗闇でもわかるくらい、時計は指紋が付き、汚れてしまっていた。
 あそこで僕と別れここに来てから、マルスはずっと時計を握っていたのだろう。後でマルスから時計を預かったら綺麗になるまで磨いて、出来れば中も異常がないかざっと見て、必要があればオイルもさしてから返してあげよう。そんなことを頭の片隅で考える。
「そんなの、辛くないわけがないだろう……?」
 時計を持った手を、マルスが白くなるまで強く強く握る。そしてその手の甲に、一粒の水が落ちる。
「僕は誓った。十四の時に国と家族を失い、全てを奪われても、この体にアンリの血が流れている限り、地を這い泥を啜ってでも生きるのだと。生きて国を……民を救うのだと。そして僕は皆の力を借りて、あの大陸を救ったんだ。でもそれさえいつかは……」
 その肩と声が震え、手の甲にはさらに二粒の水滴が落ちる。
「あんな未来を変えたい、アカネイアを守りたい。君やルキナ達がそうしたように、僕だって! だけどそうすれば……僕は彼らの時代を壊すことになるんだ」
 そんなことできるわけないじゃないか、そう言ったマルスの声と肩の震えが一層大きくなり、手の甲には三粒の涙が落ちる。
 その涙で改めて気づかされた。
 未来も抱えた苦しみも知った上で、僕はマルスと友達で居たいなんて言ったくせに、今の僕ではマルスの苦しみも悲しみも、半分もわかってあげられていない。僕は見えるのに変えられなかった未来しか経験したことが無くて、変えることも許されない未来なんて、今までに経験したことも無かったからだ。
 見えるのに変えられなかった未来なら、自分の力の無さを悔やめばよかった。未来を変えられる新しい力を強く望めばよかった。この場合どこかしらに感情をぶつける術はあったし、少なくともかつての僕はそうしていた。
 だが変えることも許されない未来の場合は、どうしたらいいのだろう。
 もしもマルスが誰かを恨もうとするならば……やはりあの未来を見てしまった僕になるのだろうか。
 ルキナは、僕には彼女を恨む権利があると言った。しかしそれを言ってしまえばマルスだって、僕を恨む権利があるに違いない。
「どうしたら、いいんだ。何故……どうして……」
 譫言のようにそう呟くマルスの手の甲には、数えきれないほどの涙が今も落ち続けていた。
 僕は何と声をかけたらいいのか、それさえわからず、ただマルスの涙が手の甲に落ちていくのを、黙って見ていることしか出来ない。
「……英雄王! それに、シュルクもこんなところに、」
「ルフレ……!?」
 聞きなれた声がして、隣で泣きじゃくるマルスをよそに出入り口の方を向く。
 するとそちらの方から、何かを手にしたルフレが小走りでやってくるのが見えた。
「どうして君たちがここに来たんだ!」
 耳よりも僕達の心を引き裂くような、マルスの悲痛な叫び声。
 こんなに悲痛なマルスの声、僕は今までに一度も聞いたことが無かった。
 その声に、こちらに駆け寄ってくるルフレも思わず足を止めて、その場に立ち尽くしてしまう。
「シュルクも、ルフレも、ルキナも……君達がこの世界に来なければ、僕は自分の未来を知らずに済んだ! 僕達が守った国がいずれ滅ぶなんてこと、知らなくてよかった!」
 ひとしきり叫んだ後、マルスはその手で顔を拭い、再び泣き出してしまう。
「どうして、僕だけこんな……あんまりだ……」
「……マルス」
 泣きじゃくるマルスの言うことは正しかった。少なくとも僕が不用意に未来を見なければ、こんなことにはならなかった。
 この剣は、誰かを悲しませる未来しか見せてくれない。だから僕は未来を変える力を望んで、実際にそれを変えて来たからこそ、僕は今この世界に来ているのだ。
 しかしこの手で未来を変えられないなら、僕は人を悲しませることしか出来ない。
 せっかく右も左もわからない僕に優しくしてくれた大切な友人を、この力で深く傷付けてしまったのだ。……もしかすると僕は、この世界に来るべきではなかったのかもしれない。
 こうして隣に座るマルスの泣き声を聞いていると、目蓋の裏が熱くなり、不思議と僕まで泣きたくなってくる。
「英雄王」
 近くで立ち尽くしていたはずのルフレが、マルスの名前を呼び、一歩また一歩とゆっくりこちらに歩み寄る。
 だがマルスはそれに応えるどころか、顔を上げようとすらしなかった。
「英雄王マルス。貴方に、お見せしたいものがあります」
 諦めずにもう一度ルフレは胸を張り、凛とした声でマルスの名前を呼ぶ。それでも、マルスは応えようとしない。
 微かな風がまた吹いて、ルフレが持っている古い紙がかさりと音を立てた。
「この世界に来た時、貴方にはこれを見せよう。僕はそう決めていました」
「……そんなの、見たくない」
「僕達の世界に生きる、貴方のことです」
「君達の世界……?」
 ルフレの言葉に、ようやくマルスが顔を上げる。その顔は、すっかり涙で濡れてしまっていた。
 そしてルフレが僕達の前に、持っていた一枚の紙を差し出す。マルスが紙を受け取り、僕もそれを横からのぞき込む。暗くて少々読みづらいが、別に全く読めないと言うわけではなさそうだ。
「これは、星座表?」
 僕も、これと似たものを見た覚えがあった。以前マルスに見せてもらったことがあったからだ。
 これは、夜空の星の位置と星座を描いた星座表。マルスの世界の人間は、この星座表という紙を元に方角や季節の訪れを知ったり、時には占いに用いたりする。
 僕の世界であった巨神界は、横ではなく縦に広がる世界という特殊さから、天文学という学問が存在しなかった。
 だから夜空に星はあっても、星座はおろか、それぞれの星の名前さえ存在していないのだ。それゆえ天文学というものをマルスに教えられた時は、星にそんな使い道があったのかと素直に驚いた。
 一方マルスはマルスで元の世界で天気や星を読むのが誰より得意だったと言っていただけあり、僕が天文学を何一つ知らないとわかった時は、自分にだけ知っていることがあったのが嬉しいと言わんばかりに星座表を見せられ、マルスの世界の色々な星と星座の名前を教えてくれた。
 それに元々天文学自体に興味はある。ある程度文明が進んだどの異世界にも存在するはずなのに、僕の世界にだけは存在しない学問というだけで、学ぶ価値はあるはず。と思いつつも、何から学べばいいのかわからず、結局何もしていないのが実情だったが。
 ただ、これは僕が見せてもらった星座表とこれは少し違った。
 勿論同じ世界の物だから星座や星の位置は変わらないが、ざっと見ただけでも、ところどころ星座や星の名前が変わっている。僕が見た星座表からおよそ二千年先の未来で使用されている星座表なだけあって、時代と共に呼び名が変わってしまったのだろう。
「ええ、僕達の時代で使われている星座表です。……この星を、見てください」
 ルフレが星座表の中心にある、とある星を指差す。
「この、星は」
 これは僕も知っている。僕がマルスに星座を教えてもらった際に、初めに知った星だ。
 確か北の星空の、いつも決まった場所にある星だ。人々はこの星を元に方角を知り、マルスもこの星に助けられたことが何回もあったと言う。
 だが何故か、その星の名前が書かれた箇所は、ルフレの指で隠されてしまっている。
「恐らく貴方もこの星はご存知かと思います。これは天の北極にある標の星。いつ、どんな場所であっても、必ず夜空の決まった位置に或る星。北の夜空の星は常にこの星を中心に廻り、これを標に歩けば迷うこともなくなる。僕達の時代で、この星は……」
 ルフレが、星の名前を隠していた指をゆっくりと退かす。
 その指の下にある文字を目にしたマルスが驚きから息を飲んだのが、僕の耳にも届いた。
「英雄王、貴方の名で呼ばれています」
 星座表と、北の夜空の中心にいつも位置する、標の星。
 北の夜空の星は全てこの星を中心に回るという、大事な大事な星。
 その星の名前があるところには、マルスの名前が綴られていた。
「人々は道に迷った時、貴方と同じ名前の星を探します。この星さえ見つかれば、星が自分を導いてくれるのだと。……この星は貴方の命の煌めき、そんな言い伝えもあるほどです」
 マルスがこの星を僕に教えてくれた時、マルスはこの星に名前は無いと言った。
 誰にとっても大切な星だから、誰かが勝手に名前を付けてはいけない。だからこの星にだけ名前はない。……確かマルスはそうも言っていたはずだ。
 だが、未来のマルスの世界では、そうではなくなってしまった。
「これも所詮なぐさめでしかなく、僕がこれを教えたところで、貴方の未来は変わりませんし、変えられない。それでも未来の世界に生きる人間として、これだけは貴方に知ってほしい」
 北の星空に位置する。誰にとっても大切な、道しるべの星。
 そんな星には、誰にとっても大切な英雄の名前がふさわしい。――そう思った人が、未来の世界にはたくさん居たのだろう。
「英雄王、あなたはいつの時代でも、僕達を救ってくれている。道に迷う僕達を導いてくれている。この星が夜空にある限り、貴方は僕達の救いだ」
 だからあの星には、マルスの名前が付けられた。
 誰にとっても大切な英雄王が、道に迷った自分達を導いてくれることを願って。
 そんな願いを込めて星空を仰ぐ人々の姿が、異世界の住人である僕にも想像できそうだった。
「(……星空を、仰ぐ)」
 心の中でそう呟いたと同時に、何故か奇妙な感覚に襲われる。
 僕もどこかでその星空を見たような気がする。だが、僕は生まれてからここに来るまでずっと巨神界で暮らしてきたのだ。巨神界とここやマルスの世界の空は違うから、マルスの世界の星空を視たことがあるだなんて、そんな話はありえない。
 だが僕にもそれを見る方法は、一つだけある。
 ――未来視だ。未来視を通せば、僕はマルスの世界の星空を見ることが出来る。
 思えば確かに僕はマルスの未来を見た時、最後に誰かが瓦礫の中で星空を仰ぐ姿も視ていた。さっき僕が不思議な感覚にとらわれたのは、きっとそこで星空を見ていたのが原因に違いない。
「(……あの剣は)」
 あの時見た未来のことを思い出したことで、さらにあることに気付く。僕が見た未来の中で、星空を仰ぐ誰かが持っていた剣は、ルキナが使っている剣と全く同じものだ。
 先ほどルキナの部屋に招かれた際に、壁に立て掛けてあったものを見たのだから間違いない。
 それだけじゃない。その剣を持つ誰かの手の甲には、見覚えのある紋章が描かれていたはず。どこで見たのかは覚えていないが、それでも確かに見たことがあった。マルス達の世界の未来視なのだから、恐らく三人に関係のある紋章に違いない。
 何か、何かが思い出せるはずだ。
 その思い出したもの次第では、僕だってマルスに何かしてあげられる。
 マルスのマントの紋章ではない、ルフレの魔導書にある紋章でもない、もっと違う紋章を僕はどこかで……。
「(そうだ……ルキナの、目だ)」
 ルキナの左目には、確か紋章があったはずだ。聖なる血を引く証である紋章が左目にあると本人が言っていたし、僕もそれを見せてもらったことがあった。
 勿論恋仲でもない女性の目を間近で見せてもらうわけにもいかないので、僕もそれをちゃんと見たわけでもないのだが、それでもルキナの目にある紋章と、僕があの未来で見た誰かの手の甲にあった紋章は、恐らく同じものだ。
 さらに、星座表の隅にある何かがちらりと、僕の視界に入る。
 それは僕があの未来視で見た、誰かの手の甲にある紋章、そしてルキナの目にあるはずの紋章と、全く同じものだった。
 間違いない。あの未来視で星空を仰ぐ誰かは、ルキナと同じ紋章を手の甲に持ち、同じ剣を使っていた。だとすればその人は、一体誰だったのだろう。ルフレかマルスなら、誰だかわかったりしないだろうか。
「マルス、ルフレ。あの……ちょっといい?」
「ん?」
「僕は、マルスの国が滅ぶ未来を見たって言ったでしょ? 巨大な竜が暴れて、旗が燃え城は崩れ落ちる。そんな未来を僕は見た」
 僕の言葉に、涙が止んだとはいえ目を赤くしたままのマルスが、辛そうに俯いた。
 ルフレも、苦虫を噛み締めたような顔をしている。
「でも最後に見た未来の中で、誰かが星空を見上げていたんだ。……確か、僕の記憶が正しければ彼はルキナと同じ剣を持って、ここと、彼女の目にある紋章と同じものが右手の甲にあった」
 僕が星座表の隅に描かれた紋章を指差すと、ルフレが驚きに目を見開き、息を飲んだ。
「神剣ファルシオンに聖痕、それじゃあれはやはり邪竜ギムレー……まさかシュルクが視たのは、初代イーリス聖王?」
「ルフレ、その人は一体?」
 僕がそう尋ねれば、ルフレは大きく深呼吸をして、星座表に描かれた紋章を指でなぞり、
「……僕達の時代からおよそ千年前、全てを滅ぼさんとしたギムレーという邪竜により、大陸が闇に覆われた時代がありました。その時神竜の加護を受けた剣を振るい、邪竜を封じ大陸を救ったのが、初代イーリス聖王。貴方の子孫で、ルキナの先祖にあたる人物です。そして……いえ、今はこの話は必要ありませんね」
 聖痕と呼ばれた紋章を指でなぞるルフレは、どこか遠くを見つめていた。
 もしかするとルフレも何らかの形で、僕が見た未来に関わっているのかもしれない。これといった根拠もないくせに、何故かそう考えてしまった。
「シュルクが見た未来に居た人物が、本当に初代聖王だったとすれば、その方もきっと貴方の星を探していたのでしょう。……千年前に邪竜は貴方の国を滅ぼし、街も瓦礫の山と化した。そんな絶望の中で貴方が、貴方の想いと願いを受け継ごうとする自分を、導いてくれると信じて」
 ぽつりと、星座表に一粒の涙が落ちる。――マルスの涙だ。ひとつ、ふたつと、マルスの涙は星座表に小さなしみを作っていく。
 それでも、先ほどのようにそれを見ているこちらまで泣きたくなると思うことは、もうなかった。マルスは、微笑みながら涙を流しているからだ。
「そうか。これが、この星が……」
「はい」
「僕、なんだ? 僕の想いは……そうして受け継がれていくんだね?」
「……はい」
 震える指で自分と同じ名前の星をなぞるマルスの手を、ルフレがそっと包み込むように握る。僕もルフレの手の上に、自分の手を重ねた。
 マルスは暫くそのまま涙を流し続け、星座表にいくつものしみを作った。それこそマルスの涙のしみだけで、新しい星座が出来てしまいそうなほどに。
 そうしてひとしきり泣いた後、マルスは僕達に握られていない方の手で涙を拭い、星空を仰いで、
「この世界の星空は、僕達の世界のものとは全然違うね」
「ええ、そうですね。この空にはあの星も、あの星座も……もちろん貴方の星もありません」
「シュルクの世界の星空はどう? やっぱり、この世界とは違う?」
「どうって言われても、巨神界とここじゃそもそも世界のつくりが違うし……でも星空はあったし、空から雨みたいに星が降ってくる海もあったよ」
 そうは言っても、僕の世界は横ではなく縦に広がる世界だったので、あの世界の巨神脚やエルト海で見上げた星空よりも、この世界の星空の方が、何となく僕達から近い場所にあるような気がしてくる。
 こんなに近い場所に星空があれば、きっと人々も星を頼りにして夜道を歩こうとするに違いない。
 そして最も大切な星に、最も偉大な英雄の名前を付けようとした、マルス達の世界の人々の気持ちが、僕にもわかるような気がした。
「そうか、君の世界はとても変わっていると言っていたからね。……星の降る海か、とても美しい場所なんだろうな。いつかこの目で見てみたい」
 僕も、可能であればマルスにエルト海の流星雨を見せてあげたいと思った。
 そしてそれ以上に、マルスの星。――今僕の隣で泣いていたこの人と同じ名前の星を、僕も出来ることなら見てみたいと思った。勿論未来視を通してではなく、この目でちゃんと、だ。
 ついさっきまで僕はあの未来を変えるために、マルスの世界に行きたいと強く願っていた。でも今は違う、マルスの命の煌めきであり、マルスが命を懸けてその世界を救った証であり、マルスという存在が永遠に人々の救いであり続ける証でもあるという、あの星。
 それをこの目で見るために、僕も彼らの世界に行くことができたらいいのに。
「僕も、いつか君の星を見てみたい。マルスの星はきっと、凄く綺麗なんだろうな」
「とても綺麗な星だよ。僕の名前で呼ぶのが、もったいないくらいに」
「そんなことはありませんよ。貴方の名前以上に、あの星にふさわしい呼び名はない」
「……ありがとう、二人とも」
 マルスが、まるで星を掴もうとするかのように、その手を星空へと伸ばした。
「僕が死んだら、あそこへ行くのか」
 伸ばしたマルスの手の先では、無数の星が煌めいていた。
 あの星たちも、もしかすると誰かの名前を貰って、その名前で誰かに呼ばれ親しまれているのかもしれない。
「あの世界の空に行って、星になって、道に迷った誰かの道標になる。たとえ僕自身に何もできなかったとしても、僕の星を見つけただけで勇気を貰える人がいる。……なんだか、不思議な気持ちだ」
 その言葉と共に、マルスがそっと赤くなってしまった目を閉じた。
 きっと、マルスの国から見える星を思い浮かべているのだろう。
 いつか自分と同じ名前になり、道に迷う人々の救いになる、その星を。
「……ルフレ、ひとつお願いがあるんだ」
「何ですか?」
「僕の命は本当に星になって、皆を見守っているよって。道に迷った時には、あの空でいつでも僕が皆を導いてあげるって……君の時代の人々に伝えてほしいんだ」
「わかりました。……必ず、伝えると約束します」

「貴方の星の、輝きに誓って」
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